1.トルカット
異世界(恋愛じゃない)っていうカテゴリが欲しい、そんな感じのお話です
神殿の朝は早い。みな夜明けとともに起き出して、早朝から奉仕活動を開始する。
「トルカット様おはようございます。十三班、問題ありません」
「七班、問題ありません」
トルカットが広い廊下を移動していると、まだ薄暗い中、はためく白い羽織と短い紫色のストラを目印に神官の代表者たちが次々と報告に寄ってくる。神殿の神官たちは必ずいずれかの班に所属し、奉仕活動の場所や儀式の当番などは班ごとに担当を割り振られるというシステムなのだ。そしてそれらを総括して監督する神官長、の補佐、という立場にあるのが今のトルカットだった。神官長が滞りなく業務を進められるように全てを整えておく、それが今のトルカットの役割である。
「おい、これは?」
だから神官長の参加する儀式の準備がちゃんと整っているかは重要事項であり、毎朝厳しくチェックしている。朝の儀式が行われる祭壇で左右対称に置かれるはずの神器が足りないことに気づいて近くの壮年の神官を問いただすと、彼は恐縮したように大げさにどもって答えた。
「は、はい。さ、昨晩の片付け中、ふ、不注意により、破損したようでして……」
「破損?」
トルカットは思わず眉をひそめた。一体破損するほどの何をやらかしたというのか。
彼はそれを怒られるとでも思ったのか、
「あ、あ、破損といいましても、ちょっと欠けただけで。あの、それで、替えは朝イチで取りに行かせていますので、もう、もうすぐ、届きますかと……」
落ち着きなくばたばたと両手を交差させるように動かしつつ言い募った。
余計な仕事を増やしやがって。トルカットが思わず舌打ちすると、目の前の神官は今度こそヒィと声を漏らして山賊に殺される寸前みたいに全身をぎゅうと強張らせた。
「報告書は早めに出せと言っておけよ」
なんで壊した本人でもないのにそんなにビクビクとしているのかさっぱりわからなかったが、とりあえずトルカットは釘を刺しておく。それだけ言って並べられた杯を磨きだしたトルカットを見て、壮年の男は助かった、とでも言いたげな表情になりそそくさと祭壇から離れていった。
「ヒェ」
「トルカット様って神官長様より厳しいよな……」
近くで息を殺していた別の若い神官たちが、ぼそぼそと陰口をたたくのが聞こえてきた。陰口というにはただの事実なのでトルカットは別に気にしないし咎めたりもしないし、聞こえていないふりをして真鍮を磨くのに集中した。しかし、
「イドゥリオ様戻ってきてくんないかな……」
はあとため息交じりに続けられた言葉に、ついぴくりと反応してしまう。
「ほんとほんと。イドゥリオ様のときはよかったよなあ……」
「イドゥリオ様はお優しいし威張ったところもないし、神官力も高いしな」
神官力ってなんだよ、階位なら俺のほうが上だぞ。トルカットは手を動かしながらも心うちでそんなツッコミをした。階位は神官としての序列を表していて、上を目指して精力的に活動するトルカットの階位は昨年ついにイドゥリオを追い抜いたのだ。どちらのほうが神官力が高いかは明白である。
「俺もイドゥリオ様には戻ってきてほしいけど。あのお方は現場なんかにとどまらない、将来大神官様になる器だと思うぜ」
「あーそれな。じいさんたちもよく言ってるよな、イドゥリオ様は今の大神官様の若いころにそっくりだって」
ひそひそと口々に褒め称える様子を頭の後ろ側で聞きつつ、トルカットは冷めた気持ちで内心息を吐く。今の大神官にそっくりだからなんだというのだ。
「おい」
ついになんの前触れもなく後ろを振り向くと、ひそひそとしていた神官たちは一斉にぴたりと固まって、冷や汗でも垂らしそうなほど目を剥いた。
「枝が古くなってる。ここは処分しておけ」
「は、ハイっ!!」
トルカットが祭壇上の捧げ物の一つを指さして示すと、彼らは一斉に裏返った声を上げてそれらを我先にと抱え込む。そして何も持てなかった者までもが、金魚のフンのように一緒になってバタバタと逃げ去っていった。聞かれたかな?だの、お前声がでかいんだよ、などと言い合う声が聞こえてきて、あいつら本物のバカだな。トルカットは心底呆れかえった。
歯向かう意気地すらないのなら、絶対に本人に悟られないようにしておけばいいものを。
・
トルカットは特別な血筋の生まれである。
神殿では人間はみな神のもとに平等であるなどと説いてはいるが、その実、当の神殿の上層部は決められた血筋の者たちだけで固められているという、王国などとさほど変わりのない構造になっていた。その血統に連なる者として生を受けたトルカットもまた、生まれた時から宗教のトップである大神官(王国でいうと国王にあたる)の後継者候補としての教育を受けており、現在は神殿で役職者の補佐をしながら、神殿上層の幹部となるべく修行を重ねている。
当然同じ立場の者は数多くいて、全員が幹部になること、ゆくゆくはその中から一歩抜きんでて次代の大神官となることを目標にしのぎを削っている最中だった。
その中で一番トルカットが警戒しているライバル、それがイドゥリオだ。日中の主な業務である書類仕事中、またもやそんな要注意人物の名前を書面の一角にひょっこりと見せつけられて、
「ん?」
トルカットは思わず眉根を寄せて声を漏らした。それはただのつぶやきだったが、しんと静まり返った執務室内には思いのほかよく響いた。
「あ、あの、何かミスでも……?」
