第48章:悲劇の選択
その直後、大和艦橋にいる艦長と副長の耳にも、特徴的なエンジン音が届き始めた。それは、甲高く、そして狂気を帯びたような、レシプロエンジンの唸りであった。水平線の向こう、夜明けの光の中に、漆黒の機影が、編隊を組まず、突き進んでくるのが見えた。
零式艦上戦闘機。彼らの翼には、それぞれ異なる部隊のマークが描かれている
「日本海軍機、視認!特攻機です!艦長、針路警戒!」大和の見張り員の声が響き渡る。
先頭の一機が、大和の上空、わずか高度100メートルほどの低空を、猛烈な速度でフライパスしていった。その瞬間、大和の巨体を微かに震わせるほどの轟音が響き渡り、操縦席に座るパイロットの顔が、一瞬だけ、鮮明に見えたような気がした。
白く引き攣った口元、その瞳。それは、帰還を許されない、捨て身の覚悟を宿した、若者の顔であった。機体の胴体下部には、250kg爆弾が確認できた。
大和へ!艦長、特攻機に対し、即刻帰還を命じるよう具申いたします!彼らを死なせる必要はありません!本土の未来のために、彼らの命を救うべきです!」片倉は、通信回線を繋ぎ、大和艦橋の艦長に直接語りかけた。
大和艦橋では、艦長が、まっすぐに空を見上げていた。彼の顔には、微塵の動揺も見えない。副長は、無言で艦長の隣に立ち、同じ空を見上げている。
片倉の通信が大和艦橋のスピーカーから流れる。艦長は、その言葉を静かに、しかし全身で受け止めていた。彼の脳裏には、焦土と化した本土の惨状、そしてこの特攻作戦に志願し、自らの命を国に捧げようとする若者たちの姿が浮かんだ
「…応じられぬ」艦長の声は、静かに、しかし鋼のように固かった。「彼らは、すでに命を捨てている。彼らの進む道を、我々が阻むことはできぬ」。
「しかし!彼らは生きて帰るべきです!この戦いの無意味さを、我々が伝えれば…!未来は変えられます!」片倉は、なおも食い下がった。彼の声は、もはや懇願に近いものだった。
だが、彼は片倉の言葉を遮った。「貴官らが未来から来たことは信じる。その知識が、沖縄の戦局を変え、我々に希望を与えたことも。
だが、彼らの覚悟は、貴官らの知る『道理』や『合理性』では測れぬものだ。彼らは、それぞれの信じる『大義』のために、自らの命を捧げているのだ。その行為は、貴官らには『無意味』に見えるかもしれぬが、彼らにとっては、それ自体が『意味』なのだ」。
特攻機は、大和の上空を旋回すると、1度だけ翼をふり、そのまま南方へと向かって飛んでいった。その機影が、水平線の彼方に、やがては小さな点となり、そして完全に消えていくのを、両艦の乗員たちはただ見送るしかなかった。
片倉大佐は、静かに通信回線を切った。




