第11章 研究室議論 ― 次の調査地を決める
画面に映るオンライン会議のインターフェースは、仮設サーバに負荷がかかるたびに一瞬ノイズを走らせた。東京壊滅後の臨時政府は、残された光ファイバーと衛星回線をつなぎ合わせて最低限のネットワークを維持している。そこに欧州、日本、アフリカの研究者たちが接続し、それぞれの研究室の片隅から議論を続けていた。背景には、破れたカーテンや非常灯の赤い光がちらつき、どの顔にも疲労の色が濃い。しかし、画面越しの瞳だけは鋭く、議論の温度は決して下がらなかった。
司会役を務める日本側の考古学者・真壁が開口する。
「次の調査地を決めたいと思います。二足歩行については、大地溝帯での成果が一定の結論を出しました。では次に――我々が踏み込むべきテーマは“火の使用”です。人類進化における、最初のエネルギー制御の痕跡に迫りたい」
その言葉に、会議の空気が微妙に揺れた。
「火、ですか……」
画面の一角、ヨーロッパの古人類学者ルグラン博士が眉をひそめる。
「学術的には重要だが、今この状況で最優先に扱う理由はどこにある? 東京は瓦礫と化し、国際社会は分断されている。我々が復興資材を待つ間に、なぜ百万年前の焚き火を追わねばならない?」
当然の疑問だった。研究者たちの間にも同じ思いはあった。だが、その問いに応えたのは科学者ではなく、軌道上から参加していた片倉大佐だった。YMATOの副司令として、地表班の動向を監督する立場にある。
「ルグラン博士、あなたの懸念は理解する。だが忘れないでほしい。東京を壊滅させたのは、爆発そのもの以上に、“火=エネルギー”の制御を失ったことだ。核爆発で電力網は壊れ、都市は冷暗に沈んだ。我々は火を再び失ったのだ。だからこそ、火を最初に手にした人類の歩みを理解することが、復興の鍵になる」
会議室に沈黙が広がった。軍人の口から飛び出したのは、意外にも学術的な言葉だったからだ。
「……つまり、進化史の調査を“現在のエネルギー危機”と接続する、と?」
ルグラン博士が慎重に問い返す。
片倉は淡々と頷いた。
「火を扱うことは、単なる暖房や調理ではない。環境を制御し、共同体を維持する最初の手段だった。今の我々が直面しているのは、まさにその再現だ。都市を覆う暗闇をどう越えるか――人類が初めて暗闇に挑んだときの知恵を、私たちは学び直さねばならない」
日本側の若手研究員・高槻が食い気味に言葉を継ぐ。
「火を使うには、薪を運び、絶やさず、群れで守らなければならなかった。これは“個体”ではなく“共同体”の行動です。今の日本に必要なのは、まさにその社会的連帯のモデルではないでしょうか」
真壁も頷き、候補地を画面に投影する。
「現場候補は三つ。エチオピアのアファール低地やケニアの湖岸層、イスラエルのゲシュール・ベノト・ヤアコフ、そして南アフリカのワンダーワーク洞窟。いずれも火の痕跡が報告されています」
画面越しに映るアフリカの研究者、マレカ博士が口を開いた。
「アファールやトゥルカナ湖岸は化石が豊富だ。しかし火の痕跡となると、自然火災の可能性を完全には否定できない。人類が“持ち込んだ火”なのか“拾った火”なのか、その境界が曖昧だ」
そこで欧州の考古学者エレンベルクが発言した。
「ワンダーワーク洞窟には、焼けた骨や炭化物が数十層にわたり残っている。自然火災が洞窟奥にこれほど繰り返し持ち込まれることは考えにくい。さらに、火にさらされた鉱物片に熔融変質がある。単なる焚き火ではなく、“加工のための熱利用”を示唆している」
この一言に、画面の研究者たちはざわめいた。
藤堂科学主任がモニタ越しに頷き、言葉を選んだ。
「もし火が単なる暖房や調理のためではなく、鉱物や結晶の加工に使われていたとすれば……それは人類が意識的に外部情報を操作し始めた瞬間かもしれない。言い換えれば、“意識拡張の道具”としての火の可能性です」
星野医務官がすかさず反論した。
「しかし洞窟は閉鎖空間だ。未知のカビや古細菌が眠っているかもしれない。検疫を怠れば致命的な感染が起きる。調査には軍事的な厳格さが必要だ」
その言葉に、片倉が割って入る。
「だからこそ軍が関与する。安全と規律を確保した上で、調査を進める。人類が火を使い始めた理由を知ることは、今後のエネルギー戦略にも関わる。科学と軍事、安全と探究――そのバランスをどう取るかが、我々の課題だ」
議論は数分間続いた。だがやがて、全員がワンダーワーク洞窟に視線を集中させた。火の痕跡が連続して残り、さらに結晶加工の兆候がある唯一の場所。
真壁が結論をまとめる。
「次の調査地は南アフリカ、ワンダーワーク洞窟とする。火の起源を探ることで、人類がエネルギーを制御した最初の瞬間に迫る。そしてその知見を、戦後復興の指針とする」
画面に映る研究者たちが一斉に頷いた。崩壊した東京の瓦礫の下で人々が灯りを求めている今、人類が最初に火を囲んだ洞窟を掘り返すことは、単なる過去探求ではなく、未来を照らす行為だった。




