第18章 温床の誕生
降下から数か月が過ぎた。自己展開型熱源は、地殻の奥で安定的に稼働を続けていた。放射性鉱物の崩壊熱と、周囲の岩盤に閉じ込められた地熱を組み合わせて駆動する仕組みは、外界の変動とは無縁であった。氷と岩石を溶かしてできた空洞は、すでに直径十メートルを超え、小さな地下湖を形成していた。
水温は摂氏二十度前後に維持され、常に緩やかな対流が起きていた。熱源から立ち昇る気泡は鉱物粒子を巻き上げ、湖全体を攪拌する。水は透明ではなく、赤褐色の微細な沈殿物が舞い、光を透過させることはなかった。しかし、その濁りこそが、原始的な生命に必要な養分の源であった。
湖底には、鉄や硫黄を含む鉱物が層をなしていた。最初に放出された有機前駆体は、この鉱物表面に吸着していた。やがて分子同士が結びつき、膜様の構造体を作る。水に浮かぶ薄いフィルムのようなものが重なり、さらに気泡に包まれて球状の小胞へと変化する。小胞の一部には、カプセルに仕込まれていた微生物プロトタイプが入り込み、内部で代謝を始めていた。
代謝は単純だった。鉄を酸化し、硫化物を還元することで電子を得る。その電子の流れは鉱物格子からの電位差に支えられ、熱源が供給する熱エネルギーがそれを補強した。生成された副産物は酸性の溶液となり、湖底の鉱物を溶かして鉄イオンや硫黄をさらに供給する。こうして一種の正の循環が生まれ、原始的な「食物連鎖」に似た構造が形作られていった。
時間が経つにつれ、小胞群は水面近くへも浮上するようになった。熱源がつくる気流が上昇流を生み、そこに乗って小胞が運ばれたのである。水面近くは岩盤の亀裂から弱い光が差し込むことがあり、そこでは光吸収性色素を持つ小胞が優勢となった。紫外線を遮蔽するための色素は、同時に電子を叩き起こす役割を果たし、代謝効率を高めた。
こうして湖の内部には、階層構造が生じていた。
•湖底:鉄・硫黄依存の群体。安定だが光には無縁。
•中層:鉱物と熱流に依存した混合群体。浮遊と沈降を繰り返す。
•表層:光を利用する小胞群。短命だが分裂速度が速い。
閉鎖された空洞の中に、まるで縮小された生態系が出現していた。
しかし、これで安定に終わるわけではなかった。熱源の出力はわずかに変動し、水温が上下する。数度の差でも小胞にとっては生死を分ける要因となり、環境に敏感な群体は淘汰された。また、湖底の沈殿物が厚くなりすぎると代謝が滞り、一度に多くの群体が死滅することもあった。
それでも、完全な絶滅には至らなかった。常に一部の群体が環境変動に適応し、新たな安定を模索した。小胞の膜は世代を経るごとに複雑化し、内部に鉱物微粒子を取り込んで安定性を高める系統が現れた。中には、膜内に結晶を核のように保持し、代謝のリズムを強化するものさえいた。
この空洞は、惑星全体から見れば砂粒のように小さい存在だった。しかし、ここにだけは恒常的な熱と水があり、生命の萌芽が絶えず揺らぎながらも続いていた。外の世界がどれほど寒冷で乾燥しても、この地下湖は独自の「気候」を持ち続けていた。
自己展開型熱源は沈黙のまま稼働を続ける。外界に知らせることなく、ただ数百万年先を見据えて安定を保ち続ける。その沈黙の下で、微生物たちは確実に多様化を始めていた




