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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン9

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第65章 製造― 許容差の中の罠


YAMATO火星到着2年前


 アラバマ州ハンツビル。マーシャル宇宙飛行センターの巨大な組立棟は、深夜にもかかわらず昼のように明るかった。蛍光灯と投光器が天井から吊り下げられ、床には黄色い安全ラインが幾重にも引かれている。金属を削る匂いと、樹脂が硬化する甘い匂いが入り混じり、冷却ファンの低い唸りが絶え間なく響いていた。


 その中央に据えられているのが、C-1貨物――火星資源利用(ISRU)ユニットである。人類が火星で生き延びるための心臓部。帰還船の燃料を作る小さな化学工場であり、同時に生存権を握る死神でもあった。


 「触媒の担体、SEMでの空隙率が1.1%偏っています」

 白衣を着た検査官が声を上げた。手元のタブレットに拡大画像を表示させ、周囲に見せる。モニターには黒い微細孔が不均一に並び、一部は焦げ跡のように焼き締まっていた。


 主任技師のローガンが眼鏡を押し上げる。「規定値は±1.5%だろう。なら許容内だ」

 検査官は食い下がる。「ですが、熱サイクルを二年以上繰り返せば、局所応力で担体が崩れる恐れがあります」


 若手エンジニアのモーガンが言葉を継いだ。「YAMATOが到着するのは二年後です。その時点で触媒が劣化していたら、帰還燃料を満たせないかもしれません」


 だが、主任は首を振る。「再焼結に回せば一か月は遅れる。輸送窓を逃せば計画全体が崩壊する。議会も世論も耐えられん」


 重い沈黙が流れた。結局、データは「規格内」として処理され、工程は進んだ。モーガンは作業報告書の余白に赤字でメモを残した。

 「長期ドリフト懸念:活性点の不均一。監視強化必須」


 同じ頃、ニューメキシコ州ホワイトサンズ。砂漠に広がる試験場では、CO₂圧縮機の耐久試験が行われていた。冷却液を循環させた金属シリンダーが、夜の空気を白く震わせている。


 「このロット、シール材の混在が疑われています」

 品質管理担当の女性が声を潜めた。「低温サイクルで摩耗率が規定の二倍近いケースが過去にあります」


 試験主任は険しい顔で答えた。「だが今回は平均値は規格内だ。摩耗寿命は設計2.5年。火星での稼働は二年だろう。問題ない」


 圧縮機は轟音を響かせ、冷却ラインに霜がびっしりと張り付いていた。計器の針は確かに許容範囲内を指している。しかし、その針の揺れに小さな乱れが生じていることに、モニターを見ていたモーガンだけが気付いた。


 ケネディ宇宙センターの整備棟では、Habitatモジュールの膨張試験が行われていた。銀色の筒がゆっくりと膨らみ、内部の骨格が広がるにつれて、布地のような外皮が張りつめていく。空気循環のファンが唸り、計測器が一斉に数値を吐き出す。


 「大流量バイパスバルブ、開閉応答が0.32秒」

 若い技術員が読み上げる。


 「規定は0.5秒以内。合格だ」

 試験主任が即座に答える。


 「でも、この弁は粉塵除去ラインに直結しています。応答が遅れれば、差圧が急上昇する可能性がある」


 主任は答えなかった。背後のガラス窓からは、組立棟に並んだ他のロケット部品が見える。スケジュールはすでに限界だった。


 数日後、ワシントンD.C.で最終審査会が開かれた。プロジェクトマネージャー、NASA本部の局長、議会代表、軍関係者までもが出席する。スクリーンに映し出されたのは、すべてのシステムが「緑」で表示された一覧表だった。


 「全ユニット、規格内。リスクは許容可能」

 議長が告げると、会場に安堵の空気が広がった。だが、モーガンは机の上で拳を握りしめていた。彼の赤字メモは誰の目にも留まらず、ファイルの奥に閉じ込められていた。


 そして、発射の日。フロリダの空は濃い青で澄み渡り、湿った風が観客席を抜けた。打ち上げ台には、C-1からC-3までの貨物を積んだSLS派生ロケットがそびえ立つ。タンクを冷却する液体酸素の白煙が、ゆっくりと地面を這っていた。


 カウントダウンが始まる。管制室のスクリーンには、心拍数のように波打つ数値が並び、観客席の人々は息を呑む。


 「メインエンジン点火」

 轟音が地平線を揺らし、炎が大地を白く染めた。ロケットはゆっくりと宙へ浮かび、やがて雲を突き抜けていく。


 その瞬間、数千キロ離れた地球周回軌道上。YAMATOのCIC「MIKASA」でも、その映像がリアルタイムで中継されていた。艦長・葛城は腕を組んだまま、無表情にモニターを見つめていた。


 「これが、俺たちの命を握る工場か」

 副長が呟く。


 AI「KAEDE」が淡々と告げた。

 《貨物ユニット打ち上げ成功。推定到着:760日後》


 クルーたちは拍手したが、葛城は微かに眉を寄せた。彼の直感は、地上の若き技術者の赤いメモと同じものを、言葉にならない形で嗅ぎ取っていたのかもしれない。


 貨物ロケットは、やがて青空に消えた。地上では歓声が上がり、ニュースは「完璧な打ち上げ」と報じた。だが、報告書の片隅に埋もれた赤い文字だけが、未来の影を指し示していた。


 「もし火星到達後に不具合が顕在化すれば、修復可能かは不明。長期監視必須」


 それは誰にも読まれず、ただ紙の中で眠り続けていた。



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