第68章 膠着の定義
東京湾の夜は重く沈んでいた。艦橋に設置されたレーダーが低く唸りをあげ、護衛艦群のシルエットが海霧の向こうに並ぶ。その中心に浮かぶ戦艦「大和」の艦内では、臨時政府と日米韓の幕僚たちが厚い隔壁に守られた会議室に集まっていた。
壁面スクリーンには、台湾・朝鮮半島・北海道の戦況図が投影されていた。赤と青の矢印はほとんど動かず、前線は数週間にわたり膠着状態にある。撃破数にも大差はなかった。
しかし、幕僚たちの視線は別の欄に釘付けになっていた。修繕時間(MTTR)と在庫可用率――連日の攻防の痕跡は、そこにこそ刻まれていた。
「敵の補給は完全には潰せていない。我々の補給も絶たれていない。つまり戦線は“凍結”している」
米軍作戦主任が低く言い放つ。
南雲二佐が応じた。
「勝ち負けを“撃ち合い”で定義するのは限界です。今は、どれだけ早く装備を復帰させられるか――それこそが戦局を決める」
沈黙が広がったのち、スクリーンに新しい指標が映し出された。
- E-1(応急修繕):60分以内
- E-2(中整備):48時間以内
- E-3(重整備):10日以内
これが新たに設定された閾値だった。基準を満たせば戦線は維持され、超過すればその部隊は戦力喪失と見なされる。
「勝利の定義を修繕時間に置き換える」
統幕長が静かに言い切ると、各国代表は無言で頷いた。
終盤、前線からの映像報告が大和の回線を通じて送られてきた。花蓮の野戦工房から久我、釜山の列車工場から朴中佐。疲労の刻まれた顔で、彼らは同じ言葉を口にした。
「戦うのは兵器じゃない。時間を繋ぐために我々は動いている」
膠着とは、ただ動かぬ戦線を意味しない。修繕力と時間が互いを削り合う、もう一つの戦場の名だった。
艦橋の余韻
会議を終えた統幕長と米軍作戦主任は、艦橋に出た。夜霧に煙る東京湾は、静かすぎるほど静かだった。
遠方には、臨時政府を護る護衛艦群の灯が点々と浮かび、赤外線センサーが微かに揺らめいている。
統幕長は海を見つめながら呟いた。
「兵器を直す時間を奪われれば、この艦もただの鉄の箱になる」
米軍将官は短く息を吐いた。
「だが時間を取り戻せれば、反撃の条件は整う」
二人の視線の先、湾内の艀群に積み上げられたコンテナ工房が月光に照らされ、影の都市のように浮かび上がっていた。そこには、膠着を破る新たな発想の萌芽が確かにあった。




