第38章 猿人 ― 二足歩行の始まり
アフリカ大地溝帯は、地球規模の大断層が地殻を裂き、湖と山脈を連ねる巨大な帯となっている。約600万年前、その環境は猿人たちの進化を強烈に揺さぶった。隆起と沈降が続き、森林は縮小し、草原が広がり、湖沼は季節ごとに姿を変える。緑に覆われた世界は次第に開け、そこに暮らす類人猿の一部は、やむなく地表に降り立った。
彼らはまだ完全に二足歩行ではなかった。サヘラントロプスやアルディピテクスの骨盤は狭く、膝関節は中途半端な構造だった。それでも直立の兆候は確かに見られ、歩幅は森の中の枝渡りとは異なるリズムを持っていた。
骨格からは「意図せぬ変化」が読み取れる。後頭部にある項靭帯の付着痕が強まり、頭を安定させて長時間歩行に適応していたのだ。やがてアウストラロピテクスが姿を現すと、その変化は明確になった。骨盤は広がり、脊柱はS字を描き、二足歩行は日常となった。
彼らの手は、自由を獲得した。森の枝を握るための道具ではなく、地上で石や木片を扱うための器官へと変わり始めた。まだ石器は生み出さなかったが、骨や木の棒を掴み、食物をこじ開ける程度の工夫はしていたと考えられる。
脳容量は400〜500cc。現代人の3分の1にも満たない。しかし、ここに進化の重要な分岐があった。サバンナに進出した猿人は捕食者の危険に晒される一方、広い視界と両手の自由を手に入れた。これは後の人類進化にとって不可欠の基盤だった。
研究者たちは、この時期の猿人化石に不可解な痕跡を発見している。大腿骨や腰椎の化石を走査電子顕微鏡で観察すると、骨質に沿って微細な金属沈着が規則的に並んでいたのだ。天然の鉱化作用として片付けることもできたが、沈着の間隔は驚くほど一定で、まるで「拍動する信号」に呼応した痕のようだった。
南極氷床下で見つかった非有機微生物が示す代謝もまた、同じ周期性を持っていた。氷下で数百万年単位の時間を超えて活動を維持してきた彼らは、電子クロックのように一定の振動数を刻む存在だった。学者の中には、猿人の骨に残る金属沈着は、この種子由来の仕組みが環境緩衝装置を介して影響を及ぼした証左ではないかと考える者もいる。
アウストラロピテクス・アファレンシス――その代表格「ルーシー」の化石は、320万年前の姿を今日に伝えている。彼女の骨盤と脚は、長距離の歩行を可能にする構造を備えていた。彼女の暮らす世界は、サバンナに点在する林や湖沼の間を移動しながら食物を探す、過酷な日常であった。だがその体には、すでに「歩くこと」を前提とした形態が組み込まれていた。
そして、歩くことは視点を変える。草原の向こうまで見渡す力は、捕食者をいち早く察知するための手段であると同時に、仲間との協力を促す要因となった。二足歩行は群れの行動を変え、社会性の萌芽をもたらした。
ここで改めて問われるのは、「なぜ彼らは二足歩行を選んだのか」という進化の核心だ。環境変動の圧力は確かに大きかった。だが、骨に刻まれた微細な沈着が偶然ではなく周期的な外的影響の痕跡であるなら、人類の歩みは純粋な自然淘汰だけでなく、外部の「調律」によって方向づけられていたのかもしれない。
ルーシーの歩いた大地に響く足音。それは人類史最初のリズムであり、地球の奥深く、あるいは外から投げ込まれた仕組みと、静かに共鳴していた可能性がある。




