表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

8. プロポーズ


 『セイント・クリアローズ』のヴァルエハーツァは、お世辞にも安定しているとは言えない国だった。国王と先王の弟の仲違いによる内乱状態の中で、物語は幕を開ける。


 比較的安全な王都での学園生活がスタートする場面が全ての始まりだ。

 ヒロインは異例の編入を認められ、三年生という最終学年からアカデミーに通い始める。


 当初こそ【無色】であることと平民出身であるのに異例の編入を許されたという偏見と差別に見舞われるが、同級生である第三王子が傷を負った際、魔術とは異なる『祈り』による治療を施し、それがきっかけで「聖女では?」とまことしやかに囁かれるようになり、いわゆる攻略対象たちに好意を向けられるようになる。


 そしてお決まりなのがヒロインを邪魔する敵役、悪役令嬢の存在。


 身分的にも能力的にも、もちろん容姿的にも非の打ち所がない公爵令嬢。

 家のために嫁がされることは生まれた時点で確定しており、マナー、教養、帝王学に至るまで厳しく育てられたがゆえに過ぎるほどの自信を持ち、なまじ【黒】としての能力に長けているため高慢で、そして誰もが振り返る絶世の美貌の持ち主。

 そんな彼女は第三王子の婚約者候補筆頭として登場する。


 メインの登場人物が全てヒロインと絡んだ後、事件が起こる。

 内乱による戦闘で王太子である第一王子と、第二王子が揃って戦死してしまうのだ。

 生母の身分が低く、第一王子と十二も年が離れていた第三王子に王太子の座が突如転がり込んで来た。

 バートン公爵の後ろ盾を得るために急遽、第三王子と公爵令嬢との婚約が正式に発表される、というところまでが物語のチュートリアルだった。


 前世の妹にああだこうだ言われながらゲーム画面とにらめっこしていた薄ぼんやりとした記憶にも、俺は不思議に思っていた。


 悪役令嬢は何も間違ったことを言ってないのでは? と。


 婚約者がいるのに他の女に現を抜かす王子とか。

 親の権力を笠に裏工作し放題の宰相の息子とか。

 正義感だけで突っ走り現実が見えていない騎士団長の息子とか。

 国際問題をちらつかせ他国であれこれ動く異国の王子とか。

 仕事しないで生徒に手を出す色ボケ教師とか。


 それら全てを歓迎し、授業そっちのけで作為的に彼らとのイベントを起こしさえするくせに「私はみんなを助けたいだけなの!」と己の正当性を高らかに謳うヒロインとか。


 ダメで阿呆なイケメンたち、つまり攻略対象者たちとヒロインを叱り飛ばし、友人や他の生徒たちを守ろうとしていたのが、件の悪役令嬢だ。


 ヒロインを虐め抜き、果ては殺そうとした、と最終的に断罪されてしまう彼女が、作中でヒロインに何か嫌がらせをするような描写はひとつもなかった。あるのは前述通り、いいかげんにしろ、まともに授業を受けさせてくれ、どうでもいいから騒ぎを起こすな、といった類のいたってまっとうな“口頭での注意”だけで、ヒロインが襲われただの私物が壊されただのは、全て自称被害者であるヒロインの訴えのみで証拠は何一つ提示されなかった。


 絶対におかしい。このシナリオライター頭だいじょうぶ?

 俺は何度となく断頭台に登る悪役令嬢を見ながら、何度もそう呟いた。


 しかし現実はどうか。


 まずヴァルエハーツァには内乱など起きていない。

 確かに先代ヴェサリウス老が亡くなられた十年前くらいは少しヤバい雰囲気だったらしいが、現在はいたって平和。王様と叔父さんの仲もいたって良好らしい。


 内乱が起きていないということは、王太子と第二王子が健在ということだ。


 王太子殿下と半竜族のゼフ様との間に男児が誕生しているので、第三王子に王太子の座が回って来る可能性は今のところ非常に低い。

 つまり悪役令嬢、この場合は俺の天使パトリシアが三年生になると同時に王子と婚約させられるという急展開は起きないと予想される。

 オーガスト辺境伯の求婚が公にされていない今は、トリシアが王子の婚約者候補筆頭であることに変わりはないが、少なくとも正式な婚約者でない以上、ヒロインがトリシアを悪役令嬢として邪魔者扱いする理由は限りなく弱い状態だ。


