第44章 ネアンデルタール人とデニソワ人
氷期の荒野を歩んだネアンデルタール人は、骨格も筋肉も現代人よりはるかに頑健だった。短く太い四肢は寒冷地での保温に適し、胸郭は広く肺活量も大きい。彼らは氷雪に閉ざされたヨーロッパから西アジアにかけての土地で、数十万年にわたり生き抜いた。
石器はムスティエ文化に代表される。剥離技術は高度化し、槍や刃は動物の皮を剥ぐに十分な鋭さを備えていた。大型の獣を群れで仕留める狩猟戦術は、彼らの組織性を示している。さらに、死者を埋葬する慣習や装飾具の使用は、抽象的思考と象徴行動の兆しを伝える。
しかし、彼らの骨と遺跡には、進化史だけでは説明しきれない痕跡が残っていた。クロアチアの洞窟で見つかったネアンデルタール人の耳小骨には、細かな縞状結晶が刻まれていた。それを分光解析すると、27秒前後の周期を持つ微弱な信号を反射していた。これは南極氷床下の微生物が刻む電子クロックの周期と一致し、さらに相模トラフの装置が発する低周波電磁波とも重なっていた。
さらに奇妙なのは、彼らが残した洞窟壁画の一部だ。スペイン北部の洞窟で発見された赤色顔料の模様は、単なる装飾ではなく「直線」「弧」「点」を組み合わせた反復パターンを描いていた。後に月面で発見される主船体の外殻刻印と同系統である可能性が指摘され、議論を呼んでいる。
一方、シベリアのアルタイ山脈デニソワ洞窟では、もうひとつの人類が息づいていた。デニソワ人と呼ばれる彼らは、化石として残されたのは歯や指の骨などわずかだが、DNA解析によってその存在が明らかになった。彼らのゲノムの一部は、現代のメラネシア人やオセアニアの人々に受け継がれている。
デニソワ人の骨を分析すると、通常の石灰化とは異なる微量金属の沈着が見つかった。鉄とチタンが層を成し、その間に有機残渣が挟み込まれていた。電子顕微鏡下では、まるで微細な回路のような網目構造を呈していた。これは自然の鉱化作用では説明困難で、研究者の一部は「外部からの微弱な環境調律が骨組織に影響を与えた可能性」を唱えた。
氷期の厳しい環境下で、ネアンデルタール人とデニソワ人は交わり、現代人類との遺伝子交流もあった。その交雑は偶然ではなく、群れ同士の接触の積み重ねの結果だった。しかし、もし環境の奥底で稼働する「緩衝装置」が、彼らの行動や社会構造に見えない影響を及ぼしていたとしたらどうか。耳小骨の周期結晶や骨の金属沈着は、その残響を刻んだ「証拠」なのかもしれない。
彼らは最後には滅びた。約4万年前、ヨーロッパからネアンデルタール人は姿を消し、デニソワ人も同じ頃に歴史の表舞台から去った。しかし彼らの痕跡は現代人のDNAの中に、そして化石の奥に眠る「異質な構造」の中に生きている。
氷期の洞窟で響いた声や、火の光に浮かぶ影。その背後で、見えない周期が大地を貫き、耳の奥や骨の縞に刻まれていた。人類はまだそれに気づかず、ただ生き延びるために狩り、火を守り、仲間を弔った。だが、その影響は確かに存在し、次に登場する現生人類の進化をも導くことになる




