3話 月夜の誘いと刃
こうして皇国内での内乱は回避された。
その後、関所は数を減らし、陸路での交易が活発になり皇国は元ある形へ戻っていく。
皇族の小林によって、表面上は平和が保たれたものの、二人の将軍には火種がくすぶったままであった。
そんな中、羽鐘山の麓にある小さな村に訪れる者がいた。
一人は村の誇る風の神能者、トオル。そしてもう一人は、皇族の小林阿宮だった。村人たちは驚きを隠せない様子で、二人の到着を見守っていた。
村長である大じじの家に招かれた二人は、家の中心にある囲炉裏を囲んで、トオル、小林、大じじ、そしてイチハの四人が座っている。
お互いの紹介が終わり、大じじが自ら調理した山菜汁を器によそうと、小林に向かって差し出す。
「どうぞ、お口に合うといいのですが」
大じじは続いて、木目の綺麗な丸皿に焼いた川魚を載せる。
小林は優雅に箸を取り、「いただきます」と食べ始めた。
「とても美味しいです。都よりも美味しい魚が食べれるなんて思いませんでした」
小林は少し首をかしげながら微笑む。
「山の水が清いからな。魚も果物もなんだって美味いのさ」
トオルは自慢げに話しながら魚にかぶりついている。
「イチハ、この前ワシに話してくれたことをもう一度説明してくれんか?」
大じじはイチハに視線を向ける。なるほど、このために俺を呼んだのだろう。
イチハは皆の視線を感じ取り、話し始めた。「実は...先日、森の奥できみょうな光を見ました」
「光だぁ……?」
トオルは魚をほおばりながらも怪訝な視線を向けた。
小林は箸を置いてイチハを見つめている。
「その場所へ向かうと森は死んだように静かで、中心の光を覆う様に木々がうねってる。光は脈打っていて心臓みたいに動いているし本当に不気味だった」
イチハは言い切った後、山菜汁をかきこんでおかわりをした。
「そんなのは見た事ねぇな」
トオルは訳が分からないという顔をしている。
「山で何か起きているのかもしれぬのぅ。獣もいきりたっとるのも偶然ではないかもしれん」
大じじも考え込みながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「イチハさん、そこに私も連れて行ってもらうことはできないかしら」
小林は胸に手を当ててイチハに身体を寄せながら話した場所に連れて行ってもらう様お願いをした。
「イチハでいい。ケモノが出ると言っただろ。連れて行けない」
「そうですか、残念です。話してくれてありがとう」
微笑みを向ける小林の隣で大じじが軽くうなずいている。
もう用無しという事だろう。
「見張り番をしてくる」
イチハはぺこりと軽く頭を下げて家を出た。
夜が更けた。
星空の下、イチハは小林が寝泊まりする家の近くでかがり火を置いて寝ずの見張りをしている。
干した草と枯れ木で出来た扉が開く音がした。
イチハが振り返ると、そこには小林が立っていた。
「眠れなくって」
夜空を見上げながら小林が近寄ってくる。
「小林さん。」
「だめ、小林か姫さんって呼んでください」
小林は微笑んで言った。
「じゃあ、姫さん。ここにいるのは良いが遠くには行かないでくれよ」
「なら此処でお話していいかしら」
そう言って、木の柵に腰を掛けた。
「貴方はトオルさんの息子でしょう?村を守る役目みたいなのは継いでいくの?」
「なんだそんな事、当たり前だ」
「生まれた頃から決まっている事よね。重荷には感じない?」
「考えたことが無い。自分はそうあるべきだと思ってやっている。大体、姫さんも同じだろう?」
「ふふ、お互い縛られている事に気づけてないのかもしれませんね」
「かもな」
イチハは会話を切り上げた。考えても仕方ないことは考えないことだ。
「そういえば、山で見た光の現象。アレが悪いモノを引き寄せてるとしたら?」
小林は更にイチハに近寄ってこちらを大きな瞳で見続けている。
「何故そう思うんだ」
「最近、皇国の北側では大型の獣による被害がとても増えているの。そして謎の光の報告も併せてね」
「じゃあ、あの光が原因で熊蜘蛛がデカくなったっていうのか?」
「そう。しかもあの光はね」
イチハも小林に近寄り目を向ける。
小林の汗の匂いがした。
