わたくしが育てた最強に可愛い最愛たちはあげません【電子書籍化】
「わたくしが育てた最強に可愛い妹と婚約者ですがなにか」の一年後。
「お待ちしておりました」
待ち人の黒髪が目に入った瞬間、わたくしはその場で立ち上がり淑女の礼で出迎えた。
規則正しい靴音を響かせながら、わたくしが貸し切った高級レストランのVIP席までやってくる待ち人。彼の護衛は入り口付近で立ち止まり、わたくしの護衛と横並びに残された。
「このレストランを貸し切るとは流石だな。客層は貴族ばかりで従業員の口は金で割れぬほど堅い。誰の目にもつくことなく、俺たちが密談するのに相応しい場所だ」
「恐れ入ります」
「そう固くなるな。堅苦しいのはなしでいい。今日はお互い腹を割って話そうではないか」
わたくしは待ち人…この国の第二王子、カイト・ベルナール様が対面に着席したことを確認し、屹然と顔を上げた。
口元を楽しげにつり上げた野性的な美丈夫の黒い目と視線がぶつかる。試すような、挑発的な視線にわたくしは悠然と微笑み返した。
「わたくしも殿下と同じ気持ちでございます――――ええ、腹をかち割ってお話し致しましょう」
「アイリーンの姉だけあって言葉選びが物騒だな」
どういう意味です?
あの子は半泣きで物騒な言葉を叫ぶのが可愛いのです。
わたくしが楚々と着席してすぐ、前菜が運ばれてくる。
ええ、レストランですから。美味しく食事をしながらの歓談です。多少お行儀は悪いですが、多く時間は取れませんもの。ちなみにお互い忙しい身の上なので、お通しは省略。
本日の前菜は四角い白い皿に載ったテリーヌ。鶏ミンチとキノコのテリーヌを彩る赤ワインソースが芸術的。
「こうして共に食事をするのは初めてか。学園の食堂で何度か見かけたが、同席したとは言えない距離だったしな」
「懐かしいお言葉。高貴な方が婚約者に向けて、席は違っても同じ食堂で食事をとったのだから同席と同義、などと主張していた一年前を思い出します」
お互いナイフとフォークは音を立てないけれど、食事の合間に短く言葉を交わす。
「生徒会役員が『相手が食べているメニューもわからない状態は同席しているとはいわない』と胃を押さえながら発言していたのが印象に残っている」
「ええ、だいぶお疲れでしたので、婚約者として休息を促しましたわ。聞き分けのないお方のお世話はとても気力を使うようですわね」
婚約者として、の部分で声量を上げるなどはしたないことはしない。
ただしっかり、丁寧に、ゆっくりと発音した。
こちらの意図がつかめたのだろう。殿下は楽しげに前菜を咀嚼している。
「あれは婚約者より別の令嬢を優遇していた、と詰め寄られたときに出すにしても頓珍漢な発言だったな。昼は婚約者と共に過ごしていたから蔑ろにしていないなど。言葉も交わしていないのに、共に過ごした気になっていたとは驚きだ」
「ええ。流石のご令嬢も呆れていらっしゃいましたわね」
「そうそう、その頓珍漢な男は生徒会長だったのだが、あまりに役に立たないからと副会長に生徒会から追い出され、入学したばかりの俺が生徒会長を務めることになったのだった」
「ええ、まるで入学前から準備なさっていたかのようにスムーズな着任でございました」
学園は十六歳から十八歳までの若者が三年間学ぶ場所。
わたくしは今、最高学年の十八歳。殿下は一つ下の十七歳。
去年入学した第二王子は、入学して三ヶ月ほどであっさり生徒会を牛耳った。
それはそれは、忙しい期間だった。
生徒会役員のジャスパー様がしおしおになるくらいには忙しかった。
(期を急ぐ新入生はこれだから…一年も待てなかったというより容易に第一王子を蹴落として、追い詰める足がかりにしたかったのでしょうけど、他の学生を巻き込むのはやめて欲しいわ。学園が小さな社交場とはいえ、あそこは学びの場でしてよ)
権力から無縁とは言えないが、権威を誇示するために巻き込まないで欲しい。
(まあ、第一王子と違い優秀な生徒会長であることは認めますが…その所為でジャスパー様がお疲れだったので反省して欲しいところです)
しないだろうけれど。
生徒会でのお話をしていたら、スープが運ばれてきた。
