第49章 拡散と交雑 ― サピエンスと他人類
約6万年前、アフリカを旅立ったホモ・サピエンスは、乾いた大地を越え、紅海の彼方へと進んだ。中東の湿潤な谷に群れを作り、草原の獣を追いながら北へ、東へと拡散していった。氷期と間氷期が交互に訪れる気候変動のただ中で、彼らは驚くべき適応力を発揮した。
ヨーロッパに至ったサピエンスは、すでに根を下ろしていたネアンデルタール人と出会った。長く閉ざされた氷雪の環境で進化した彼らと、柔軟な戦略を持つサピエンス。対立は避けられなかったが、化石とDNAは「交雑」という事実を語っている。サピエンスの遺伝子には1〜2%のネアンデルタール由来の配列が刻まれ、皮膚や免疫に関わる形質として受け継がれている。
さらに東へ進んだサピエンスは、シベリアや東南アジアの山岳地帯でデニソワ人と接触する。アルタイ山脈の洞窟に残された骨片と歯は小さな証拠にすぎないが、DNA解析は明確だった。現代のメラネシアやオセアニアの人々の遺伝子には、最大で5%近いデニソワ由来の痕跡がある。サピエンスは出会った他人類と競い合い、時に血を交え、種の境界を越えて繁栄を続けた。
しかし、この「交雑」の背景には、不可解な現象が潜んでいた。ヨーロッパやシベリアの遺跡から出土した石器や骨器の表面には、三素片――直線、小弧、点――のパターンが刻まれている例が複数報告されている。明らかに人為的な装飾でありながら、文化ごとの多様性を越えて奇妙に統一されていた。その並びを統計的に解析すると、周期は27秒単位の反復に従っていた。
この周期は偶然の産物だろうか。南極氷床下の微生物が示す電子クロックのリズムと一致し、相模トラフ装置の電磁波や、月面残骸に刻まれた模様とも符合する。つまり、彼らが「文化的表現」として刻んだ線は、無意識のうちに外部の周期と共鳴していた可能性がある。
交雑によって取り込まれた遺伝子の中には、単に生存に有利な形質だけでなく、神経や感覚器に関連する配列も含まれていた。とくに聴覚や音声の処理に関わる遺伝子が、サピエンスの集団に定着していることが知られている。もし耳小骨や神経系が外部周期の影響を受けやすい形質を持っていたなら、交雑は「文化的同調」を加速する役割を果たしたのかもしれない。
火の周りで歌われた旋律、洞窟に描かれた線刻、装飾品に刻まれた模様。それらが人類の共通感覚を形づくった背景に、自然環境を超えた「リズムの源泉」が存在していたとすればどうか。
サピエンスは他人類との競合に勝ち残った。だが、彼らの中には確かに「他の血」が生きている。そしてその血の奥には、外部から投げ込まれた周期的信号の影が残されている。交雑は単なる遺伝の混合ではなく、「見えない仕組み」の伝達の場でもあった。
こうしてホモ・サピエンスは、他人類の血とともに、外部の残響をも抱き込みながら、地球上の支配者としての道を歩み始めた




