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2.ライバル

 夕刻の儀式を代わってほしいと神官長に告げられて、トルカットはわずかに眉を上げた。

「何か問題ですか」

 突然のことだったので尋ねると、神官長は白くて長いひげをもじゃもじゃといじくって少し言いにくそうにしたあと、

「実はノースリエカから商人が来ていてさ。その……、しゃ……、写本を、すぐに見たくて……」

「クソジジイ」

 もじもじと指を組みながら告白する上司をトルカットは罵倒した。要するに緊急でも何でもない、ただの趣味活じゃねえか。

「やだこわい……」

 つい口走ってしまった本心に、神官長はしゅんとして縮こまってしまった。トルカットは子供時代を少々ガラの悪い地方神殿で育ったこともあって、通常運転で口が悪い。規範を示すため部下たちの前では気を付けているが、上司ならいいだろうとトルカットは通常とは真逆の判断に至っていた。とりわけこんな不良上司相手には。

「神事よりも趣味を優先させるのは構いませんが、正気を失わないうちに役職を降りる判断をするのも業務の一つであると存じます」

 神官長の自覚がないらしいなクソジジイというのをご希望通り丁寧な言葉で包んで言うと、

「うーん、君は丁寧に喋ったほうが怖いねえ」

 当の本人はひげを撫でつけながらのんきな感想を述べた。ここまで言われてなおも趣味活を自重しようという結論には至らないあたりがやはりクソジジイである。

 そういうわけで、今トルカットは儀式用の正装に着替えるために中央棟の衣装室へと向かっていた。

 イストリエカの神殿は宗教の中心地だということもあって、他の地方神殿よりもはるかに規模が大きい。ひとつの神殿に男性聖職者である神官と、女性聖職者である巫女が両方存在していることがその規模の大きさを示しているといえるだろう。通常地方に点在している他の神殿は男性専用、もしくは女性専用とひとつの神殿ごとに決まっているのだが、その原則はここでも同じで男性は神官棟、女性は巫女棟ときっちりと生活領域が分けられている。つまり敷地内に二つの神殿が存在するかのような構造になっていて、その二つを隔てるように中央に鎮座しているのが中央棟だ。

 中央棟はトルカットにとって気が引き締まる場所だった。今はまだ決められた区画にしか入れないが、この見習い期間を終えて正式に神殿幹部の仲間入りを果たしたあかつきには、ここが主な生活空間となる。今のトルカットが目標とする場所だった。机の上に残してきた山のような書類も、ここに来るための試練と思えばやる気もわいてくる。とはいえ、予定外の仕事が入ったことで計画がずれ込むのは確実だった。

 徹夜してさばくか……、けど夜中に余分な明かりを使うと管理部が無駄使いだと言ってきてうるさいんだよな。遅れた分をどう取り戻そうか思案していると、近づいた衣裳部屋から女たちの華やかな声が聞こえてきてトルカットは眉をしかめた。あいつらまた無駄話してやがるな。

 叱責してやろうと衣裳部屋の扉を開け放ったトルカットはしかし、開けた口をそのままに目を丸くすることになる。

「あれ?トルカット」

 薄茶色の髪をふわりと揺らして振り向いた男もまた、トルカットを認めて目を見開く。そこにいたのはそこにはいるはずのない、トルカットがこの神殿内でもっとも関わり合いになりたくない男、イドゥリオだった。お互いになんでお前がというような視線が交わされた後、口を開いたのはイドゥリオのほうが先だった。

「あ、俺はね、巫女長に儀式のお手伝いを頼まれちゃって」

「……ああそう……」

 神務部にいるくせに巫女部にまで首を突っ込んでいるのかとトルカットは苦々しい気持ちになった。それと正反対に、相手はふにゃりとお人好しの顔をして続ける。

「トルカットは神官長の代理かな?」

「あーまあ……」

 明らかに気乗りしない返事しかしないトルカットに構わずに、目の前の男は「おそろいだね」などと冗談めかして微笑む。一体何がおそろいなんだとイラついて荒々しく肩にかけたストラをはずすと、相手も着替えを始めてしかもその脱いでいく服装がことごとくトルカットと同じく幹部候補生のものだったので、気味の悪い「おそろい」をもうひとつ見つけてしまったトルカットの気分は最悪の部類になった。

 衣装室の巫女たちは心得たもので、トルカットが現れてからは一切無駄口をたたかずに二人の準備を手伝った。

「あ、そうだ。君のところのお手伝いをするって言った件だけど」

 聞いてる?とイドゥリオは隣で羽織を整えながらトルカットを見た。

「ああ。悪いな」

 前を向いたまま、一応形ばかりの最低限の挨拶をそっけなく済ませた気になっていると、彼は予想外に深刻そうな声色になった。

「そのことなんだけど。手伝うよって簡単に言っちゃったけど……、」

 やっぱり仕事が忙しくて無理そうだとかそんな内容が続くかと予想していたが。

「俺に武官の指導役なんてできるかなあ。武官なんて俺、あんまり関わったことがなくて……」

「神官なんざ全員そうだろ」

 不安そうな声の相手をばっさりと切り捨てる。そもそも武官は神殿や、そのお膝元の街であるイストリエカを守るために基本的に神殿の外に配置されているし、対して神官の通常業務は全てが神殿の内部で行われる。関わりなどなくて当然だった。何を当たり前のことを言ってんだという態度でいると、

「そうだけど……」

 相手はしょんぼりしつつも、もの言いたげな態度になった。嫌な予感がして内心身構えていると案の定、

「ねえトルカット、一緒に、」

「俺は仕事がある」

 一緒にやろうなどという言葉が続く前に再びばっさりと切り捨ててやった。

「冷たい……」

 押しつけがましい恨み言をトルカットは完全に無視した。そもそもこっちの人手が足りないって話なのに、なんで俺まで駆り出されなきゃいけないんだ。

 明らかに気落ちしてのろのろとしだしたイドゥリオとは逆に手早く着替え終わったトルカットは、そのままさっさと衣装室を出た。あいつのグダグダとした泣き言をいつまでも聞かされるのはごめんだからな。首尾よく衣装室を抜け出せた自分の要領に満足していると、閉めた扉の向こうから声が聞こえてきた。

「イドゥリオ様なら大丈夫ですよ、私たちが保証します」

「未来の大神官様ですもの」

「そうそう。それに武官だって、私たちとそう変わりはしませんよ」

 巫女たちが口々にイドゥリオを励ましているようだ。トルカットが去った今、二人の会話が聞こえていないふりをしていたのも終わりにしていいと考えているようだった。

「そう……、かな。ありがとうみんな、頑張ってみるよ」

 そうイドゥリオが彼女らに応えると。その意気です、応援しています。そんなような歓声が控えめに上がる。一気に和やかな雰囲気となった衣装室から、トルカットは意識して大股で離れていった。

 大の大人が自分で引き受けた仕事をやっぱりできるか不安だなどと言って弱音を吐き、きっと大丈夫などという根拠のない言葉で立ち直る。

 茶番だな。

 トルカットは一人だけ冷めた気分で、儀式を行うために神官棟へと早足になった。

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