お互いがお互いの思ったことに気づいたのか小林はパッと離れる。
しばらく二人は黙って夜空を見上げていたが小林が口を開いた。
「ごめんなさい。少し水浴びをしたいのだけど……」
「わ、わかった。すぐ汲んでくる」
小林の赤らめた顔を見てイチハはあわてて動き出した。
イチハが水がたまった桶を運んでくると、小林は木陰に隠れて水浴びの準備を始めた。
彼女は優雅な動きで着物の上半身をゆっくりと肩から下ろす。しゅるりという音がした。
イチハは背を向けるが横目で追ってしまっていた。
月の光が彼女の姿を柔らかく照らし出す。
月の光に照らされた影が、近くの岩に映し出される。その影は女体の丸みを帯びた美しさを表現していた。
しなやかな首筋から肩にかけてのなだらかな曲線、そして胸元の柔らかな膨らみも美しく浮かび上がっている。
イチハはその姿に見惚れてしまい息を呑んだ。
水滴が滑らかな肌を伝って流れ落ちる。
イチハは視線をそらすべきだと頭では分かっていながら、その光景から目を離すことができなかった。
だが突然、イチハはチリチリとした殺気を背後から感じる。
木々の間から黒い影がぬるりと現れた。
月明かりに照らされたその姿は、骸骨のように痩せ細り、白髪交じりの髪が笠の端からのぞいている。
鼻はくの字に曲がり全身を黒いマントで覆っている。
その男は胸元に手を伸ばしこちらに何かを投擲する。
イチハは左手を前に突き出して振り下ろした。
神能の力により風が軌跡に沿って巻き起こり投擲物は速度を失う。
骸骨男はイチハへ距離を詰め、懐から刀で切り払った。
「くぅッ!!」
イチハは後ろへ跳躍し毛先が触れるほどだったが回避する。
「な、何事です!?」
小林はイチハの後ろでオロオロしている。
「姫さん。俺から離れないでくれ」
対峙するイチハと骸骨男。
いや、1人ではない。闇の中からは複数の息遣いが聞こえる。
イチハは足元にあった投槍器(槍を遠くまで飛ばすための細長い木の道具。先端に返しが付いておりそこに槍をはめ込み投擲する。)用の長い矢をいくつか握り込み空へ投げ捨てた。
「伏せろ!!」
骸骨男は即座に叫びながら腰を落として構える。
次の瞬間、イチハは両腕を前へ広げてグッと両手を握り込んだ。
突風が吹き、矢が恐怖しか湧かない音を鳴らしながら
闇へ目掛けて飛んでいく。
小さい悲鳴がいくつか響いた。
間髪入れず、イチハは投槍器を構えて次弾を放つ。
渾身の一投。
自然界では聞くことのない死の音を響かせ、それは骸骨男の頭部へ走る。
刀で受け流した火花が脂汗を垂らしている骸骨男の顔を照らした。
イチハは息を大きく吐き山刀を構え直し相手を見据える。
「ガガ様、どうします」
部下の一人が骸骨の男へ向けて口を開く、どうやら頭目はガガと呼ばれているらしい。
「チッ!!こんなのがうじゃうじゃいる村で戦うもんじゃねーな。めんどくせぇ」
ガガと呼ばれた男はやる気を失ったような低い声で喋り始め、構えを解き腰を上げる。
「おい撤退だ!」
片手を上げながら言い終わるか否か、灰色の煙幕が辺りに広がった。イチハが風で煙を払うと、刺客の姿は既に消えていた。
「イチハ!」
突然、背後から柔らかな感触と共に小林が抱きついてきた。
「ありがとう。助けられましたね。怪我はないですか?」
「あぁ、平気だ。それより服を着てくれ」
松明を持った村の男たちが騒ぎを聞きつけて次々と集まってきた。
「皆、姫さんを頼む。俺は親父を起こしてくる」
翌朝、村長の家に昨日の4人で集まり、小林は早急に皇都へ戻ることが決まった。
「姫様。皇都までの護衛としてイチハを付けさせていただきたい」
トオルは小林に向かって言った。
「なに、俺の足元にもおよばないですが、兵士が何人束になってもコイツなら大丈夫ですよ」
トオルは誇らしげに息子を見た。
「そうしていただけると私も安心です。イチハ、よろしくお願いします」小林は深々と頭を下げた。
「親父、俺一人だけでも良いのか?なんなら親父が...」
「馬鹿、大人数つけたらそれこそすぐ気付かれちまう。それに俺は俺でやる事があんだよ」
トオルは真剣な面持でイチハを見つめた。
「クソガキ。絶対に守れよ。約束だ」
イチハはうなずいて立ち上がる。
朝日が差し込みイチハの顔を照らし出していた。
「行こう」