第21章 為替相場150円固定を巡る激論
大阪・中之島。かつて日銀大阪支店の地下金庫だった場所は、今や臨時の「中央銀行本部」と化していた。厚い鋼鉄扉の奥、蛍光灯が白く照らす部屋には、首相、財務大臣、日銀総裁の三人が並んで座っていた。東京壊滅から三日。円は国際市場で急落し、1ドル=210円をつけていた。
総裁が硬い声で口を開く。
「総理、このままでは市場は円を投げ続けます。昨日のNY市場では一晩で7%安。外貨準備から200億ドルを投じましたが、焼け石に水でした」
財務大臣が机に拳を打ち付けた。
「やはり固定だ。1ドル=150円にラインを引き、政府と日銀が全力で防衛する。宣言すれば少なくとも心理は落ち着く」
首相は深く息を吐いた。白髪がライトに照らされ、疲れを隠せない。
「150円……。あまりにも遠い水準ではないか。市場は210円をつけている。それを一気に60円も切り下げると、外貨を浪費するだけでは?」
日銀総裁が冷静に資料をめくる。
「問題は“量・速度・順番”です。固定を宣言するだけでは闇レートが立ち上がる。維持できると市場に信じさせるためには、外貨の弾薬庫を見せねばならない」
財務大臣がすかさず言葉を重ねる。
「外貨準備は1兆ドルある。米国債を切り崩せば、当面は戦える。さらにFRBとのスワップ枠は700億ドル、ECBも200億ユーロを約束している。弾はある。問題は決断のタイミングだ」
首相は黙り込み、地下室の壁時計を見上げた。針は午前3時を指していた。
総裁が声を落とした。
「総理、金融は血液です。止めれば国家は死にます。円が流通しなければ、明日の避難所で配る食料の代金すら払えません。いま必要なのは心臓マッサージです。完治ではない。時間を稼ぐための強引な手段です」
財務大臣がうなずく。
「150円なら、まだ国民に説明できる。“非常時の安定相場”だと。200円固定では、敗戦色が強すぎる」
首相の眉間に深い皺が刻まれる。
「……だが、固定しても半年もたないのではないか?外貨は尽き、闇レートが跳ね上がる。結局は国民を裏切ることにならないか」
総裁は一瞬目を閉じ、そして言った。
「総理、半年もたせれば十分です。その間にG7からの緊急支援枠を引き出し、輸出産業の再稼働を始める。時間を買うのです。戦争の勝敗は兵力だけでなく、通貨が握る。これは金融の戦だ」
財務大臣が身を乗り出す。
「総理、どうか決断を。いま動かなければ、明日の市場で円は250円に沈む。そうなれば配給も輸入も、すべて止まる!」
首相は両手を膝に置き、長く沈黙した。地下の空調音だけが響く。やがて、かすれた声で言った。
「……わかった。150円で固定する。だが国民に嘘はつかない。“戦時の非常措置”であり、“半年を凌ぐための盾”だと正直に言う。隠せば、闇レートに飲まれる」
総裁と大臣が同時に頷いた。
その数時間後。大阪から全国へ緊急放送が流れた。
「本日より、日本政府は為替相場を1ドル=150円に固定します。国民生活を守るため、国庫と日本銀行は責任を持ってこの水準を防衛します。預金・給与・年金はすべて円で保証されます。どうか冷静に行動してください」
テレビの画面に映る首相の顔は蒼白だったが、言葉には揺るぎがなかった。
市場は一瞬、混乱した。だが、150円ラインに政府が立ちはだかり、ドル売り介入が続くのを見て、投機筋は一部退いた。人々はATMから引き出した札束を握りしめ、まだ価値が保たれていることを確かめ合った。
その夜、大阪の日銀地下室では再び会議が続いていた。固定を守れるのは半年か、三か月か――。だがその瞬間、国家の心拍はかすかに、しかし確かに保たれていた。