 トリシアに聞いた話、当の第三王子にも選ぶ自由がおそらく黙認されるとのことだ。

 お兄ちゃん二人が元気で健康で結婚相手もいてしかもお世継ぎも生まれてれば、そりゃ生母の身分の低い第三王子はある程度自由があって当然かもしれない。むしろ、現状あまり力のある家との婚姻は喜ばれないだろう。無駄に権力を持つな、って睨まれそうである。


 何より、今のトリシアは自信過剰で高慢な悪役令嬢にはなり得ない。

 なにせ俺の天使なのだから。


 やはりこの世界では『セイント・クリアローズ』の物語は成立しない。


「…でも、師匠が若い頃、隣国で似たような場面を見たとおっしゃっていました。この世界には何か、そういった強制力のようなものがあるのかもしれません」


 ふむ。と一度唸ったジュダル様は腕を拱いたまま目を伏せている。

 睫毛が長い。化粧っ気など全くないのにこの整い具合はなんなんだろうか。


 俺は彼女に全てを話した。

 前世の記憶がある。この世界に良く似た世界をゲームで体験したことがある、と。

 トリシアにも打ち明けていない。師匠にもこんなに詳細に語ってない。

 “ゲーム”を理解できないだろうこの世界の住人に、俺の話はおそらく荒唐無稽に聞こえただろう。けれど信じてもらわねばならない。

 ヒロインがどんな子かは知らないが、パトリシアと関わらせるのは危険だ。もし彼女を中心に世界の強制力が働くとしたら、王子をはじめ攻略対象者たちがヒロインに盲目的に依存しトリシアを悪役へと仕立て上げるという最悪のパターンもありうる。

 トリシアの結婚は今のところ卒業後の問題だ。ひとまずはヒロインから守り、無事に卒業してもらわねば。


「前世の記憶なんて信じられないとは思いますが」

「ん? いいや、それは信じるもなにも、そういった子がいるのは知っている」

「…はい?」

「異世界からの転生者だろう? この世界の神はまだ若くてな。寛容と言おうか、大雑把と言おうか。良く精査もせずにとりあえず放り込む悪癖がある」

「…その感じだとまさかお会いになったことが?」

「うん」

「俺の代師様マジで規格外」

「ゼフも会ったことがあるはずだが、まあ覚えていないだろうな。あの子は君と同じで異世界に生きた記憶を持っている。機会があれば話してみるといい。存外、前世では同郷だったかも知れんぞ?」

「…常識ですか? 異世界転生の話」

「常識。常識か。さて。私は知っているが他はどうだろうか。君が今まで聞いたことがないのであれば、違うのかもな」


 異世界の話はさすがに聞いたことはない。ってことは非常識ってことですね代師様。

 師匠の発明品を見て「もしかして!」って言って来たのは俺だけらしいし。

 いやでも俺と師匠と弟さんと、こんなに近場に三人もいるなら、確かに探せば見つかりそうだ。少なくとも【無色】より断然多い。


「それより騎士団長の息子、と言ったな」

「ええ、はい」

「レリウス家の末っ子はゼフだが?」

「え?」

「国立の騎士団は複数あってそれぞれに長がいる。法的に立ち位置は同じだが“騎士団長”と言えば最も位の高い近衛騎士団の長であるシグルドのことだろう。君たちと同時に学生をやれる息子はいない。まあ、その編入生が現れるのが二年後ならそれまでの間にシグルドがまた誰ぞ拾って来る可能性もなくはないが」

「…すみません。肩書しか思い出せなくて。ちゃんと名前もあったはずなんですけど」

「もうひとつ。周辺国に君らと同い年の王子はいない」

「はい?」

「これも二年の間に王籍を得る婚外子やらが現れないとも限らないが、現時点で君の言う“設定”はいくつか破綻している。それでも君はこの世界がパトリシアを害すると?」

「…そもそも内乱が起きなかった時点で俺の知る物語は破綻しています。ですが、可能性はゼロではありません。【無色】の彼女がゲーム通りの行動を取るなら、俺は彼女と敵対しなければならない。自分の立場を上げるための邪魔者は絶対に必要ですから」

