第53章 討論 ― 文化か遺伝か環境か
壇上に並んだ発表者たちが再びマイクを手に取り、円卓形式の討論が始まった。前列の聴衆席には、各分野の研究者が身を乗り出すように座っている。司会者は短くベルを鳴らし、口火を切った。
「新人の拡散と文化的爆発をどう説明するか――自然淘汰、遺伝子、環境、文化、あるいは外因。立場を明確にしていただきたい。」
まず発言したのは古人類学者シュミット教授だった。
「私の見解は単純です。人口密度が閾値を超えたことで、技術と知識の伝播が加速した。つまり“文化の飛躍”は社会的相互作用の必然的な結果なのです。」
会場の一角で拍手が起きる。しかしすぐに文化人類学者チャンが反論した。
「人口密度だけで説明できるでしょうか? ショーヴェ洞窟の壁画や副葬品は、実用性を超えた象徴体系の誕生です。狩猟効率の向上や集団規模の拡大と直結するとは考えにくい。」
シュミットが眉をひそめる。
「象徴は余剰の産物です。生存基盤が安定したからこそ、余剰の時間と資源が象徴表現に費やされた。それ以上でも以下でもない。」
「違います。」チャンは声を強めた。「象徴は単なる余剰ではありません。集団のアイデンティティを可視化し、未来の計画を可能にした。象徴の登場こそが文化爆発の核心なのです。」
そのとき、遺伝学者西村博士が静かにマイクを取った。
「DNAデータの観点から申し上げます。新人のゲノムには、調節領域の変異が集中しています。脳の可塑性を高め、柔軟な学習を可能にした。これが文化爆発を支えた基盤だと考えます。問題は――その変異があまりに急速に固定されたことです。」
会場がざわついた。
「通常、こうした変異が個体群全体に広がるには数万年単位が必要です。しかし現実には数千年で世界中に広がった。これは偶然の淘汰圧では説明困難です。」
気候学者ハディード博士が手を挙げた。
「私は環境要因を重視します。氷期と間氷期の変動は、人類の移動と適応を強制しました。サピエンスはこの環境変動に適応し、他種より優位に立ったのです。」
西村が首を振る。
「確かに移動の契機にはなった。しかし象徴表現の集中は気候安定期に見られる。環境圧力だけでは説明できません。」
議論は白熱していった。
哲学者ラルセンが静かに口を開いた。
「諸氏の議論を聞いていると、どれも一理あります。しかし核心は、“偶然の積み重ね”で象徴的思考や未来志向が生まれたのか、という点です。もし偶然ではなく、外部の触媒が作用したとすれば――我々の進化史は自律的なものではなくなる。」
会場の空気が一瞬止まった。外因介入説。タブーに近い言葉が再び浮上した。
AI研究者マリクがゆっくりとマイクを握る。
「私はAIモデルを用いたシミュレーションを行いました。人口密度、遺伝変異、気候要因を組み合わせても、象徴体系の爆発的拡散を完全には再現できません。モデルが示すのは、“外部からのトリガー”の必要性です。」
「外部?」司会者が問い返す。
「例えば、未知の環境要素、あるいは他種との接触による学習促進。人類が自力で積み重ねただけではなく、外部からの信号や圧力が加わって初めて臨界点を越えた――そうした可能性です。」
会場の後方から質問が飛ぶ。
「それは異星文明の介入を想定しているのか?」
マリクは首を振る。
「そこまでは言いません。ただ、外因の可能性を“排除しすぎない”ことが重要だと考えます。」
討論は三つの立場に収束していった。
•環境起源説:気候変動と人口密度の必然。
•遺伝起源説:ゲノム変異の加速とその効果。
•外因介入説:未知の触媒が飛躍をもたらした。
司会者は最後に言った。
「本日の議論で確かなことは、文化爆発を単一の要因で説明するのは不可能だということです。自然淘汰、遺伝、環境、文化、そして外因――すべてを組み合わせてなお、謎は残ります。」
会場に沈黙が広がった。熱い討論の果てに残されたのは、むしろ説明の余白だった