運ばれてきたのは冷製スープ。白くとろみのあるヴィシソワーズは、胡椒で軽く味が調えられています。
「そのとき大層世話になった優秀な先輩がいるんだが、アヴァス侯爵令嬢は彼が今どこで何をしているか知っているか」
「あら、腹黒眼鏡でしたら殿下が側近として召し上げたと聞き及んでおりますわ。お二人は幼い頃から切磋琢磨する幼馴染みだったとか。お二人の息の合ったやりとり、副会長が在籍していた昨年に遠巻きながら何度も拝見いたしました」
「ああ、勿論アイツにも世話をかけたが、そちらではない。在学中に何度も声を掛けたのだが、悉く逃げられてしまった人が居てな。ジャスパー・キャットウェルというのだが」
「まあ、わたくしの婚約者と同じ名前ですわね。彼はわたくしの補佐としてわたくしと共に領地経営を致しますの。前々から決まっていましたので、今はその準備のため我が侯爵家で最終調整中にございます」
ゆっくりスープを飲みながら答える。
殿下は行儀悪く、テーブルに肘をついて頬を乗せた。
「君の婚約者ならばさぞかし優秀な男なのだろう。そんな男は領主の補佐より、もっと活躍する場があるとは思わないか?」
「まあ…どのような職に就こうと、誰もがすることは同じ。懸命に働くのみです。活躍ならばどこでもできますわ。活躍場所を選ぶのはあのお方ですので、わたくしからはなんとも言えませんわ」
色よい返事など一度もされたことがないのにまだ諦めない殿下には脱帽です。
確かに第二王子の…将来的に国王陛下になられる殿下の側近として召し上げられるのは誉れでしょう。しかしジャスパー様はそれを望んでおられません。
わかってますわ。あの方、わたくしの補佐役になることを楽しみにしてくださっていますもの。
一緒に頑張ろうとほわほわ笑っているジャスパー様。とっても可愛くてよ。
「彼のサポート力は目を見張るものがあるから、是非側近に欲しいのだが」
「わたくしから伴侶を取り上げないでくださいませ」
「そう言われると手は出せないな」
殿下が苦笑して引き下がる。引き下がったが、彼が思わず感心するくらいしつこいのはもうわかっている。その内また話題に出すだろう。
何度でも来い。返り討ちにしてやんよ。
頭の中で何度も拳を打ちながら、わたくしはスープを飲み干した。
そして運ばれるメイン料理魚編。
魚料理は白身魚のソテー。粒マスタード入りの特製ソースの上に添えられたソテーは、切り身ながら鮮やかな海を泳いでいるようだ。
「エリン・アヴァス侯爵令嬢。改めて確認していいだろうか」
「どうぞ」
「アイリーンの嫁ぎ先を決めるのは君だと聞いたが事実だろうか」
フォークで切り身を押さえ、ナイフで一口大に切る。
ゆっくり口に含んで、ゆっくり咀嚼して…一度口元のソースをナプキンで拭いてから、じっと焦らず待っていた殿下を見た。
「事実にございます」
「では、申し込ませて頂こう」
黒い目がギラリと光る。
「アイリーン・アヴァス侯爵令嬢を、俺の妃に迎え入れたい」
お互い、食事の手を止めて見つめ合う。
遠くで鐘が…いや、とっくの昔に開戦の合図は鳴り響いていた。
冷静に対処するためにも、わたくしは無心でナイフとフォークを動かした。動かしながら確認する。
「第一王子の婚約者であられた公爵家のご令嬢や、殿下の婚約者候補の令嬢達を差し置いて、アイリーンを選んだ理由をお聞かせください」
「候補を差し置いてもなにも、俺の妃の候補として挙がっていたぞ。アイリーンは完璧な淑女として振る舞っているだろう」
それはそう。
(く、やはり完璧に最強で可愛く育てすぎたのですね…!)
アイリーンは侯爵令嬢。庶子だが、それを感じさせない完璧な立ち振る舞いを身につけている。
そう、わたくしが育てた。
ちなみに庶子だからと虐められることはない。何故なら嫡子と良好な関係を築いていることがお茶会などで周知されているから。
アイリーンを虐めて、わたくしの不興を買うお馬鹿さんはそもそも生き残れませんわ。
「まあ、完璧なだけではつまらなかったが…」
(わたくしの最愛をつまらないとか言いました? どこに出しても恥ずかしくない淑女に育ちましたが?)
