第17章 降下と展開
その惑星は、すでに静かに老いを迎えつつあった。薄い大気は荒れ果てた砂嵐に削られ、太陽からの熱を保つことができず、表面は氷と砂漠に覆われていた。海はとっくに干上がり、かつての河川の痕跡だけが谷筋に残っている。表層に生き物の姿はなく、夜は氷点下百数十度にまで冷え込み、昼は乾いた光が岩を焼いた。
そんな世界の上空を、一つの微小な物体が滑るように通過した。数億年もの漂泊の末、精密な重力計算によって導かれた軌道をたどり、惑星の引力に捕らえられたのである。大気は薄く、減速の摩擦はほとんど起きなかった。それでも外殻はあらかじめ想定された耐熱層によって、表面の砂粒と微小な衝撃を受け止める。
物体――すなわち自己展開型熱源カプセルは、流星のように大地へと降り立った。着地点は氷と砂が混ざり合った高原地帯。衝撃で外殻は花弁のように割れ、中心から展開機構が露出した。外殻の断片は周囲に散らばり、鉱物由来の触媒として後に利用されることになる。
中心部から伸びたのは、金属質の触手のような脚だった。自律的に動くそれは、岩盤の割れ目を探り、ゆっくりと地中へ潜り込む。やがてカプセル全体が氷層の下に沈み、表層からは完全に姿を消した。
内部の制御核は、惑星の地熱流を検知していた。火山活動は衰退していたが、それでも地殻深部にはわずかな熱が残されていた。カプセルはその熱勾配を利用し、小規模なリアクターを自ら形成した。核分裂ではない。放射性鉱物、潮汐による微小な歪み、岩石中の化学エネルギーを複合的に組み合わせ、持続的に熱を発生させる仕組みだった。
数日後、岩盤の一角に小さな空洞が生まれた。カプセルの熱で氷が融け、閉じられた水の池が出現したのである。内部は摂氏二十度前後で安定しており、周囲よりもはるかに温暖だった。外の世界が極寒と乾燥に支配されている中、この空洞だけがまるで春の泉のような環境を手に入れた。
やがて、カプセル内に封じられていた有機前駆体が水中に放たれた。炭素と水素を含む単純な分子群でありながら、鉱物表面で自己組織化しやすいよう設計されている。さらに数種類の微生物プロトタイプ――まだ「生命」と呼ぶには不完全な代謝構造体――も放出された。彼らは外界に触れればすぐに壊れるほど脆弱だったが、この空洞は違った。熱源が安定した温度を供給し、鉱物壁が外界からの放射線を遮蔽していたからだ。
最初の数週間、微生物群は池の底に沿って定着し始めた。鉄や硫黄を含む鉱物から電子を奪い取り、化学合成の代謝を駆動する。代謝の副産物として酸が生じ、岩石を溶かしてさらなる栄養を引き出した。カプセルの熱源は、ただ温度を与えるだけではない。水の対流を生み、養分を攪拌し、微生物群の拡散を助けていた。
外界から見れば、この惑星は依然として死の世界でしかなかった。だがその氷の下、数メートル四方の空洞に、生命の温床が芽吹いていた。赤い砂漠の地下で灯った小さな「生態ドーム」。それは孤立した泡のような存在であったが、未来の進化の全てがここから始まろうとしていた。
自己展開型熱源は静かに稼働を続けた。出力は弱いが持続的で、数百万年という時間を想定して設計されていた。外界がいかに荒れようとも、このドームだけは守られ続けるだろう。そこに生きる微生物群は、やがて外の環境に触れ、新たな試練に挑むことになる。
だが今はまだ、ただ静かな鼓動が地下に響くだけだった。冷たい惑星の大地の奥で、命の最初の揺らぎが密やかに始まったのである




