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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン10

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第9章 「歩行から火へ」—講義シーン

 


 大講堂。天井の補修はまだ終わらず、剥き出しの鉄骨が冬の冷気を伝えている。窓の外には、焼け残ったビル群の影と、仮設照明の灯りがちらついていた。東京壊滅後に再建された臨時キャンパスで、学生たちは毛布を膝にかけ、教授の声に耳を澄ませていた。外では復興作業のドリル音が響いていたが、講義室の中だけは静かな時が流れていた。


 「今日は、人類が二足歩行から火の使用に至るまでの道筋を整理する」


 真壁教授は古びたチョークを握り、黒板に二本の線を描いた。一本は「歩行」、もう一本は「火」。その間に長い時間が横たわる。


 「まず、二足歩行だ。これは約500万年前。アフリカ東部、大地溝帯。地殻の沈降で高原が割れ、火山活動が繰り返される中で、気候は大きく乾燥した。森は縮小し、サバンナが広がった。木の上に依存していた猿人の祖先たちは、地上で生きることを強いられた」


 教授は骨格模型の脛骨を掲げる。

 「最初に登場するのがアルディピテクス(Ardipithecus ramidus)だ。およそ440万年前。骨盤はまだ樹上生活に適応していたが、部分的に二足歩行を可能にしていた。そしてアウストラロピテクス・アナメンシス、アファレンシス――『ルーシー』で有名な化石群――ここで本格的に二足歩行が確立する。大腿骨は内側に傾き、膝を体幹の中心に寄せ、長距離移動に耐える構造となった」


 スクリーンには、タンザニア・ラエトリの火山灰に残された足跡が映し出される。約370万年前の“歩み”が、まるで昨日刻まれたかのように鮮明だった。二足で並んで歩いた足跡。そこには、すでに群れで移動する人類の姿が刻まれていた。


 「二足歩行の利点は大きい。まず視野の拡大。草原に立ち上がれば、遠くの捕食者や獲物をいち早く見つけられる。次に移動効率。長距離を歩き続けるには、四足より二足の方がエネルギーを節約できる。そして――両手が自由になることだ」


 教授は模型の両腕を軽く持ち上げる。

 「この“自由な手”こそが、後に石を握り、道具を作り、火を扱う素地となった」


 学生の一人が手を挙げた。

 「でも、火を最初に使ったのはいつですか?」


 教授は頷き、黒板に年代を加える。

 「確実な証拠としては、およそ100万年前、ホモ・エレクトスだ。彼らはアフリカを出て、広くユーラシアに拡散した。ケニアの**クービ・フォラ(Koobi Fora)**では、焼けた骨片や赤熱した石器が見つかっている。自然火災では説明できない局所的な燃焼痕だ」


 スライドが切り替わり、南アフリカ・**ワンダーワーク洞窟(Wonderwerk Cave)**の断面写真が映る。

 「ここは約100万年前。洞窟の深部から灰と焼けた植物片が見つかっている。自然の火がここまで洞窟奥に届くことはない。人間が火を持ち込み、維持した痕跡と解釈されている」


 さらにスライドが進む。中国・周口店(北京原人の遺跡)。黒く変色した地層と石器が並ぶ。

 「ここでも数十万年前の火の痕跡がある。ただし、自然火か人為火か、議論は続いている。燃焼痕の分布が広範すぎるという批判もある」


 学生たちの顔に興奮が浮かぶ。彼らにとって、この講義は単なる過去の物語ではない。東京が壊滅し、文明が一度断絶した後だからこそ、「火を守る」という行為の重みを実感していた。


 教授は再びチョークを動かし、「歩行」と「火」を結ぶ矢印を描いた。

 「重要なのは、火の使用が単なる偶然ではなかったということだ。二足歩行によって両手が解放された。両手で薪を運び、火を囲み、群れで見張り続ける。火を絶やさないことは、個体の能力ではなく、共同体の行動だった」


 後列の学生が小声で呟いた。

 「……じゃあ、歩き始めた時点で、人類は火を使う未来をすでに歩き出していたんですね」


 真壁教授は静かに頷いた。

 「そうだ。二足歩行と火の使用は、時間的には数百万年も離れている。だが、両手の自由があったからこそ、火を扱う日が訪れた。立ち上がった瞬間に、火を囲む未来が始まっていたとも言える」


 外では復興用の重機が鉄骨を引き起こす音が響いていた。学生たちは、百万年前の洞窟の焚き火と、目の前の瓦礫に覆われた都市とを重ね合わせて想像していた。火を絶やさなかった祖先たちの姿は、彼ら自身の「都市を立ち上げ直す営み」と、どこかで響き合っていた。

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