4話 警告
イチハと小林は二人で一頭の馬に乗って山を降りていく。
朝もやが立ち込めるはがね山。陽光が霧を透かして大地を照らし、地面からは湯気が立ち上る。
馬の足元では白い霧が渦を巻き、蹄の音が湿った空気に吸い込まれていく。
それから数時間して、イチハは口を開いた。
「姫さん、一個だけ聞いてもいいか?」
後ろにいる小林へイチハは話しかける。
「何かしら?」
「後ろから着いてきてる奴は姫さんの護衛って事でいいよな?」
イチハは後ろの木の茂みの方向を目線で追った。
「あら、よく気づきましたね」
「誰もいない場所で人の気配がしたら気づくぞ。後、たまに殺気が俺に飛んでくる」
「それは……だめね。後で注意しなきゃ。ねぇ、守りきれるか心配?」
小林は顔を近づけながら耳元でイチハに問いかけた。温かい吐息が耳に触れる。
「おい、のぞき込むな」
イチハは小林を押しのけようとしたが小林が前を見ていることに気づいて見上げる。
霧の向こうに、白壁の町並みが浮かび上がっていた。重厚な樫の木で組まれた門は、まるで異界への入り口のように佇んでいる。
「姫さん、どうする?」
イチハが町へ入るか確認する。
「行きましょう。あなたが守ってくれるでしょう?それにお腹も空きました」
「わかった」
イチハは答えながら馬首を門へ向ける。
二人が門まで近づくと、門番が槍を片手に近寄ってくるのが見えた。
がっしりとした体躯の中年の男で、片手に槍を持ち、腰には短剣を差している。目つきの鋭い男だ。
その眼光に射抜かれそうになった時、小林が自然な仕草でイチハの腕に手を絡めてきた。
「お、おい」
イチハは小声で抗議の声を上げるが、その温もりが不思議と落ち着きを取り戻させる。
「ここへ何の用だ?」
門番は二人を見上げながら問いかける。片手で持っている槍も軽く握っているだけなので警戒もしていないだろう。
「私たちは近くの山で商いをしている夫婦で皇都に仕入れに行く途中なのです。今晩だけでもこの町に泊まろうと思っています」
小林が門番へ説明をする。
「そうか。今は、軍が引いたばかりで皆気が立ってる。問題は起こすなよ」
そう言って通してくれた。
門を抜けてから、イチハはホッと息を吐いた。
「姫さん、お見事」
「あら、イチハも緊張した主人役として中々の演技でしたよ」
小林のからかうような声を無視しながらイチハは町の中へ進んだ。
街の中は、静寂が漂っていた。
背負いカゴを担いで野菜を売る商人も、布を広げて魚を並べる店も無い。
通っている人もぽつぽつとしか居ない。
「なんか寂れてるな、何も無いじゃないか」
食事も期待できそうにない。イチハは溜息をついた。
「よくこんな時に来たねぇ。戦が始まるってんで皆逃げましたよ。残った物も将軍様が買い上げなさって、何にも無くなっちまった」
町の食材を扱っている主人も宿屋の主人も同じ応えだった。
「姫さん、どうする?町の外に出て鳥でも取ってくるか?」
「それではあなたが休まらないでしょう、私は食べなくても大丈夫ですよ」
小林はそう強がりながらお腹を鳴らした。
「ははは。何かお困りの様子ですね、あぁ怪しい者ではありませんよ、と自らが言うと怪しいですかね」
それを見て笑いながら初老の男性が声をかけてきた。
白髪が肩まで掛かる柔和な顔で日に焼けた太い腕が高級な絹の着物を通っているので不釣り合いに見える。
「失礼、私は河田と申します。商いを営んでおり、ここに拠点を一つ構えております。あそこにある建物が私の商館なのです。よろしければそこで御食事でも如何ですかな?」
「良いのですか?」
「困っている旅のご婦人を放ってはおけませんよ。」
そう言って河田はイチハと小林を案内してくれた。
少し坂を上ると商館の全貌が見えてきた。
一言でいうと、異質だった。
木造ではなく、真っ白なレンガを積み上げて造られた三階建ての建物。
アーチ型の大きな窓が整然と並び、屋根の先端には鳥の様な装飾が連なっている。
太陽の光を浴びて白壁が輝き、まるで異世界のようだ。
「これは...帝国風の建築ですね」
小林の驚きを含める言葉に、河田は満足気に頷く。
「はい。帝国調の白レンガ造りです。中の部屋、今夜出る食器類、装飾品も全て帝国製です。」
