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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン10

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第1章 「瓦礫の講堂」



 長野の山あい、旧防災研究所の地下シェルターを転用した臨時学術拠点。かつての講義棟は東京の火と震に呑まれた。残った研究者たちは、避難民と同じ狭い通路をすり抜け、かつて倉庫だったこの部屋に集うしかなかった。壁には配管が剥き出しに走り、湿気を含んだコンクリートの匂いが漂う。それでも正面には簡易スクリーンが吊るされ、プロジェクターがかすかな光を放っていた。


 スクリーンに映し出されたのは、アフリカ東部の大地溝帯。古代湖の岸辺に残る化石地層の写真だ。地球の地殻が裂けるように沈下した谷間。そこに500万年前、最初の人類の祖先が立ち上がったとされる。


 講義を始めたのは、カークランド教授――本来ならハーバード大学で進化人類学を講じていたが、核と地震で壊れた東京に滞在中だった。彼は帰国を拒み、日本に留まり、避難先のこの地下施設で講義を続けている。理由は単純だった。「人が人をやめないためには、なぜ人になったのかを語り続ける必要がある」。その信念だけが彼をここに立たせていた。


 「諸君。われわれの祖先は、なぜ歩いたのか。500万年前、森が後退し、サバンナが広がった。両手を解放することは、武器を握り、食料を運び、子を抱く自由を与えた。だがそれは、ただの適応ではない。意識の始まりでもあった」


 彼の声はマイクを通して響いたが、時折発電機の唸りにかき消された。聴衆の半分は日本人研究者、残りは欧米とアジアから残留した国際合同チーム。誰もが毛布にくるまり、ノートPCを膝に置き、電源は共有タップに群がっていた。外では瓦礫の街で、避難民が物資配給に並んでいる。だがこの狭い部屋だけは、時間が異なる。人類がまだ火を手にしていなかった頃の物語が語られていた。


 スクリーンには二足歩行の骨盤模型の3D映像が映し出される。ルーシーの骨格、オロリン、アルディピテクス……。研究者たちは疲労に濁った瞳を瞬きもしないで見つめていた。そこには単なる学術以上の意味があった。都市を失い、家族を失った彼らにとって、人類の歩みを語ることは、歩みを止めないための祈りだった。


 「骨の角度を見てください。大腿骨の付け根がわずかに内側へ傾いている。これは直立歩行の証拠です。偶然ではない。環境が彼らを立ち上がらせた。気候が、地殻の裂け目が、彼らを進化へと押し出したのです」


 教授は、スクリーンに映る骨の曲線をレーザーポインタでなぞる。その光はかすかに震えた。だがそれを見ていた若い学生は、まるで祈りの炎を見るような眼差しを向けていた。


 藤堂科学主任は、最前列で静かに腕を組んでいた。火星で発見した多細胞群の映像が脳裏から離れない。500万年前の人類と、いま目の前に眠る火星の生命。時空を越えた二つの物語が、彼の中で重なり始めていた。だが口を開くことはしなかった。ここは学びの場であり、議論の場ではない。あくまで「始まり」を確認するための儀式だった。


 星野医務官は壁際に座り、記録を取っていた。医師としてではなく、今は疫学の視点から「集団の記憶」を保存していた。彼女は心の奥で疑っていた。もし歩行の進化が環境だけではなく、未知の因子――例えば南極や火星で見つかった“結晶”のようなものによっても促されたのだとしたら? だがそれを今ここで言えば、講義はただの寓話として壊れてしまう。だから彼女は筆記を続けた。問いを未来に残すために。


 最後列で野間通信士は、端末を開きながら静かに耳を傾けていた。通信機材の片隅には、数分遅れで軌道上のYMATOから届いたデータが点滅している。だが彼は見ない。教授の言葉に集中していた。――「なぜ歩いたのか」。それは科学の問いであると同時に、彼自身への問いでもあった。東京が瓦礫になった今、人類はなお歩み続けられるのか。


 講義が終わると、部屋に小さな拍手が響いた。乾いた音だったが、確かな温度を持っていた。照明が落ち、スクリーンが暗転すると、再び現実の音が戻ってきた。発電機の低い唸り、外のざわめき、余震で微かに揺れる壁。だが人々の胸には、数百万年の歩みの記憶が刻まれていた。


 藤堂は立ち上がり、隣にいた葛城副艦長と目を合わせた。

 「次は……どこを掘るか、だな」

 葛城は頷いた。講義は終わった。だが調査は始まったばかりだった。


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