ちなみにどこに出しても恥ずかしくないとは言うが、どこに出しても構わないとは言っていない。
「第一王子の婚約者だった公爵令嬢は、身分は申し分ないが感情を制御できない未熟者だ。他にも公爵家の娘は居たが、淑女の仮面が完璧でも裏で悪意を振りまく女や内向的で矢面に立つのに向いていない女は俺の妃に相応しくない。それに比べてアイリーンは、俺の理想と言っていい」
(…理想的…ほう、続けて)
妹を最強に可愛く完璧な淑女に育てたつもりのわたくしは、殿下の語りを無言で促した。
食事をやめないわたくしに倣い食事を続けていた殿下は、あっという間に魚料理を平らげていた。次の皿が運ばれてくるまで間があるので、朗々と語り出す。
「淑女の仮面を脱ぎ捨てると猫のように自由なのがいい。あれは建て前と本音の使い分けがわかっている。表では完璧な淑女として振る舞い、裏では身体を伸ばし息抜きを忘れない。貴族社会を上手く泳げる強かさもある。誰かを攻撃することなく、否定することもなく、庶子でありながら排斥されず前に立つ技量が魅力的だ」
ちなみにわたくしの婚約者に対して常に攻撃的で否定的だが、それ以外には基本的に穏やかな子である。
外敵認定した相手には、毛を逆立てて威嚇する。
実は殿下も毛を逆立て威嚇されているが、それを本人以外に悟らせていない器用さがある。多分そこも加算ポイント。
繰り返すが本人には悟られている。
この方、アイリーンに威嚇されているとわかっているのに懲りないのですよね…。
「…あの子の裏と表の使い分けが、王族として相応しいと仰る?」
「完璧な淑女だろうと、重圧に押しつぶされるような女では意味がない。表で聖母のように振る舞っても、裏で悪辣な行いをする女も論外だ。それに比べ彼女は重圧を上手くいなし、他者を貶めることもない」
でしょうね。そう教えたのはわたくしですので知っています。
そう、わたくしが育てました。
内心得意げに胸を反らしていたわたくしですが、ここで口直しのレモンシャーベットが運ばれてきました。
シャキシャキと氷の食感。一度魚の後味をリセットすることで、次の肉料理の味が際立ちます。
得意になっていた私は口直しを食べながら、一度冷静になるためにどうして第二王子と密会の真似事をしているのか振り返りました。
そもそもの始まりは第二王子殿下からの、アイリーンを妃に迎えたいと打診する手紙。
その手紙を受け取ってすぐ、わたくしは第二王子に誰にも知られずにお目にかかりたいと手紙を書いたのだ。
アヴァス侯爵家に送られた手紙を受け取ったのが、わたくしでよかった。
万が一お母様がご覧になっていたら…アイリーンが侯爵家より高い地位へ嫁ぐとなったとき、お母様がどのような行動をとるか、予測ができません。
アイリーンはアヴァス侯爵令嬢。ただしお父様が愛人に産ませた庶子で、彼女は五歳まで姉のわたくしに存在を告げられることなく、屋敷の別邸で冷遇されて育ちました。
わたくしがあの子を見つけてからは侯爵家に相応しい淑女として育てましたが、当初は愛人の子ということでお母様がアイリーンを受け入れられませんでした。
わたくしが侯爵家を継ぎ、アイリーンは侯爵家のため他の家に嫁ぐ約束をすることでやっと認めてくださいました。その嫁入り先を、厳しい目になってしまうお母様の代わりにわたくしが進んで選んでいます。
お父様? 軍人として出兵していた期間は仕方がないとしても、帰還してからは逃げた愛人を探し求めるのに忙しく、お母様と戦争中でしたので頼りにはなりません。頼ってはいけない殿方ですわ。アイリーンも白けた目を向けているくらいです。
わたくしはアイリーンの嫁入り先として我が侯爵家の利益は勿論のこと、あの子を大事にしてくれる方を厳選していた。そのためにも同格の侯爵家、伯爵家の中から選定中だった。
万が一アイリーンが我が侯爵家より格上の家に嫁いだ場合、お母様がどう出るか不明だったから。
お母様がアイリーンを許容しているのは侯爵家を継がないから。いずれ嫁に出されるから。いずれ侯爵家の利益のため、政略結婚の手駒とするためだった。
