第14章 環境との結びつき
惑星の海は決して穏やかではなかった。火山弧が活発に噴き上げ、海底には新しい鉱物が絶え間なく供給されていた。硫黄を含む熱水噴出口からは、硫化鉄や酸化マンガンの粒子が泥の中に降り積もり、赤茶色の堆積層を形成した。そこは原始細胞群にとって格好の舞台だった。
鉱物格子を核に抱えた原始細胞は、周囲のイオンに触れることで、新たな反応を試みるようになった。鉄イオンは電子の受け渡しに都合がよく、硫黄化合物は酸化還元の中継点として機能した。電子勾配に依存する彼らにとって、これらの物質は「補助燃料」となり、代謝の幅を広げるきっかけになった。
最初は偶然の産物だった。ある群体が硫化鉄粒子に囲まれ、そこに生じた電位差が代謝ループの一部を加速した。その群体は他よりも分裂速度が速く、結果として優勢になった。別の群体は酸化鉄の堆積域に入り込み、鉄の酸化還元を利用してより安定したエネルギー収支を確保した。こうして群体ごとに環境資源との「結びつき」が始まった。
海底の地形は常に変動していた。噴火で新しい鉱物が供給される一方、冷却と沈降で古い堆積層は埋没する。そのたびに群体は分断され、別々の環境に適応を迫られた。だが核が刻む電子のリズムは共通しており、どの群体も基本の代謝サイクルを失わなかった。つまり、変化に適応しながらも「共通の安定」を保持できたのだ。
時間が数百万年と流れるうちに、群体の多様化は加速した。
- 一部は浅海へ進出し、紫外線に晒される中で光吸収性色素を取り込んだ。光が電子流を増幅することを知ったのである。
- 別の群体は深部の熱水噴出口に定着し、硫化水素を取り込み、酸化反応で電子を得るようになった。
- さらに一部は放射線の強い鉱物層に棲みつき、アルファ線やガンマ線そのものを利用する代謝を強化した。
こうして、複数の「生き方」が派生していった。だがどの系統にも共通していたのは、カプセル由来の核が刻むリズムだった。放射性元素は徐々に減衰し、供給するエネルギーは弱まっていった。しかし、核の構造そのものが「電子流のパターン」を細胞内にコピーする役割を果たし、代謝系はその記憶を模倣するように固定化されていった。
環境に左右されない核の安定と、環境資源を取り込む柔軟性。その両方が揃ったことで、生命は単なる化学反応から一歩進み、惑星全体に広がる勢力となった。
惑星表層は激変を繰り返していた。海が蒸発しそうになるほどの火山期もあれば、氷が広がる寒冷期もあった。それでも、核を持つ原始生命は滅びなかった。電子勾配のリズムは揺るがず、変動する外界をしなやかに乗り越えた。
この時期、生命は初めて「環境と共生する」という性質を獲得した。もはや核だけに頼る存在ではなく、外界の鉱物と化学的に結びつくことで、進化の可能性を飛躍的に広げていったのである。
夜の海底で、硫黄の匂いを帯びた熱水が立ち昇り、その周囲に原始群体が泡のように揺らいでいた。小さな膜の内部では電子が流れ、外の鉱物からは新たなエネルギーが供給される。そこにあったのは偶然ではなく、必然的な結びつきの萌芽だった




