第24章 闇レート
固定相場制を導入してからしばらく、大阪の日銀地下シェルターの空気は、かつてないほど重くなっていた。
1ドル=150円。あの緊急放送で国民は一度は落ち着いた。しかし現実は、時間が経つにつれ、亀裂が走り始めていた。
輸入業者は言った。
「政府は150円でドルを売ると言うが、窓口に行っても“優先枠”ばかりで、我々の番は回ってこない。結局、200円でも250円でも闇でドルを買うしかない」
闇市ではすでに「実勢レート=220円」が常識となっていた。
地下会議室。首相、財務大臣、日銀総裁が再び顔を揃える。
財務大臣が机を叩きつける。
「もう維持できません!150円固定を謳いながら、裏では220円で取引されている。国民は知っているんです。配給所の物価が上がっていることを!」
総裁が静かに応じた。
「外貨準備はすでに4000億ドルを割り込みました。最初の1兆ドルから半年で6割を失った。FRBのスワップ枠も限度に近い。もう“無限の弾”を演じることはできません」
首相は両手を握り締め、深く息を吐いた。
「……だが、150円を手放せば国民心理は崩れる。“円は終わった”という烙印を押される。どうすればいい」
沈黙を破ったのは総裁だった。
「選択肢は三つあります。
一、固定を放棄し、変動相場に戻す。ただし円は一気に250円、いや300円を超えるでしょう。
二、固定水準を“引き直す”。150円をやめ、200円に再固定する。名目の後退だが、外貨消耗は抑えられる。
三、資本規制を強化する。ドル需要を押さえ込むために、海外送金や輸入決済をさらに許可制にする」
財務大臣が即座に反発した。
「資本規制を強めれば、国民の不満は爆発します!学生が留学費を送れない、家族が海外に送金できない、企業は輸入部品を買えない。経済そのものが窒息します!」
首相は眉間を押さえ、うめくように言った。
「だが、変動相場に戻せば“円は紙屑”だと宣告することになる。200円固定か……?」
会議室の空気は凍りついた。
そのとき、防衛大臣が呼ばれ、緊急報告を行った。
「総理、北方海域で輸入燃料タンカーがまた攻撃されました。今後、輸入の8割を“国家枠”で管理せざるを得ません」
総裁は即座に反応した。
「ならば尚更、資本規制と合わせて“国家配給+200円再固定”が現実的です。市場に“まだ日本は相場を守る意思がある”と見せるのです」
財務大臣は唇を噛んだ。
「……つまり、150円を捨てて200円に下げろと?」
首相の顔は蒼白だったが、目だけが鋭く光った。
「我々に残された時間は、あと三か月だ。ならば、200円で耐える。その間にG7から追加支援を引き出す。国民には“戦時の現実”を正直に伝えよう。円は弱った、だが国家はまだ立っていると」
三日後。再び緊急放送が行われた。
「国民の皆さん。150円の為替固定を200円に改めます。これは敗北ではありません。より長く、より確実に皆さんの生活を支えるための措置です」
テレビの画面の向こうで、人々の顔は曇った。だが、同時に「まだ円は生きている」と知る安堵もあった。闇市場は240円をつけたが、政府の新たなラインに押され、やがて落ち着きを取り戻した。
地下シェルターの会議室。首相は窓のない天井を見上げていた。
「半年……持たせた。次は三か月。だがその三か月を稼げば、外からの援助が届く。為替とは、戦争のもう一つの戦線だ」
その言葉に、誰も反論しなかった。




