第8章 氷の衛星たち
地球と火星が海を揺籃に生命の芽を試みていた頃、太陽系の外縁でも別の舞台が用意されていた。木星と土星をめぐる氷の衛星群である。表面は厚い氷に覆われ、昼も夜も区別のない冷たい世界。しかし、その下には液体の水が広がっていた。潮汐加熱と呼ばれる仕組みが、内部に熱をもたらしていたのだ。
木星の衛星エウロパ。氷殻は数十キロの厚さを持つが、下には全球的な海が広がり、深さは100キロを超えると推定される。その海は岩石質のマントルと接触し、熱水噴出孔が形成されていた。硫化物や金属イオンが溶け込み、化学エネルギーを豊富に供給していた。太陽光の届かない暗闇でも、反応は止まらない。
土星の衛星エンケラドス。直径わずか500キロの小天体だが、南極からは氷と水蒸気の噴煙が吹き出している。宇宙探査機はその中に有機分子や塩類を検出した。小さな世界の内部にまで、液体の水と化学反応の舞台が存在していたのだ。
銀河の工房から送り込まれた種子カプセルは、これらの氷の衛星にも到達していた。彗星や小惑星が衝突すれば、内部に閉じ込められたカプセルは氷の割れ目から沈み、海へと届く。そこでは高圧下で安定した脂質前駆体が小胞を作り、鉱物表面で分子が連鎖を試みた。
今日、我々が持つ証拠は断片的だ。カッシーニ探査機が記録したエンケラドスの噴煙に含まれる有機分子。エウロパの表面に見える複雑な割れ目模様と塩の堆積物。どれも直接の生命証拠ではないが、同じ種子がここでも芽を試みたことを示唆している。
神の視点から見れば、太陽系の各所で同じ実験が並行して進められていた。地球、火星、エウロパ、エンケラドス。それぞれ条件は異なり、結果も異なる。だが重要なのは、種子が「一つの星に賭けられた」わけではなく、太陽系全体に分散されたという点である。生命が誕生しなくとも、試みは数多く行われ、その一部が成功する確率を高めた。
もしエウロパやエンケラドスの海に自己維持的な化学系が芽生えたなら、それは地球とは無関係に進んだもう一つの歴史となっただろう。人類が未来にそこを訪れ、分子の痕跡を見いだした時、地球生命の起源を再考せざるを得なくなる。生命は地球固有の奇跡ではなく、銀河の工房が織りなす普遍的な産物であることを。
氷の衛星たちは沈黙を守り続けている。厚い氷の殻の下、暗黒の海の中で、数十億年にわたる試みが進んでいるのかもしれない。その結果がどのようなものであれ、確かなことが一つある。生命の種子は、地球だけでなく、太陽系のあらゆる水のある場所に播かれていた




