第22章 戦時で外貨需要が爆発
1. 避難所の母親 ― 「ドルでしか買えないミルク」
体育館の床に敷かれたブルーシートの上、佐和子は泣き止まない赤ん坊を胸に抱いていた。配給は日に一度の缶詰とパン。それでも、赤ん坊には粉ミルクが必要だった。
隣に座っていた年配の女性が囁いた。
「佐和子さん、駅前の闇市で粉ミルクが売られてるって」
彼女の目が輝いたが、次の言葉に凍りついた。
「でもね、円じゃダメ。ドルかユーロでしか受け取らないって」
財布の中には、給料が振り込まれたばかりの紙幣があった。だが、避難所の人々は皆知っていた。円では「買えないもの」が増えていることを。
佐和子は震える声でつぶやいた。
「どうして……私たちの国のお金なのに……」
2. 輸入商社の担当者 ― 「外貨がなければ船は動かない」
大阪港近くの事務所で、輸入商社の若手社員・田嶋は電話を握りしめていた。相手はシンガポールの燃料会社。
「お願いです、原油の契約を続けさせてください。支払いは円ではなくドルで」
受話器の向こうから冷たい声が返ってきた。
「ミスター田嶋、ドル建て以外は受けません。円では決済できない。船は出せない」
彼は顔を覆った。会社の口座には数十億円があった。だが外貨口座の残高はゼロに近い。
上司がため息をつく。
「円なんて、ただの紙切れになりつつある。ドルを持ってる奴だけが、この戦争を生き延びられるんだ」
田嶋の頭に浮かんだのは、燃料が届かなければ街の灯りが消える未来だった。
3. 富裕層投資家 ― 「円を見限る瞬間」
高級ホテルの一室。資産家の松永は、ノートパソコンの画面に釘付けだった。
「闇レート:1ドル=280円」
取引チャットの文字が流れ続ける。
彼は机に積まれた札束を見た。二千万円。昨日まではそれなりの力を持つ金額だった。だが今や、この紙幣の価値は目減りしていくばかり。
「すぐにドルに換えろ。多少高くてもいい」
彼は闇市場の仲介人にメッセージを送った。数分後、返事が届く。
「280円なら即決。今夜、現物で渡せ」
松永はふっと笑った。
「円は終わった。資産を守るのはドルだけだ」
その笑いは勝者のものではなく、故郷の通貨を見捨てる苦い覚悟の色を帯びていた。
結び
同じ日本の戦時下で、母親は赤ん坊のミルクを求め、商社マンは燃料船を必死に繋ぎ止め、投資家は資産を守ろうとドルに逃げる。
――すべてが一つの現実に収束していた。
「戦時には、外貨こそが生存の通貨となる」。




