第9章 絶滅と継承
銀河の工房から届いた種子は、太陽系のあらゆる舞台で試みを重ねていた。しかし、そのすべてが成功に至ったわけではない。多くの試みは途中で途絶え、痕跡を残すことなく消えていった。だが、その失敗の連鎖もまた、後の成功を支える布石となった。
火星はその典型であった。かつて海をたたえ、熱水の循環を持ち、プロトセルが生成と破壊を繰り返した「青い惑星」も、数億年を経て次第に乾いていった。小さな質量は大気を保持するには不十分であり、磁場も消失し、太陽風が直接地表を削った。海は蒸発し、氷は極冠と地下に隠れ、残された生命の芽は急速に住処を失った。もし初期のプロトセルがあったとしても、環境の劣化はあまりに早すぎた。
一方、地球は安定していたわけではない。巨大隕石の衝突は繰り返され、そのたびに海は蒸発し、表層の化学系は一掃された。表面で進んでいた進化は、何度も「やり直し」を迫られた。それでも、種子は地球の至るところに播かれていた。海底の熱水噴出孔、潮汐帯、湖底の堆積層。破壊されても別の場所で連鎖が始まり、失敗と再試行が積み重なった。
銀河の工房の種子には冗長性があった。数え切れないほどのカプセルが同時に存在し、失敗しても他が試みを続けた。個々の実験は短命でも、全体としては連続性を失わなかった。絶滅は部分的であり、全滅には至らない。これこそが、進化の基盤を築いた。
氷の衛星エウロパやエンケラドスでも同じである。海が存在しても、エネルギーが不足すれば反応は途絶える。火山活動が弱まれば、化学反応の駆動力は失われ、沈黙だけが残る。それでも、何千万年、何億年という時間を経て、再び活動が始まるかもしれない。種子は長く待つことができる。凍結は「死」ではなく、「保留」であるからだ。
この「絶滅と継承」の繰り返しは、神の視点で見れば無目的な化学の揺らぎに過ぎない。しかし人類が振り返るとき、それは明確な意味を持つ。生命は一度の試みで生まれたのではなく、数え切れぬほどの試みのうち、失われなかったものが積み重なった結果である。
現代の地球に残る痕跡は、この過程を物語っている。古い岩石に刻まれた炭素同位体の異常、ストロマトライトの痕跡、分子進化の系統樹。そこに共通するのは「途絶しなかった連鎖」である。失敗と絶滅は無数にあったが、わずかに生き延びたものが未来へ継承されてきた。
種子は滅びと継承を繰り返しながら、ついに地球の海で安定した自己複製系を築いた。これが「生命」と呼ばれるものの始まりとなる。しかし神の視点では、それも特別な奇跡ではなかった。銀河のあちこちで同様の試みが繰り返され、その一部だけが長い時間の果てに形を残す。それが生命史の本質であった