貴族とはそういうものだ。たとえ血の繫がりのある娘でも、家同士の繋がりのために婚姻する。むしろ手駒として迎え入れることが一族の一員として認められた事実に繋がる。
しかしその嫁入り先が侯爵家よりも格上だった場合…貴族として発生する利益よりも、女としての矜持が傷つけられるなら、嫁入り前のアイリーンの身が危険にさらされる可能性があった。
わたくしは、お母様ではないから分からない。
夫の裏切りで生まれた子供が自分より上の立場として君臨したときの女の気持ちは、わたくしには推し量れない。
屈辱だと憤慨なさるのか。侯爵家の利となるならば気になさらないのか。
女の矜持が顔を出すのか。貴族としての矜持が己を保つのか。
きっとそのときにならないと、お母様自身も断言できない問題でしょう。
更に問題点がまた一つ。
実はお母様からの冷遇に耐えきれず、アイリーンを置いて逃げ出した母親。お父様の愛人が、昨年発見されてお父様に囲われているようなのです。
お父様、お母様と冷戦状態だというのに燃料を投下して顔を合わせれば爆心地。愛人が無事なのは王都ではなく領地の片隅に囲われているから、王都で社交を熟すお母様と顔を合わせないという単純な理由です。領地にいる女に手を出すほどお母様は暇ではないし、どちらかというとお父様の妻を蔑ろにする行動にぶち切れておられる。アイリーンもドン引きです。
今はただ囲われているだけの愛人ですが…アイリーンが、実子が次期王妃となって、愛人は余計な野心を抱かずにいられるだろうか。
彼女がお父様と浮気関係だったのに間違いない。
わたくしはいつからお父様と関係があって、いつから愛人親子が侯爵家の片隅にいたのか知りませんし、どのような経緯でお母様が愛人の存在を認知したのかも知りません。
ですが、お母様の指示で愛人親子が不遇な目に遭ったのは事実です。
愛人がそれを恨み、復讐の機会を窺っていたとしたら。
あれから一度も顔を合わせていないとはいえ、権力を得た実子の存在は彼女にどう映るのか。
これが別の格上、公爵家からの打診だったら相手を見て考えて、アイリーンにその気があるなら受け入れた。
しかし相手は第二王子。第一王子を蹴落として、王太子となった男。つまり未来の国王陛下。
その妃になるということは、王妃になるということ。
規模が違う。
(わたくしの最強に可愛い妹にできないことはありません。ですが…絶対に苦労する)
上記の理由がなくても茨の道だ。
思案するわたくしの前に、肉料理が並ぶ。
鶏肉のガランティーヌ。鶏肉で他の食材が包まれ、蒸すか茹でられた料理。
今回は茹でられたようです。断面の彩りが鮮やかで、これはピスタチオでしょうか。食べる前から食感が楽しみですね。
「…殿下は、勿論候補に挙がった令嬢達の生い立ちも調査済みなのでしょうね」
「ああ」
迷いなくナイフを走らせながら、覚束無い小さな手でナイフを握っていた妹を思い出す。
誰を頼ればいいのかわからず、じっとわたくしを見上げていた幼子。
「今すぐは難しくとも、私が爵位を継いだ後なら侯爵家はアイリーンの後ろ盾となる。そう考えての求婚ですか」
「否定はしないが、彼女が妃に相応しいと思っているからこそだ」
「そうですか…」
一口大に切り分けた肉片を口に含む。
ゆっくり咀嚼して、ナイフを置いた。
「では、お断り致します」
わたくしの返答に、殿下の黒い瞳が鋭さを増した。
「何故だ?」
「妃に相応しいという理由だけならば、アイリーン以外にも候補はたくさんいますから」
「聞いていなかったのか? 彼女以上に相応しい者は…」
「そんなの、これから教育すればよろしい」
ぴしゃりと払い除けるようなわたくしの言葉に、殿下は口を噤んだ。
「理想の相応しい妃が欲しいのならば、殿下が望むように育てればよろしいのです。感情の制御ができない未熟者だろうと、社交に向いていなかろうと、悪辣な本性が隠されていようと、相応しい妃が欲しいのならば己が手で自分好みに育て上げればよろしい。幸いなことに陛下は未だ御健勝でございます。妃を好みに育てる時間はたっぷりありますわ」
