第92章 「接続と異変」
火星を回る母船YMATOの管制室は、いつもよりわずかに暗く、端末の光だけが乗員の顔を照らしていた。通信遅延は常に数分。地表班からの次の報告を待つ間、時間は伸び縮みするように感じられた。
そのとき、オペレーター席から鋭い声が上がる。
「外壁センサー、異常値を検出!」
全員の視線が端末へ走った。表示パネルには、ソーラーパネル接合部の温度上昇と微弱な振動が記録されている。わずか数パーセントの変化に過ぎないが、真空環境で安定しているはずの値が動いたとなれば異常は明白だった。
「熱流束……上がっている。だが太陽光強度は一定だ」
「振動周期、安定している。ランダムノイズじゃない」
報告が次々と飛ぶ。通常なら微隕石衝突や電磁干渉を疑うところだが、数値のリズムはあまりにも規則的だった。
「カメラ、船外ビューを拡大」
司令代行の片倉が命じる。
大型スクリーンに切り替わった映像は、冷却フィンの影に寄り添うように付着する半透明の塊を映し出した。大きさは人の頭ほど。赤褐色の光を帯び、ゆっくりと脈打つように収縮と膨張を繰り返していた。
「……まさか、生き物か?」
誰かの呟きが、沈黙の空気を震わせた。
カメラがさらにズームする。ゲル状の表層には、微細な結晶が散りばめられていた。その光沢はただの氷晶ではない。六角格子を思わせるパターンが浮かび、まるで秩序だった信号を刻んでいるかのようだった。
「センサーからノイズ。電磁スペクトルに異常波形……周期が一定だ」
「周波数帯を解析中……これはランダムではなく、繰り返しだ」
オペレーターたちの声が交錯する。
片倉は腕を組んだまま、じっと画面を見据えていた。
「外壁に付着したのは、単なる異物か。それとも……」
返答はなかった。
そのとき、通信ラインが点灯し、数分前に送信された地表班からの報告映像が流れ始めた。氷床から取り出されたばかりの氷コア。その内部に、網目状の構造を持つ多細胞組織が閉じ込められていた。
「多細胞群を発見」
藤堂科学主任の声が、遅れて届いた。画面越しの彼の表情は興奮と恐怖に揺れていた。
管制室の全員が息を呑む。地表での発見と、いま船外に現れている現象。そのタイミングが重なっていた。
「外壁の収縮パターンを照合しろ。氷床サンプルの結晶リズムと比較だ」
片倉の指示に、技術班が走る。数分後、結果が端末に映し出された。
「……一致しています。周期にずれはありますが、基本パターンは同じです」
ざわめきが広がる。
「船体外からの汚染かもしれない」
「いや、これは地表の試料に呼応している……そうとしか思えない」
「通信か? それとも誘導反応?」
議論は錯綜した。もし偶然ならば驚くほどの符合。だが意図的な“反応”ならば、船と氷床の間に何らかの情報交換が行われている可能性がある。
オペレーターの一人が恐る恐る言った。
「これは……単なる付着物じゃない。船を通じて、何かを“語っている”のかもしれない」
その言葉に誰も反論しなかった。
外壁に映る半透明のゲルは、いまも脈動を続けている。モニタに映るそのリズムは、地表のコア映像と不気味に重なり合っていた。
結論は出なかった。ただひとつ確かなのは、この異常が**地表の調査と並行する第二の“発見”**であること。
管制室の誰もが、その意味を口にするのを恐れていた




