第48章 引き渡しの儀式
仮収容所の一角に、簡素な仕切りで囲われた「面会スペース」が設けられた。
蛍光灯の明かりは冷たく、床はブルーシートで覆われている。遺体はすでに番号順に並べられ、防水シートをかけられていた。その前に長机が置かれ、家族は一組ずつ案内される。外で待つ人々の列は途切れず、係員は低い声で番号を呼び続けていた。
「番号、新宿-〇一五七。ご遺族の方、どうぞ」
警察官の案内で、壮年の夫婦が中へ入ってきた。母親は小さく震えながら息子の番号を確かめ、父親は無言で前を見据えていた。袋のジッパーが少しだけ開けられ、顔の一部が露わになる。腐敗の進行は隠しきれないが、特徴はまだ残っていた。母親が声を上げて泣き崩れ、父親は震える手で「本人です」と答えた。検視官は深く一礼し、記録簿に署名を受け取った。
識別確認が終わると、遺族は別室に案内された。そこには遺留品が整然と並び、タグと共に提示される。焼け焦げた財布を手に取った父親は、涙で声を詰まらせた。
「これで間違いない。あいつの財布だ……」
遺族確認は冷徹な制度の一環だが、そこには確かに人の感情が戻っていた。
面会を終えた家族は、その場で引き渡しを望むか、安置を延長するかを選ばなければならなかった。だが火葬場は機能しておらず、仮設の埋葬地へ回される可能性もある。行政職員は丁寧に説明したが、家族の心は揺れ動いた。
「せめて火葬で送ってやりたいんです」
母親の訴えに、職員は頭を下げ、「順番を必ずお待ちいただく形になります」と答えるしかなかった。
この面会スペースには、臨床心理士や宗教者も配置されていた。僧侶は木魚を叩き、短い経を唱える。神父は祈りの言葉を捧げ、遺族の肩に手を置いた。無宗教の人々には静かな黙祷が許され、香や花が用意された。葬送の形式は多様だったが、共通していたのは「別れの場を作る」ことだった。
遺族が声を出して泣き崩れると、心理士が横に座り、手を握って支えた。言葉は少なくても、身体の温もりが人を支える瞬間だった。
とある引き渡しの日、若い女性が遺体の前に立ち尽くしていた。袋の中には、津波で流された夫の亡骸があった。彼女は赤ん坊を抱きながら震え、声が出なかった。係員が袋を閉じようとしたとき、女性はようやく口を開いた。
「この子が……大きくなったら……父親のことを伝えます」
涙で滲んだその言葉は、周囲にいた者すべての胸を打った。
夜になると、収容所の片隅で小さな儀式が営まれた。遺族が望む場合、亡骸の前で花を手向け、線香を焚く時間が設けられた。香煙が立ちのぼり、発電機の唸りに混じって読経が流れる。冷たい蛍光灯の下でも、その光景は確かに「葬儀」と呼べるものだった。
作業員たちにとっても、この引き渡しの瞬間は心を支えるものだった。数百、数千の「番号」が、一人の「名前」と「家族」に戻る。その光景を見届けることで、自らの任務の意味を確認することができた。
だが同時に、面会で取り乱す遺族の姿を何度も目にすることは、彼らの心を深く抉った。心理的負担は限界に近づいていた。
翌朝も、番号を呼ぶ声は途切れなかった。
「番号、品川-〇二七一。ご遺族の方、どうぞ」
都市の廃墟の中で、引き渡しの儀式は続いた。遺体一体ごとに、涙と記録と祈りが重なっていった