「ふむ? それで、スティーブン。君はどうしたい」

「パトリシアの無事の卒業、そして幸せな結婚を望みます」

「それで?」

「つまり。俺は……」


 ジュダル様の紅い瞳は俺の気持ちなど初めから知っている。

 けれどあえて言葉にさせるのは言質を得るためか、俺の退路を塞ぐためか。

 それとも、俺の願望を、決意へと変えるためか。


「――できれば俺が、トリシアと結婚したい、です」


 普通に考えたら子爵家の三男が公爵家の長女を娶れるはずがない。

 けれど、我らが代師様は満足気な笑みで大きく頷いてくれた。


「私は言ったなスティーブン。家族のためであれば、道理を曲げることをも厭わない、と」


 あまりに美しいものは恐ろしいとどこかで聞いた。

 ジュダル様の笑みはまさにそれだ。

 美しく、ただひたすら美しいのに、どこか空恐ろしい。

 けれどその恐ろしさが頼もしくもあった。


 この人を敵に回してはいけない。

 俺はそう魂にまで刻み付けるよう、ひとつ首肯した。



***



 あっという間に時間が過ぎた。


 来週、俺たちはアカデミーに入学する。

 塾に居てもいいらしいが、全員がアカデミーの寮に移ることを決めた。

 通えなくもないが歩くとなると少し距離があるし、その程度の距離をわざわざ馬車で移動するのも面倒だ。

 防犯の観点から、外部から校内への転移魔術は発動防止の術が施されているらしい。それもそうか。転移魔術が許可されていたら外から入り放題である。王族も通う学校だというのに、それでは無防備すぎる。

 近くに一度降りて歩けばとも思ったが、そもそも公道でも転移魔術は禁止されている。「ホウキに乗って空を行くしかないな」と呟いた俺に塾の同期たちは不思議なものを見る視線を寄越した。この世界の魔術師はホウキには乗らないらしい。


「トリシア。スカート短くないか」

「あら、そお? みんなこのくらいだと思うけれど」


 食堂に届いた荷物の山から自分宛てのものを探し出し、みんな思い思いにその場で開け広げている。

 今日はアカデミーの制服が同期全員に届いたので、全員で試着も兼ねてファッションショーが開始された。いや、全員同じ黒い制服なんですけどね。


 ほら、とトリシアの視線が他の女子のスカートに向けられる。

 確かに。みんな同じ膝の少し下の丈だ。

 けど、今まで常に足首さえ見えないロングスカートだったトリシアのふくらはぎとか。見せちゃダメだろ、色んな意味で! ぐぬぬと葛藤する俺の脇をすり抜け、同期の女子がトリシアの肩にローブを引っかけ溜息を吐いた。