河田はおいと一声かけると一人の男が馬を預かり、二人を部屋へ案内してくれた。
案内された部屋は白を基調とした明るい空間で、床には精緻な模様の絨毯が敷かれ、優美な曲線を描く木製の長机とソファが置かれていた。
「どうぞ、お掛けください」
柔らかなソファに身を沈めると、イチハは思わずため息が出た。朝からの緊張が一気に緩む。
小林も、普段の凛とした表情を僅かに緩ませている。
河田は目配せすると、給仕の女性が薄紅色の酒を注いでくる。
「葡萄酒です。シナモンと柑橘を利かせた、夏向きの味に」
テーブルの上には、イチハと小林が見たこともないような料理が並んでいた。
「さあ、どうぞお召し上がりください」
河田が笑顔で言った。
「羊の肉のローストです。これをそこのパン生地に載せて食べてください」
「羊の肉?町の人はこういったのも食べるのか」
イチハは戸惑いながらも、興味津々《きょうみしんしん》な様子で料理を見つめた。
「以前、皇都での晩餐会で似たような料理をいただいたことがありますがそれ以上に美味しいです」
小林は優雅にナイフとフォークでとりわけながら感想を伝えた。
「帝国との交易で、こういった食材や調理法も入ってきているんです。皇国の食文化も、少しずつ変わっていくかもしれません」
河田はワインを飲みながら答える。
イチハは小林が取り分けてくれた羊肉を口に運んだ。
初めて口にする味に、思わず目を見開く。
村で食べている肉よりも香りも味も複雑で変わっていて面白い。
顔に出ていたのか河田は同じものを作るよう給仕に命じている。
イチハがおかわりの肉もたいらげた時に河田は口を開いた。
「実は、貴女様のご身分は既に気づいております。しかし、不用心ですぞ。こんな少人数で堂々と町にお入りになるとは」
「そういう性分なもので」
小林は微笑みながら言い切る。
「ご心配なく。外には漏れないようにしております。ですが、知っておいていただきたいことがございます」
河田はワインを傾けながら続ける。
「ですが、知っておいていただきたいことがございます」
彼は声をより低く抑えた。
「私は船の貿易で生計を立ててまいりましたが、ここ最近はことさらに大きく品の取引が出来ておりました。その理由が、関所による陸の物流の停滞でした。ですが、それは小林様のご尽力により解決されました。皇国の輸送が再び陸路に戻り、私どもの独占的な利益は減っていくでしょう」
小林は表情を変えることなく聞き入っていた。
河田は続ける。
「私自身は帝国との物資の輸出入で利益を得ておりますので、そこまでの変化や痛手はありません。しかし、小さな商人たちは違います。彼らには帝国まで行けるほどの大きな船がありません。かなりの数の商人が、貿易商としての生計を立てられなくなるでしょう」
小林は静かに杯を口に運んだ。
「つまり、小林様。あなたはかなりの怨みを買うことになりました。今日のところは大丈夫でしょう。ですが、明日、皇都への道をお二人で行くのはお止めになった方がいい。私が用意する馬車に乗りなさい」
沈黙が流れた後、イチハが口を開いた。
「なぜそこまでしてくれるんですか?」
河田は立ち上がり、夕暮れの町を見下ろした。
「私はどなたにでも恩を売っておきたいのです。生き残るためにね。外の景色は常に変わります。そんな時代の生き残る術なのです」
河田は再び向き直った。
「さて、お二人ともお疲れでしょう。今日は早めにお休みになることをお勧めします」
イチハと小林は客人用の寝室へと案内された。
簡素だが清潔な部屋。窓の外には月の光が差し込んでいる。
「イチハ、今夜も見張りを?」
「ああ、当然だ」
「それならば私の部屋に居なさい。その方が守りやすいでしょう?」
イチハは頷いた。
小林はすぐに寝息を立て始めた。
イチハはその隣に椅子を置いて腰掛る。
関所を並べ、その裏で儲けている連中から恨みを買ってでも民の為に動いている姫。
だが、それ自体が国から喜ばれていないのか、ちっぽけな人数の護衛を連れて家に帰ろうとしている。
イチハにとって小林は報われない可哀想な存在に思えた。
だからこそ皇都まで護り通さねばならない。
窓から夜の星を見ながらイチハは闇をにらんだ。