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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン9

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第85章 発見 ― 多細胞生物の存在


 観察台の上で、氷コアは薄い白光を抱いていた。表層の透明層を避け、問題の暗帯を含む中層が、カーボン製の保持具に固定される。ラボの温度は零下を維持し、試料の熱履歴が変化しないよう空調は最弱で回っていた。吹き出し口の微細な風が、顕微鏡の筐体に触れるたび、静電気除去のランプが小さく灯る。


 「まずは非破壊」

 藤堂科学主任が短く言い、位相差モードに切り替えた。透過照明が下から、斜入射の偏光が横から当たる。画面に現れたのは、粒子の集合ではなく、面だった。薄い膜のような層が曲面を描き、ところどころで内側に折り込まれている。単なる鉱物沈着なら粒径分布に従ってランダムに散るはずだが、ここでは膜が区画を作り、その区画がさらに連なっていた。


 「コントラスト、上げる」

 オペレーターが応じ、デジタル強調がかかる。膜の輪郭がはっきりした。膜の合間には細い線分――繊維――が架橋のように渡され、六角形の格子を形作っている。格子は乱れが少なく、節点の間隔もほぼ一定。結晶の成長による自然な配向では説明しづらい秩序だった。


 「スキャンに移る」

 藤堂は小型のラマン装置のプローブを顕微鏡下に差し入れた。励起光は最低出力、照射時間は分割。氷のフォノンピークを避けて、目標の膜と繊維だけを掠め取る。ディスプレイに現れたスペクトルには、有機のC–H伸縮由来の緩やかな山と、シロキサン結合に特徴的なバンドが重なっていた。


 「……有機と無機の複合だ」

 藤堂の喉が鳴る。「シリカ骨格に有機ポリマーが絡み、膜を強化している。少なくとも地球で一般的な“細胞壁”とは違う」


 医務官・星野が慎重に口を開く。

 「無機化で硬組織化した生体膜、という仮説は立つ。だがシロキサン優位なら、我々の酵素系や溶媒条件では反応性が読めない。扱いは生体・鉱物のどちらにも倒せない」


 「だからこそ、壊さない」

 葛城副艦長が背後で腕を組む。「非破壊を徹底しろ。次は内部構造だ」


 X線マイクロCTモードに切り替える。平行ビームが氷を通って走査し、スタックが積み上がっていく。再構成画像に、嚢と管が現れた。嚢は大小さまざま、内側に薄い膜が重なり、二重三重の区画になっている。嚢と嚢をつなぐ管は細く、数珠のように節があり、その節に先ほど見た六角格子の節点が重なる。


 「形態は……クラゲ様か。だが殻も骨格もない」

 藤堂が呟く。「嚢どうしが結合し、群体のように連なっている。これを“個体”と呼ぶべきか、あるいは“器官”か……」


 さらに倍率を上げると、嚢の内側に薄片化した膜が幾重にも重なっているのが見えた。その重なりは、まるで葉脈のように枝分かれし、先端で微細な袋に終わっている。袋の内部には、粒子状の影が満ちている。


 「顆粒?」

 野間が思わず声に出す。

 「密度コントラストから見て、有機濃縮相の可能性が高い」

 藤堂が答える。「構造がここまで保たれている……これは、化石というより保存組織だ」


 星野が顎に手を当てた。

「汚染の可能性は? 我々の機材や氷床表層からの混入」

 「表層由来なら層位が崩れる。これは中層の連続帯で、成層の破綻がない。周縁の氷結晶の方位配向とも矛盾しない」

 藤堂の反論は、もう用意されていた。


 「化学染色は?」と野間。

 「使わない」星野が即答する。「水系・有機溶媒系ともに氷の相転移を招く。加温による書き込み(構造改変)のリスクもある。見ないで読む。構造情報とスペクトル、密度マップで積む」


 藤堂は小さく頷いた。

 「なら、偏光のスイープを非同期ランダムで。周期刺激は避ける。結晶配向だけ拾う」


 偏光子を擬似乱数で回転させ、スキャンの各フレームと相関が出ないように設定する。画面上で、繊維束が角度ごとに淡く消え、現れ、また消えた。その可視・不可視の切り替わりが、六角格子の規則性をはっきりと示す。各節点は三方向に等角で伸び、全体が蜂巣状のネットワークになっている。


 「この格子、“張力を分散する設計”だ」

 藤堂の声が早くなる。「脆い氷の環境で、膜を破らないための。生体がこんなトポロジーを取るなら、外圧変動と乾湿変化に耐えたはずだ」


 星野がモニタの片隅に目をやる。

 「嚢の内側に層状の微細空隙……毛細管かもしれない。もし輸送に使っていたなら、これは単細胞の寄せ集めではなく、機能分化した多細胞体だ」


 藤堂は無言でキーボードを叩き、画像の一部を切り出して三次元復元した。嚢はただの袋ではない。基部に厚みがあり、そこから管が伸び、節ごとに壁がわずかに厚くなっている。厚みのピークは一定間隔で現れ、ネットワーク全体に拍動の通り道を思わせた。


 「……流れていたんだ」

 藤堂が息を呑む。「ここを通って、何かを運んでいた」


 野間は端末に短い文を打っては消し、また打った。――“群体構造”“輸送経路”“格子配向”。どの言葉も、まだ決定的ではない。だが「生物」という語を避けるのも難しくなってきていた。


 「最後にもう一つ」

 藤堂がラマンのスポットを繊維の節に重ねた。先ほどより明瞭なシグナル。シロキサンのピークの肩に、弱いが反復性のあるバンドが重なる。周期は格子間隔と一致し、強度は節で増す。構造と化学が同じリズムで並んでいた。


 「作られた秩序だ」

 藤堂は低く結ぶ。「成長が偶然に出すゆらぎじゃない。設計がある」


 沈黙。換気の微かな唸りだけが続く。星野が深く息をつき、言葉を選ぶ。

 「“生物”と断じるのは早い。だが“器官的構造を持つ複合体”であることは否定しにくい。群体的・多細胞的」


 そのとき、モニタの隅で数値が一つだけわずかに跳ねた。背圧センサーの微少変動。誰も声に出さなかった。装置ノイズかもしれない。いまは追わない。


 藤堂は画面を見つめ続け、ゆっくりと口を開いた。

 「これは……化石じゃない。組織がそのまま残っている」


 言葉は静かに落ち、ラボの空気を変えた。ここにいる全員が、同じ結論に向かって歩き始めている。氷の中の“異物”は、ただの記録ではない。機能の痕跡を持ち、秩序を保ち、意図を感じさせる。

 彼らはついに、火星で――多細胞の存在に手を触れたのだ

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