同じく書類仕事をしていた数人の神官たちが、恐る恐るといった様子で前方の大きな執務机に陣取るトルカットを窺う。ただの独り言だったのに律儀な奴らだな、と感心と呆れが半分ずつくらいの気持ちになった。
「いやそうじゃない。今年は騎士団の受験者がやけに多いんだなと思ってな」
読んでいた書類をひらひらと振ってそんなに注目するような事態ではないことを強調すると、トルカットのごまかしを信じたらしい神官たちは目に見えてホッとした表情になった。
「そうですね。今回は王国の王子が受験すると大変な話題になりましたから。一目見ようと申し込んだ者も多いのではないですか?」
いわゆる記念受験ってやつですね、と苦笑する神官たちに、トルカットはくだらねえと吐き捨てたいのを抑えて盛大なため息を吐くだけにとどめておいた。
ここイストリエカの神殿には聖職者のほかに、神殿の防衛をするための兵士として、戦うことを仕事とする武官というものも存在する。その武官の上位的存在が神獣騎士だ。馬に乗って戦う普通の騎士とは違い、彼らは神獣と呼ばれる巨大な狼と一緒に戦う。帝国だの王国だのという世俗にまみれた侵略者たちを跳ね除け、今日まであらゆる権力にも屈せずに神殿の繁栄が続いているのは彼らのおかげといっても過言ではない。そのため騎士団に憧れる武官たちは後を絶たない、らしい。
それにしても多すぎだ。改めて書類に目を落としてトルカットは嘆息した。
そこには今回の試験には例年の三倍近い志望者があること、そのため試験の手伝いに例年の三倍の神官が必要なこと。手始めに筆記試験の指導役としていつもの三倍の神官を貸してほしいといった内容のことが書かれていた。その要請を通したのがイドゥリオで、だから書類に署名があったのだ。例年通りの計算で動いていたトルカットにとって、それは署名した人物と同じくらい頭の痛くなる内容だった。
「まあそのしわ寄せが来るのはこっちなんですが……」
一人の神官が苦笑しながらトルカットの心中を代弁したとき、その隣の席にいた男があっと声を上げた。その顔面は見るからに蒼白で、まるで大事な仕事の締め切りを忘れていたとでもいうような慌てっぷりだったので、自然トルカットの目も鋭くなる。
「あ、あ、も、申し訳ありません!昨日のことをすっかり忘れていて……」
「言ってみろ」
先を促すと、その神官は消え入りそうな声ではいと返事をしたあとうつむき加減になり、
「じ、実は昨日、イドゥリオ様にお会いして。試験で神官部に人手が足りないと、つい、漏らしてしまって……。そ、その、そうしたらイドゥリオ様が、お手伝いに来てくださると……」
「は?」
意図せず低い声を出してしまうとそれを叱責ととったのか、気の弱そうな神官はすみませんすみませんとしきりに頭を下げ始める。めんどくせえなそうじゃねえ。
「そうじゃない。あいつが神官部に手伝いに来るって言ったのか?」
「あ、は、はい……。伝えるのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした……」
神官は叱責を恐れてか、俯いてうなだれてしまった。しかしトルカットの焦点はそこではない。イドゥリオは今、神務部でトルカットのように役職者の補佐についているはずだった。神務部とは平たく言えば、ここイストリエカの中央神殿に在籍する人間全てを管理・監視している部署だ。つまり神官をまとめ上げている神官部のさらにひとつ上の立場にあたる。トルカットよりも暇だとは到底思えなかった。それなのにわざわざ自分から首を突っ込んでくるなんて……。ちなみにイドゥリオのほうがトルカットよりも上の部署にいるのは単純に彼のほうが数年早く生まれているからで、そのせいでトルカットよりも数歩先を歩いているというだけで、奴のほうが優秀だとかそういうことでは決してない。
トルカットが忌々しい気持ちになって押し黙ると、それを和ませるように他の神官が努めて明るい声を上げる。
「あ、で、でも、イドゥリオ様がきてくださるなら百人力ですね!」
「そ、そうですよね。これで指導役選びも少しはラクになりましたよね」
よかったですね。イドゥリオ様なら。そんなふうにすでに問題が解決したかのように彼らは口々に安堵を口にした。が、トルカットにとってはまさにそこが気に食わない点なのだ。ついじろりと睨んでしまうと、
「あ……、やっぱり、イドゥリオ様にお願いするなんて失礼でしょうか……?」
新たな失態ポイントに気づいた様子で全員が顔を青くした。
国の垣根を越えて抱える数多の信者を束ねる立場である大神官。その候補者たる者を単なるお手伝いに駆り出すなんて。神官たちはそう思い至ったようだったが、トルカットの本音は違っていた。あいつは気に食わん、その一言に限る。しかしそんな私情を挟むわけにもいかない。トルカットだって大神官候補者として日々邁進している身、私情を捨て常に神殿の利益を第一に考えるのが正しい在り方だ。
「……いや、別にいい。本人が言いだしたんなら仕事の都合はつくんだろう。あとで資料を持っていってくれ」
それで何も問題はないといったトルカットの態度に、神官たちは全員安堵の息を吐いた。
トルカットだけが内心の不機嫌を抱え込んだまま。
サックリと済ませたくて説明だらけになってしまいましたが
トルカット(とイドゥリオ)って未来の偉い人候補なんだ~
くらいの認識で大丈夫です
(自分も組織図とかわりと覚える気ない人間)