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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン10

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第78章 交換の儀礼



 その谷は、戦火の中にあっても奇妙に静まり返っていた。砲声も銃声も届かない中立地帯。川をはさんで南北に分かれた両軍が、今日は武器を置き、互いに冷たい視線を投げ合っていた。


 ICRCの白い腕章をつけたスタッフが前に立ち、赤十字旗を掲げる。小さな机にはノートパソコンと記録簿が置かれ、交換される遺体のリストが国際標準フォーマットで打ち出されていた。番号、座標、収容日時――無機質な数字が列をなすが、その一つ一つの背後には家族の顔がある。


 日本側の輸送車両が到着すると、冷蔵コンテナの扉が開けられた。白い袋が担架に載せられ、ひとつ、またひとつと降ろされる。袋には赤い番号ラベル。中身が台湾兵であるか、日本の自衛官であるか、あるいは中国兵であるかを問わず、手順は同じだった。


 先頭に立つのは、三佐の階級章をつけた自衛官だった。彼は静かに敬礼し、最初の袋を中国側の兵士に差し出した。袋の端には、かすかに緑色の迷彩布が覗いていた。敵兵であることは明らかだった。


 中国兵たちは一瞬戸惑い、互いに目配せをした。だがICRC職員が頷くと、彼らの一人が前に出て受け取った。袋は丁重に担架へ載せ替えられ、番号が記録簿に記される。


 その光景を見守っていた若い自衛官の胸中に、複雑な感情が湧いた。ほんの数日前、この敵兵は自分たちに銃を向け、仲間を殺したかもしれない。だが今、彼の遺体は番号を与えられ、国際基準に則って尊厳ある手順で返されていく。


 「敵兵にも、家族がいる」

 そう思った瞬間、彼の背筋を冷たいものが走った。


 交換は粛々と進む。両軍の兵士は互いに言葉を交わさず、ただ袋を担ぎ、記録し、渡すだけだった。だがその無言の儀式の中に、不思議な緊張と静けさが漂っていた。


 ICRCの主任が短く告げた。

 「双方、二十五体。確認を」


 日本側の記録係が声を上げる。

 「番号TW-2145、座標北緯23度55分、確認済み」

 中国側も同じ番号を読み上げ、うなずいた。


 こうして一つひとつ、死者は国境を越えて戻されていく。


 最後の袋を渡し終えたとき、三佐は深く一礼した。敵に対するものではなく、袋の中に眠る死者への礼である。その仕草を見た中国側の兵士が一瞬だけ視線を合わせ、同じように軽く頷いた。


 谷を渡る風が、血と火薬の匂いを薄く攫っていった。


 若い自衛官は、自分の手の震えを押さえながら考えていた。戦場では敵味方を区別し、殺し合うしかない。だが死んだ後には、その区別すらも消えてしまう。残るのは、名前と、番号と、帰りを待つ家族の存在だけだ。


 ICRCの車両が出発の合図を送る。白い旗が揺れ、両軍は後退を始める。銃口が再び上がり、戦闘態勢へ戻っていく。しかし数時間前まで行われていた儀式が、確かにここに存在した。


 「敵兵も尊厳を持って扱う」――その国際基準は、戦争のただ中でかろうじて守られていた。


 帰路、若い自衛官は冷蔵車両の後部に腰を下ろした。暗い車内に並ぶ袋を見つめながら、自分がさきほど番号を読み上げた声を思い出す。あの番号は、遠く離れた誰かに「帰還」の知らせを運ぶことになるだろう。


 彼は目を閉じ、静かに心の中で呟いた。

 「どうか、あなたの家族のもとへ

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