未熟者ならば経験を積ませればいい。真摯に向かい合って、相手の成長を促せばいい。
社交が苦手なら貴族社会に染まりきっていないかもしれない。相手を励まし愛情を持って接すれば、苦手でも努力するようになるだろう。
本性が悪辣だというのなら、一度心を折ればいい。まだ若いのだし、矯正は可能なはずだ。少し強めに調教…ごほんごほん教育すれば、善良にならずとも、王妃として裏の顔を持つのは決して悪いことではない。必要なのはそんな彼女の手綱を握ることだ。
ほら、誰だって可能性に満ちている。
勿論相手だけに変わって欲しい、なんて横暴だ。これは愛情を持って、相手だけでなく自分も変わっていかなければならない。
相手は伴侶なのだ。片方の都合だけで長続きするものか。
「他が相応しくないなど、あの子を望む理由にはなりません。あの子でなければならない理由がないのなら、わたくしの返答は否のままですわ」
「惚れている」
咄嗟に出たのでしょう。
殿下は発言してから一度言葉を詰まらせて、グッと喉を鳴らした。
そんな一言では心動かされないわたくしに、第二王子は嘆息した。
「…彼女に惚れているんだ。彼女だから欲しい」
とってつけたかのような言葉ですが、事実でしょう。
ええ、知っています。学園でわたくしに話しかけてくるアイリーン目的で、殿下がわたくしの行動範囲をチェックしていたこと。
本人ではなく姉のわたくしを間に挟むのは、アイリーン単体に近付けば周囲が邪推するとわかっているから。
「エリン・アヴァス侯爵令嬢。俺は彼女を迎え入れる権利が欲しい」
真剣に、真っ直ぐ見つめてくる第二王子。王族だからこそ頭は下げませんが、命令口調にならぬよう気を付けたことが窺える。
そんな彼にわたくしは慈悲深く微笑み。
…たどたどたどたどたどたどたどたばしーん!
「ここであったが百年目! カイト殿下、ここで成敗してくれる!」
「止まれアイリーン! ステイステイ! まだだ! まだだ!!」
貸し切ったレストランへ侵入してきたわたくしの最愛の妹と、最愛の婚約者に意識が全部持って行かれました。
美しい紺色の髪を靡かせながら、頑張って通せんぼするジャスパー様に食ってかかる可愛い妹。
あら可愛いが突撃してきました可愛い。
わたくしの視線も、殿下の視線もそちら一直線です。
「ああもう、退いて義理のお兄様! そいつ(不適切な発言)ない!」
「わざわざ義理のって宣言するのやめよう!?」
来年、わたくしが学園を卒業してすぐ挙式を予定しているので、アイリーンは渋々ジャスパー様をお兄様と呼ぶようになりました。前に義理の、とつきますがお兄様と呼ぶようになっています。
お義兄様って呼ぶと音だけでお兄様と勘違いされそうでいやなんですって。あくまでも義理だと主張しているようです。
わあわあ騒いでいるアイリーンとジャスパー様。ジャスパー様が身体を張って通行止めをしているので私たちに近付けないアイリーンは、目を三角にしながら叫んだ。
「お姉様! お姉様が義理のお兄様に愛想を尽かして振るのは大歓迎ですが、お姉様が浮気をするのは解釈違いです! 殿下に脅されて関係を強要されていると考えた方が自然! ということでそいつは敵です!」
「振られないよ!? エリンが俺以外に好意を抱くとかないから! あり得ないから! 俺以外の異性と商談以外で一緒なのは…エリン! 脅されているなら一人で行っちゃだめだ!」
「俺ってそんな非道な印象か?」
殿下の声が思いのほか呆然としていたので思わず吹き出しそうになりました。あら殿下の護衛の方、肩が震えていましてよ。
ジャスパー様の自己肯定感を育てた甲斐があり、わたくしからの愛情を全く疑わなくなった。しかしそれを当然と考えず、好きでいてくれてありがとうと言える彼は私が育てた。頑張りました。
笑いを堪えて小さく震えながら、わたくしはレストランのスタッフに告げた。
「デザートは二人分追加してちょうだい」
