第16章 恒常性の確立
惑星の海は、ついに決定的な転換点を迎えた。軌道のわずかな変化と火山活動の停滞が重なり、大気は急速に薄まり、表層の温度は低下し続けた。かつて広がっていた浅い海は氷に覆われ、液体の水は深部の熱水域に限定されていった。生命の拠点は、外界に依存した場所から地下や海底へと押し込められ、表層で繁栄した系統はほとんど姿を消した。
しかし、残った群体はただ耐えていただけではなかった。彼らはすでに「核」から学び取った安定性を、自らの内部に刻み込んでいた。
内部核の模倣
原始細胞の内部には、鉱物格子に似た微小な結晶構造が出現していた。これは外部のカプセル核をそのまま取り込んだものではなく、長期の進化の中で細胞自身が模倣して作り上げた構造だった。結晶は鉄と硫黄の錯体からなり、電子の流れを保持し続ける性質を持っていた。
これにより、放射性核種の崩壊エネルギーが減衰しても、内部で代謝サイクルを維持できるようになった。外界の化学エネルギーに頼らずとも、細胞は一定のリズムで電子を流し続ける。まさに「恒常性」の獲得であった。
外界との二重依存
それでも完全に外界を切り離したわけではない。熱水噴出口や鉱物層から得られる鉄や硫黄は依然として必要だった。しかし、これらはもはや「命綱」ではなく「補助燃料」に過ぎなくなった。内部の核が律動を刻み、外界の資源はそれを強化するだけの存在となった。
この二重依存構造は、生命を劇的に強靭にした。氷期が訪れようとも、火山活動が弱まろうとも、内部の核が代謝を安定させるため、群体は滅びることがなかった。外界の供給が止まれば縮小し、戻れば拡大する。それは「環境に従属する存在」から「環境を利用する存在」への移行だった。
群体の秩序化
次第に、群体は互いのリズムを同調させるようになった。内部核の電子流が発する微弱な電場が、隣接する細胞に影響を与え、群体全体で安定した周期を刻む。これは偶然ではなく、生存戦略だった。群体全体が同じリズムを持つことで、資源の消費と代謝産物の利用が効率化され、外界の変動にも柔軟に対応できた。
その結果、群体は単なる集合ではなく、秩序ある共同体へと進化した。細胞同士の役割分担はまだ明確ではなかったが、群体としての安定性は一つの個体に近づきつつあった。
惑星の過酷化と生存
惑星全体は寒冷化の極に達し、大気はほとんど失われた。表層は永久氷床で覆われ、放射線が直接降り注ぐ死の世界に変貌した。だが深部の海底では、群体がまだ律動を保っていた。熱水噴出口の周囲で電子が流れ、内部核の周期がそれを安定化させていた。
外界のほとんどが生命に適さない環境となっても、彼らは存続した。生命が自らの内部に安定を築くという、この惑星史上初の突破口を得たからである。
次代への礎
やがて数千万年の時を経て、この「恒常性を持つ系統」から、より複雑な代謝を持つ生物が派生していくことになる。細胞の内部に小器官のような構造が生まれ、代謝経路が多様化する。その基盤となったのは、かつて銀河の彼方から降り注いだ「エネルギー共生型カプセル」の核であった。
それはもはや外来の遺物ではなく、生命そのものの一部へと組み込まれていた。惑星が過酷であろうと、生命は自らの内に「秩序」を持つ限り、存続を続けることができる。
氷の下の暗黒の海で、群体は静かに揺らめいていた。外界の混沌とは無関係に、内部の核が刻む電子の流れは途切れることがなかった。その安定した律動こそが、未来へと続く進化の礎――恒常性の確立だった。




