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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン9

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第78章 調査への決断

 

火星の朝は薄い大気を透かして昇る。太陽は低く、小さな白い円にしか見えない。艦内の壁パネルに表示される環境データは「緑(=作業許容範囲)」。数値上は何も問題がなかった。

 ISRU は安定して稼働し、差圧も流量も設計どおり。燃料も酸素も計画値に沿って積み上がっている。緑色のグラフが規則正しく伸びるその様子は、むしろ「理想的」とすら言えた。


 だが、心は安堵しない。昨夜、母船の外壁膜が描いた光の線――あれが指し示す座標が、全員の胸に重く沈んでいた。


1. 朝の会議


 簡素な朝食のあと、四人はブリーフィングルームに集まった。テーブル中央には昨日の投影データが浮かんでいる。

 「ISRU は完全に安定。燃料生成は問題ない」藤堂科学主任が冒頭で言った。

 「つまり、任務の根幹は維持されている」葛城副艦長が短く付け加える。


 佐伯医官が腕を組む。「それでも座標を指し示した現象は残る。幻視の訴えも出ている。精神的負荷は無視できない」

 野間通信士はためらいながら口を開いた。「僕も昨夜、窓の外に影を見た。文字のように並んでいた……。記録には残したが、錯覚かもしれない」


 沈黙が流れた。緑の数値と、赤に近い心の影。その落差が、机上に重くのしかかっていた。


2. 母船からの指示


 8分遅れで、母船 YAMATO からの通信が届いた。山岸准尉の声は淡々としていた。

 《冷媒ループの 7.2 分周期は継続中。外壁膜は呼吸のように膨張収縮を続けている。発光はなし。ただし昨日の座標指定は、誤差範囲を考慮しても一点を指していた》


 続いて南條艦長の低い声が響いた。

 《調査を許可する。ただし帰還計画を絶対に損なうな。探索は“余白(=許容できる資源と時間の範囲)”の中で行え》


 重い一言が艦内に残った。命令は明快だったが、その裏に漂う「自ら判断せよ」という余白が、かえって全員を黙らせた。


3. 誰が行くのか


 葛城が口火を切った。「行くなら二人だ。全員が出れば冗長性が消える」

 藤堂が即答した。「科学主任として現場を見なければならない。私が行く」

 「指揮官の俺も同行する」葛城が続く。


 佐伯は首を振った。「医官は残るべきだ。万が一、事故があれば残留者が対応しなければならない」

 野間も口を開く。「通信を安定させるには、ここにいたほうがいい。母船とのリンク、地表の中継――全部僕にかかっている」


 結論は自然に固まった。

 出発:葛城副艦長、藤堂科学主任。残留:佐伯医官、野間通信士。


 残る二人の顔に安堵はなかった。むしろ「待つ者の不安」が濃く刻まれていた。


4. 準備


 午前中いっぱい、出発準備が続いた。

 ローバー〈MIZUHO〉は格納ベイから引き出され、車輪のロックを解除。バッテリー残量を確認し、原子力電池の出力を併用する設定に切り替える。

 「エネルギー余裕は 40 時間分。往復 30 キロ弱なら十分」葛城が数字を確認する。


 藤堂は採取用の装備を積み込んだ。断熱シリンダー、岩石コアビット、可搬型の顕微鏡観察ユニット。

 「現場で何を見つけるか分からない。だが、何も記録しないわけにはいかない」


 佐伯は出発組のバイタルセンサーを再調整し、酸素残量計の補正をかけた。

 「心拍の閾値を下げておいた。異常があればすぐ赤の警告が出る」


 野間は通信システムを調整し、母船との Ka 帯リンクを強化した。

 「遅延はどうしようもないけど、パケットロスは減らせる」


5. 迷いと決意


 準備が一段落すると、夕食を兼ねた短い休憩が訪れた。

 乾燥スープを口にしながら、野間がぽつりと言った。

 「……もし座標の先に、何もなかったら?」

 藤堂はスプーンを置き、静かに答えた。「それでも意味はある。空振りも結果のひとつだ」

 葛城は目を閉じ、低く呟いた。「だが、もし“呼び出し”だったとしたら……」


 誰もその先を口にできなかった。


 深夜、再び母船からメッセージが届いた。

 《調査を行え。ただし必ず戻れ。未知の解明は次世代に委ねてもよい。お前たちの任務は“帰還”だ》


 葛城は皆の前で読み上げ、短く言った。

 「了解。――戻るために行く」


 その言葉に藤堂も、佐伯も、野間も静かに頷いた。


6. 出発前夜


 窓の外には赤い平原が広がり、夜の影が濃く落ちていた。

 機械は安定して「緑」を示している。それでも心臓の鼓動は速く、どこかで「周期 7.2 分」の脈打ちと重なるように感じられた。


 翌朝、ローバーは北東へ向かう。

 座標の先に待つのは、ただの岩か、それとも――。


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