「かしこまりました」
そして運ばれたタルト・タタン。林檎たっぷりのデザートです。
侵入者の二人はわたくしを挟むように座り、殿下と向かい合っていた。アイリーンはガルガルと唸りだしそうなほど殿下を睨み付けている。
いつもの淑女の仮面はどうしたの? 学園で遭遇してもかろうじて被っていたでしょう? 淑女の仮面。
「よくここにわたくしがいるとわかりましたね」
「お忙しいお姉様が私と義理のお兄様以外に時間を使うことの方が珍しいのです。よそ行きで極秘に外出したのですぐわかりました。私に何も言わず外に出るなんて、密会以外あり得ません!」
「もの凄い自信ね」
「俺が仮眠している間に出掛けたから絶対断れない密会だと思って…誰かに脅されてるんじゃないかと駆けつけた次第です…」
そして貸し切られたレストランの前で合流したと。
貴方たち、別行動なのに行き着く先は同じなのね。可愛いわ。
「なんでご令嬢が脅されている側なんだ…? 黙って脅されるような女性ではないぞ…?」
殿下が心底不思議そうにしていますが、残念ながら脅す場合はわたくし隠しませんので、二人にちゃんとお話するので。
ちょっと悪いことしてきますねと外出するので黙って外出したイコール脅されているになったのでしょう。言いながらあれですが、そうなるとは思いませんでした。
不思議そうな殿下をキッと睨み付けて、アイリーンはわたくしにぴったりくっついて威嚇した。
「殿下、お姉様に近付かないで! 利用するつもりでしょう! 義理のお兄様みたいに! 義理のお兄様みたいに!」
「俺が利用されていたみたいな言い方!」
そうですね。利用されていませんわよね。生徒会のお仕事していただけですものね。
その指示を出していたのは第二王子でしたがお仕事。利用はされていませんセーフ。
「利用か…俺如きの手の平で踊る御仁とは思えないが、姉を守るためにお前が俺を止めるか? その小さな身体で何ができる?」
「く…っ、負けない…っ! 横暴な殿下なんかに、絶対に! 負けない!!」
「おやめなさい敗北フラグがたっていましてよ」
何ならちょっと「ご覧に入れられませんわ!」な看板が必要になるかもしれませんから本当におやめなさい。この男、あまり順番を気にするタイプではありませんよ。油断したらパクッとされる可能性があります。させませんが。
「利用利用と騒がしいが、俺は彼女にお願いをする立場だ。彼女に害意はない」
「…殿下がお姉様にお願い…?」
優秀な補佐役のジャスパー様、ここで全てを察してくださいました。
わたくしが許可を出していないためか、アイリーンを直接口説くような真似はなさいませんでした。妙なところで筋を通しますわね。
「一体何のお願いをしていたのです。このように二人になってまで…」
言いながら、ハッと思い至るアイリーン。
「…お姉様は王室にあげませんよ!? お姉様は侯爵領で領地と領民を育て夫をこき使って妹を可愛がりながら女領主として君臨するんですからね!? 遠い王室になんかあげませんよ頭が高い!」
「色々おかしい!」
この子、侯爵家に居座ることを諦めていませんわ。
でもってどこ目線の発言です? これはジャスパー様も悲鳴を上げちゃいますわ。
殿下は苦虫を噛み潰したかのようなお顔になりました。不敬だと思っているのではなく、自分ではなくわたくしを召し上げようとしていると思われたことに苦い顔をなさっています。
学園でアイリーンではなくわたくしに話しかけるからです。わたくしを経由してアイリーンと接しようとしているからです。アイリーン本人に、殿下はわたくし狙いと勘違いされているとお気付きになって。
教えませんが。
「…そうだな、若いながらに妹や婚約者を立派に育て上げるご令嬢の手腕は見事な物だ。その能力が欲しいと言えば、ご一考頂けるかな?」
あら、そう来ましたか。
わたくしの両端で、育てられた二人が可愛くお口を開けています。
このお話の面白いところ、二人揃ってわたくしに育てられたと認めているところだと思いますわ。
