第86章 遺族通知
京都の旧市街に設けられた避難所は、かつての中学校の体育館だった。壁にはブルーシートが張られ、床には段ボールベッドが並ぶ。ストーブの匂いと人々のざわめきが交錯する中、二人の制服姿が入り口に姿を現した。
陸上自衛隊の二佐と、一等陸曹。彼らは足を止め、深呼吸をひとつ置いた。これから告げるのは、一人の母親にとって人生を変える言葉だった。
「行きましょう」
二佐の声は低く、しかし迷いを含んでいた。
避難所の片隅、布で仕切られたスペースにその家族はいた。三十代の母親と、小学生の娘。夫――陸曹長――は台湾戦線に派遣されたまま、帰還していなかった。
母親は制服姿を認めると、立ち上がった。かすかな期待と、不安が入り混じった表情だった。娘は母の背に隠れ、じっと二人を見上げている。
二佐は一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「ご家族の皆さま……お伝えしなければならないことがございます」
母親の手がわずかに震えた。言葉の先を悟ってしまったのだ。
「ご主人、田島陸曹長は……戦闘行動中に殉職されました」
体育館のざわめきが遠のき、時間が止まったように思えた。母親は口を開こうとしたが声が出ず、娘だけが小さな声で「お父さん……」と呟いた。
二佐は静かに、米軍のマニュアルをなぞるように言葉を続けた。
「遺体は確認され、現在横田基地に安置されています。ご遺体は星条旗と日の丸に覆われ、厳粛な儀礼のもとでお迎えしました。間違いなくご主人であることを、我々は確認いたしました」
母親は膝から崩れ落ちた。娘が必死に支えようとするが、小さな腕では抱きとめきれない。自衛官の一等陸曹がそっと支え、ブランケットを差し出した。
二佐は続けた。
「ご葬儀の支援、遺族年金、補償金、その他すべての手続きは、我々が最後まで責任を持ってご案内します。お一人で抱え込まれることはありません」
これは米軍のCACO制度を模倣したものだった。ただ死を告げるだけでなく、残された家族の生活と尊厳を守るための一連のサポートを伴う。それは日本の自衛隊にとって初めての試みであり、未熟ながらも必死の制度構築だった。
母親は涙で顔を濡らしながら、二佐を見上げた。
「彼は……最後まで、無駄ではなかったんですか」
二佐は一瞬だけ言葉に詰まり、しかし真っ直ぐに答えた。
「ええ。ご主人は仲間を守り、任務を果たしました。そして今、祖国に帰ってこられました」
その言葉が慰めになったかどうかは分からない。だが母親はわずかに頷き、娘を抱きしめた。娘の小さな肩が震え続けていた。
二佐と一等陸曹は深く礼をし、数歩下がった。これ以上言葉を重ねることはできなかった。ただ、背中に突き刺さるような沈黙を感じながら、その場を後にした。
体育館を出ると、冬の冷たい空気が頬を打った。二佐は深く息を吐き、言葉にならない思いを押し殺す。
「透明性と尊厳……それが、彼らを返す唯一の方法なんだ」
誰にともなく呟いたその言葉は、夜空へと溶けていった