「結局ウチらローブ着るんだし、スカート丈なんて関係ないわよ、ほら」

「…そうか。ナイス級長」

「まったく。タイツ越しの足首も見せちゃイヤなんて。束縛する男は嫌われるわよ」

「なんならフードかぶって顔も見せないでほしい」


 「重っ」とドン引きしつつ級長がトリシアを窺うと、俺の天使はどこか嬉しそうにはにかんでいた。ああ俺の天使は今日も可愛い。

 ちなみに五年以上経った今もカメラの開発は進んでいないらしい。師匠はあれはあれでお忙しい方なのだ。でもカメラ。カメラください。早く。


「あーはいはい。束縛嬉しいタイプなのね。ごちそうさま。スティーブン。あなた宛てに別の箱が届いてたわよ」


 級長が持っていた箱を「はい」と手渡してくれる。

 なんだろうか。無駄に高そうだ。っていうかこの家紋。見たことある。


「レリウス侯爵の紋ね。スティーブ?」


 さすがの公爵令嬢は紋の家名をさらっと言い当て俺を見上げる。その笑顔は「何やらかしたの?」と暗に問うていた。何もしてない。俺は悪いことなにもしてないよ。


 おそるおそる紐を解く。

 さすがに師匠の招待状のように何かしらの魔術が仕掛けられていることはなかった。

 中には丸められた書状。白いリボンがかけられている。


 俺は緊張しつつリボンも解いて、その場でその書状を熟読した。

 何度も往復して確認する。堅っ苦しく難しい言葉が並んでいるが、つまり「手続き完了しました」ってことでいいのだろうか。そういうことだよな。


「はあ…………」


 深い息が無意識にもれた。

 安堵の溜息だった。

 俺の天使が心配そうに俺を見ている。

 ああ、大丈夫。待って。ちゃんと話す。


 レリウス家の裏庭にお邪魔したのは半年も前だ。けれどたった半年だ。

 俺にはちょっと理解できないやんごとなき手続きが山積しているだろうことだけしか分からないが、それがたった半年で片付くのか不安だった。だがそこは天下のレリウス侯爵家。さすが騎士団長。っていうかジュダル様の鶴の一声。


 あの人、国王を脅して新鮮な卵と牛乳を常に備蓄させているとゼフ様が言っていたが本当だろうか。プリンを作るんだそうだ。プリン。この世界で初めて聞いた名だ。ゼフ様はどうやら地球出身らしい。俺も好きなんだプリン。ぜひ今度ご相伴にあずかりたい。


 俺が安堵と感動と色々なことに打ちひしがれていると、手に持ったままの白いリボンがしゅるりと動いてぽんっとカードに姿を変えた。なにこれどんな魔術。


 “愛すべき末弟へ 姉より”


 たった一言のメッセージを読み終えると同時に、カードが再度ぽんっと消えて小さなナイフへと変わった。

 いやだからなにこれどんな魔術ですかジュダル様と口を引きつらせつつ良く見ると、ナイフにはレリウス侯爵家の家紋がきっちりと刻まれている。

 レリウス侯爵家は建国以来続く騎士の家系だ。剣に生きる家から家紋入りの刃物を贈られるということは、「あなたを家族として受け入れます」という意思表示に他ならない。


「ああ、やばい。泣きそう」

「スティーブ? 大丈夫なの?」

「あー、待って。話す。ちゃんと話すから」


 そうだ。安心ばかりしていられない。ここからが本番なのだ。

 姉上。デキの悪い弟ですが、惚れた女の一人くらい守って見せます。

 だから危なくなったらどうか助けてね、と少々小狡いことを思いながら、俺は椅子の上に立った。こんなことをせずとも俺が一番背が高いのだが、注目を集めるには高い所だ。


「みんなに報告がある」


 ちょっと声を張って宣言した俺に、同期たち全員の視線が向けられた。

 なんだなんだと、背中側にいたやつらはわざわざ顔が見えるよう移動してくれる。


「そのうち聞くと思うけど、おまえらには先に言っとく」


 不安そうなトリシアに微笑んで見せ、俺は息を吸った。


「俺とレリウス侯爵家の養子縁組が成立した」


 ざわりと一気に騒がしくなる。

 俺のその一言で全てを察したらしい俺の天使は目を丸めて驚いた。


「だから――」


 椅子から下りてパトリシアの手を取る。

 ゆっくりと跪く俺に、トリシアはすでに泣きそうだ。

 もう少し待って。最後まで言わせて。


「パトリシア・ローズメアリー・エヴァンズ嬢。俺と結婚してください」


 澄んだ常盤緑色の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 永遠に見ていられるほど美しいが、やはりできれば俺の天使には笑っていてほしい。

 何度も頷いたトリシアはやっと言葉を絞り出した。


「――ええ。ええ、スティーブン。もちろんよ!」


 飛び込んで来たトリシアを俺が抱き締めると同時に歓声が上がる。

 花吹雪を散らせるやつらや、もらい泣きをしている女子もいて、俺はなんだかんだ幸せだと強く思った。


 ああ、ありがとうジュダル様、いや姉上。あなたの可愛い義妹の笑顔は俺が守ってみせます。

 おや、今扉の向こうにちらりと見えたのは師匠では?

 師匠も可愛い孫娘の結婚問題は気になっているだろうに、俺に何も言わないということは一応トリシアの相手として認められているということだろうか。


 まあいい。俺は今幸せだ。なんでもできちゃう気がする。

 祝宴の体を成して来た食堂で、この日ばかりは俺も先の不安を忘れて仲間たちと笑い合った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