そして、自分以外を育てて欲しくない…なんて思っているところ。
両脇でぷるぷる震える最愛の妹と婚約者が可愛くて仕方がない。
「大変光栄ですが、考えるまでもありません。お断り致しますわ」
「理由を聞いても?」
「わたくし、愛している相手でないと心を尽くして育てられませんの」
わたくしが妹を、婚約者を献身的に育て上げたのは、愛しているから。
二人以外の誰かを育てる気などない。
わたくしが次に教育するとしたら、愛する人と育む我が子になるだろう。
流石に腹を痛めて産んだ子相手に、両脇の二人も嫉妬はしないでしょう…多分。
目をキラキラさせてわたくしを見る最愛たちからの視線を感じながら、わたくしは殿下に向かって挑発的に微笑んだ。
「わたくしが育て上げた最強に可愛い妹と最高に可愛い婚約者が欲しいなら、それ相応の覚悟をお見せくださいませ。見せてくださるのなら、一考の余地あり。考えますわ」
ええ、考えます。
考えるだけです。
その後、甘酸っぱいデザートを完食した殿下は、早々にご帰宅なさった。
わたくしの台詞に対して獰猛な笑顔で返した殿下なので、早速何かなさるおつもりだろう。彼のことだから、わたくしの言いたいことは分かっているでしょうしね。
侯爵家の問題だけでなく、殿下にも問題は多い。第一王子を蹴落とした彼ですから。敵は多いのです。
そういった問題を払拭してからでないと、万が一にもわたくしの最愛の妹はあげられませんわ。
まさか、惚れている相手の後ろ盾を頼りに改革を行うなど、そんな情けない真似はなさらないでしょう? ねえ??
いずれ妹離れは必要ですが、妹を茨の道とわかっている場所へは送り出しませんわ。
本当に惚れた相手を王妃として迎えたいのなら、それ相応の覚悟と努力をして頂かなくては。
別に、わたくし的には殿下が妥協して他の令嬢を育てる方向にシフトしても全く問題ありませんし。
「…えっと、エリン」
「はい?」
「次も殿下と話をするときは、俺も連れていってくれないかな」
デザートを楽しんでから侯爵家に帰宅したわたくしたち。
殿下に対してプンスコ怒っていたアイリーンは「あの人がお姉様におかしなことをしないか見張らなければ!」と肩を怒らせて自室へと向かった。まだ勘違いしているちょっとお鈍な妹が可愛い。
そして見送った先で、ジャスパー様がこっそりわたくしに話しかけてきた。
「まあ、ご一緒してくださるの?」
「うん。一人で行かないで欲しい」
頷いてから、もにょりと口元を動かした。
「君を信じているし殿下の想い人もわかったけれど、やっぱりこう…俺の婚約者だぞって気持ちがあるから…殿下だけじゃなく、男と話すときは俺を呼んで」
ううん、可愛い。
嫉妬しながらもにょもにょするジャスパー様、とても可愛い。
なんて思っていたら、ジャスパー様の青い目がわたくしをじっと見た。
「…あと、エリンはよく俺を可愛いっていうけど…俺にとってはエリンこそが、最高に可愛い婚約者だから」
そう言ったジャスパー様は、駆け足に近い競歩で執務室へと消えた。あまりの速さに風圧でわたくしの銀髪が舞い上がる。ふわりと舞った巻き毛が、わたくしの火照った頬を撫でた。
あまりの衝撃に、胸を押さえる。
(――――ああ! これだからあの人は手放せない!)
愛に、愛を返される。
愛を交わす中で一番嬉しいことだ。手塩に世話をした愛しい人が同じ気持ちを返してくれる。それだけで全てが報われて、もっともっと愛したくなる。
(わたくしが卒業したらすぐに結婚しましょうね!)
勿論ジャスパー様だけでなく、最愛の妹だって幸せにしたい。
あの子の幸せのためにも、障害にしかならないお父様と愛人を駆逐しましょう! お母様とは話し合いですわ!
…先にお母様と話し合いをしてお二人を生贄にした方がスムーズに進みそうですね。そうしましょう!
今ならどんな苦難も越えられる気がします!
だから殿下、本当に欲しいのなら、もっとなりふり構わずいらしてください。
わたくしが育てた最強に可愛い最愛たちは、簡単にはあげませんわ!