2話 南北の対立、関所攻防
皇歴1492年7月
羽鐘山を上流にして、降りた先の川沿いには桜鈴館という別荘がある。
此処は皇国の政治を執り行なう政官達が自らの慰労の場所として建てられた別荘だ。
帝国で切り出された大理石の床、皇国で取れた千年杉を柱や窓などに使った金のかかった作りで、庭先には桜が植えられており花見をしながら酒と女を味わうのが
彼等の余暇の過ごし方であった。
その2階、窓から煙草を吸いながらだらしなく腕をついている男がいた。
40歳を過ぎ、髪も白くなりつつあるその男は、外の騒ぎとは関係のない役人だった。
彼はそれをうんざりした顔で眺めていた。
浅い川辺を挟んで北と南の将軍が陣を構えている。
喧騒やら太鼓の音やら実にやかましい。
まぁ、この建物で行われてる会議もやかましさは同じだったが。
この北と南両軍で行われた和平会議では誰もが自分の得になることを言い、他人の意見には全て反対し攻撃していた。
話し合われているのは両軍の速やかな撤退。
そして、お互いの関所を減らすこと。
必要のない場所を見つけ出す事が目的だった。
北の将軍、佐馬鉦と南の将軍、杵桐は、かかしのようにたくさんの関所を作り、市民からお金を取っている。
※関所とは通行や物資の運搬に課金される検問所である。
さまがねは馬を売ったり、川の工事を請け負って財を集め、きりぎねは私兵を使って用心棒の仕事をしたり、お金を貸したりして儲けている。それなのに、まだ金を欲しがるのは底なしの恥知らずというやつだ。
このくだらない関所の乱立によって皇国内の物の流れは止まっていると言って良い。
物を売ろうとして外に出るだけで借金を背負う様なものだ、誰も陸路で商いをしない。
男がため息を吐きながら考え込んでいると、重い木のドアが開いた。
休憩の終わりにはまだ早い。
そんな熱心なのが居たかと不思議に思い振り返る。
すぐに表情が変わり、立ち上がって45度お辞儀をした。
「お疲れのようですね」
優美な声が響く。現れた女性は細身の流麗な身体つきで首まで届く短めの黒髪、前髪は目元近くまで伸び、瞳は大きく深い緑色で呑み込まれそうになる。
着ている服には、下腹部辺りに太陽を描いた赤と金の大きな輪が横に並んでいて、重なっている部分には桜の花の刺繍が縫い込まれている。
この模様をつけているのは皇族だけだった。公に禁止はされていないが誰も使っていない。
「はい、姫様。お気遣い、恐れ入ります」
名は小林阿宮。皇族であり、皇主の補佐役として政務を務める執政官だ。歳は24になる。
「誰かとお話しをしたい気分なんです。よければ相手を務めていただけませんか?」
「もったいないお言葉です。喜んでお付き合いさせていただきます」
近くにあった椅子を引き出し、小林を座らせる。
軽くうなずきながら小林は席につき、自分も腰を下ろした。
他愛もない話をするも、直ぐにやりきれなくなり再度煙草を吸い、煙を吐く。
この人の前では正直に全てを吐き出したくなる。
そんな妖しい魅力があるのだ。
「終わりが見えませんね」
「ええ。ですので、次の手を打たせていただきました」
男は向き直った。相手の緑の目はこちらをじっと見つめていた。
「それは……?」
わからないという顔をしていたのか、小林は品のある微笑みを浮かべて説明した。
「将軍両名の話し合いでは解決が難しいと判断しました」
なので皇主の力によって解決をするとの事。
前日から既に使いの者を走らせている事。
今日の和平会議は中止になった事を教えてくれた。
夕暮れ時、はがね山の麓にある川辺では、南の将軍の軍勢が陣を張っている。
陣の中には、戦争が始まる寸前の緊張感と高揚感で騒がしさの中にツンと張り詰めた感じがあった。
