情報収集(1)
その日、水沢舞は絶好調だった。
大型案件の契約をゲットし、これで今月の営業成績トップは間違いないという成績をたたき出した。
その手腕は、入社2年目にして既に営業部の次期エースと噂されている。
学生時代から人と関わる事が好きで、就職先も大手商社の営業を目指し無事内定を勝ち取った時は文字通り飛び上がって喜んだ。
入社後は確実な仕事ぶりで先輩や取引先からの信頼も厚く、順調にキャリアを伸ばしていた。
「大型案件ゲットのご褒美に寄り道しようかな」
今日は直帰にしてきたし、いつもよりも少しだけ早く帰れそうだ。それならば、と舞はお気に入りの焼き菓子を売っている店に寄って帰る事にした。
普段から頻繁に買うにはちょっと値が張るが、ご褒美スイーツとしては十分手の届く金額だ。
目的の店で定番と期間限定の両方のお菓子を買って、家に帰ったらお気に入りの紅茶を入れようかな、なんて考えながら歩いていた時だった。
不意に周囲のすべての音が消えた。
「えっ…」
周囲の人々の姿はいつの間にか消え、舞を中心とした金色の魔法陣のようなものが現れる。
「なにこれっ…」
驚く舞が思わず持っていたバッグを抱きしめるようにして目を閉じると、ふわり、と身体が浮くような感覚がして、次の瞬間には冷たい石の上に座り込んでいた。
周囲の歓喜に満ちた声が次第に困惑した声に変わるのがわかる。
(なにこれ…どういうこと…?)
周囲を見渡しても、明らかに今まで自分がいた場所どころか、日本ですらなさそうな光景に呆然とするしかない。そんな舞の目の前に金髪の美しい青年が近づいてくると、膝を折って手を差し出した。
「ようこそおいでくださいました、聖女様」
(……は?)
理解が追いつかず黙っていると、そんな彼女に青年は自分はこの国の王太子、アルフレッド・セントクライスであると名乗った。そして詳しい話をさせて欲しいと言われ、案内されたのはまるで西洋の城のような豪奢な室内だった。
目の前のテーブルに用意された紅茶から立ち上る香りに、ようやく現実のものとして感じられるようになったのか、舞が小さくため息を吐いた。
そんな様子を見たアルフレッドと名乗った青年が優しい声で舞に話しかける。
「お名前を伺っても?」
煌めく黄金の髪にアメジストのような紫の瞳をしたアルフレッドは、まるで物語の中の王子様そのものだった。
(いや、確かに美形だけど…何がどうしてこうなってるのよ?)
さっぱり状況がわからない舞は混乱しつつも名乗る。
「水沢舞」
先ほど聞いた彼の名前からして、自分の名前はこちらでは珍しい名前なのだろう。まるで外国にきたかのようだ。どう呼ぶべきか戸惑っている相手に「舞でいいわ」と続けた。
それを聞いた彼は嬉しそうに「わかりました、ではそのように」と言って笑顔を見せた。
「それで、ここは一体どこなの?」
目の前の王子様といい、その背後に控えている人たちといい、どう考えても日本ではない。
「ここはセントクライス王国。あなたはこの国の聖女として召喚されたのです」
「は…?ラノベ?」
思わず呟いた言葉に怪訝そうな表情を見せたところを見ると、どうやらたちの悪いどっきりとかではないようだ。
(まぁ、そうだとしたら手が込みすぎてるけど)
困惑する相手にそれ以上説明するつもりもないので、現実的な質問に切り替える。
「それって私が聖女ってこと?」
「はい、先代の聖女が亡くなられたため、あらたな聖女を召喚する儀式を執り行ったところ、貴女が現れたのです。ただ…」
「ただ?」
少し困惑するような表情を見せたアルフレッドに舞が先を促すように声をかける。
「今までは聖女はセントクライス国内からのみ現れていたのです。ですが今回は…」
明らかに自分たちと異なる服装と本人の様子から、セントクライスの国民でないことはすぐににわかったという。
「きっと何かの間違いじゃない?私が聖女なんてありえないし」
だからさっさと元の世界に帰して欲しいと言えば、思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「…それはできません」
「どうして?」
それに答えたのはアルフレッドではなく、その後ろに控えていた黒いローブをまとった白髪の男性だった。
「あの儀式で現れた貴女様は間違いなく我が国の聖女様。その身に溢れる魔力からも間違いございません」
そう言ってうやうやしく頭を下げられたものの、舞からすれば「それがどうした」である。
「ちなみに聖女の定義は?」
極力感情を出さないように問いかけてみれば、流石に不機嫌な事が伝わったのか、相手が言葉を慎重に選んでいるのがわかる。
「聖女にしか使えない癒やしの力を持つだけでなく、この国の誰よりも豊富な魔力を持ち、御身がこの国にある限り、国をあらゆる災害から護ると言われています」
神様か、と心の中で呟く。
「それって前聖女様もそうだったってこと?」
「はい。深い慈しみの心で国を思い、民を助ける事に専心された方でした」
まさに聖女様である。だが、ついさっきまでただの一般人だった自分がいきなりそんな神様みたいな存在になれと言われてなれるわけがない。
「つまり、私は聖女としてこの国を助けるために呼ばれたってことですか?」
今度こそ不機嫌さを隠しもせずに言うと、若干気圧されたようではあったものの、アルフレッドがしっかりと頷いた。
「正直この状況がまだ理解できません。明日の朝まで考えを整理させて頂いても?」
「もちろんです。よろしければこの部屋をお使いください。他に必要なものがあれば揃えさせましょう。食事は部屋に運ばせます」
至れり尽くせりだが、舞が要求したのは情報だ。
「それはそれでお願いしたいけど、何よりもまず聖女と魔法、あとこの国について説明されている本か書類があればください」
こんな何も知らない世界で情報もなしで判断などできるはずもない。もしこの世界の文字が読めなかったら…と思ったが、そこも含めて確認したい。
そう言った舞にアルフレッドが驚いた表情を見せた。
まさかそんな事を言われるとは思ってなかったのだろう。だがすぐに元のように笑みを浮かべると、「すぐに用意させましょう」と言った。