かがり火の前で槍を持ち、見張りの番をしている兵士の前に1人の男が現れる。
黒い髪の中に、雷が走ったように長い白い髪が交じり、背は高くないが厚い胸板、そして腕の筋肉から戦士としての迫力を感じさせる。
少し垂れた目尻が、歳と普段の人柄を表していた。
また、白と藍の組み合わせの着物に、革の帯を締めている。帯には山刀が差してあり、全体的に質素ながら気品が感じられた。
その男がイチハの父、トオルだ。
彼は風を自在に操る力、神能を持つ者として知られている。神能は皇国では珍しい力ではないが、トオルのようにそのチカラを完全に使いこなせる者は少ない。
トオルは兵士に歩み寄った。
兵士は警戒しながらも、彼の威厳ある姿に圧倒されている。
「南の将軍、杵桐殿にお目通り願いたい」トオルの声は、風に乗って響き渡った
何度か兵士同士のやり取りがあり、山刀を預けた後で将軍であるきりぎねの前に通された。
「何の用だ、山の守り手よ」
トオルは懐から一通の書面を取り出した。
「皇主からの親書です。お読みください」
きりぎねは動かず、トオルの近くにいた兵士がそれ以上近づくなと警戒しながら書面を取り上げた。
兵士が目を通すと、その表情は驚きで歪みトオルときりぎねを交互に見る。
「なんだ?話せ」
きりぎねは兵士をにらみ急かした。
「は、はい。読み上げます。
我ら皇国の平和と繁栄のため、ここに以下の通り通達する。
一、関所の即時撤去を求める。その管理及び運営は、皇族である小林阿宮が責任を持って執り行うものとする。
二、戦争による双方の不利益を避けるため、速やかに軍を撤退させること。
三、撤退に関する費用については皇国内で持ち出すことを許す。
なお、この命への返答が皇国の将としての器量を問うこととなる。
右、確かに承知されたし。
皇主」
きりぎねは面白そうだという余裕の表情で手を軽くあげた。
兵士は読み上げた書面をきりぎねに手渡す。
その時、きりぎねは何かを兵士へささやいている。
きりぎねはトオルへ向き直した後、口を開いた。
「さまがねにも、この書面を?」
「はい、北の将軍様にも今お読みいただいている所です」
トオルは冷静に続けた。
「皇主様はただ、無駄な争いを避けたいだけです。小林様が関所の管理を引き受けるなら、将軍殿の負担も減るでしょう」
「負担が減る?」
きりぎねは低く笑う。
「我々から利権を奪っておいて、随分と綺麗事を並べる」
「将軍殿」
トオルが言葉を継ごうとした時、きりぎねは歯を見せながら手を挙げた。
その瞬間、杵桐の背後にいた兵士たちが一斉にトオルに襲いかかった。
トオルは大きく息を吐くと同時に、両手を広げた。
突如、強烈な風が巻き起こった。
兵士5、6名が、まるで紙人形のように宙に舞い上がり、10メートルほど後方に吹き飛ばされた。
間を与えず、残った配下が間合いを詰め剣を振り下ろす。
トオルはそれを紙一重でかわし、風の力で男を放り投げた。
きりぎねが静かに立ち上がる。
上段に構えた刀が一閃。
目にも留まらぬ速さで振り抜かれた一撃を、トオルは兵士が落とした槍を拾い上げ受け止めるが、その威力に地面を削りながら後退する。
きりぎねの剣が通った場所では、地面が深く抉られ、草が摩擦熱で燻っている。
トオルが体勢を立て直した時、背後の空で光が弾けた。
青く輝く照明弾──北の軍が撤退の合図を上げている。
「将軍殿」
トオルは静かに口を開く。
「相手はあなたを信じて下がっています。その背中を斬るおつもりですか?」
きりぎねは一瞬、トオルを見つめ、やがて刀を鞘に収めた。
「軍を下げろ」
配下たちが素早く動き出す。
トオルは深く頭を下げた。