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7. 答え合わせ


「やあや、スティーブン。久しいな」


 九歳のときに一度会って以来の人外的美しさの代師様は、その腕に幼児を抱えて俺の目の前に現れた。

 いや、目の前に現れたのは俺の方だ。

 今の今まで塾にいたはずなのに、出かける準備ができた瞬間に見慣れない庭に立っていた。

 魔術の発動なんて微塵も感じなかったし、空間を移動する感覚もまったくなかった。高位すぎる魔導の使い手は、同じ魔術師にさえ感知されずに術を展開させられるということなのか。それとも俺の察知能力が低いだけなのか。迎えに来てくれるとは聞いていたが、問答無用で連れ去られるとは。なにこれやだ怖い。


「お久しぶりです…」

「ずいぶんと背が伸びた。男子三日会わねばとはよく言ったものだ」

「五年以上お会いしてませんが…、ジュダル様は相変わらずのご様子で」

「にぃにだあれ?」

「す、スティーブン・ルシェールです。殿下……?」


 幼児のにこにこ顔におそるおそる頭を下げ、ジュダル様を窺い見る。

 満足気に頷いてらっしゃるので、どうやら正解らしい。

 この幼児、二歳くらいだろうか。藍色の髪に金の瞳の男児。今の国王とそれから王太子とも同じ配色だ。まず間違いなく王家のお子様である。


「甥っ子だ。可愛かろう」

「ええ、はい。甥っ子さん?」

「私の弟とレイナートの子だ」

「弟さんと王太子殿下の。…ん? ――あの話、どこまで本当なんですか。竜族と結婚するために王太子殿下の性別を変えたってやつ」

「前提と過程は少し違うが、おおむね事実だ」

「……――竜族?!」

「半分な」


 人外的美しさの代師様はどうやら本当に人外の血をお持ちのようだ。

 竜族。現存するのは知ってはいたが、こんな所で普通に会えるなんて。世の中狭い。


 ぽてぽてと近付いて来た大きな犬がジュダル様の横に来て「わふ」と一声上げた。犬、だよね? 山犬かな? 結構な老犬だ。


「おお、君も挨拶に来たのか。スティーブン、彼はポチ」

「…ポチ」

「弟が名付けた。妙だが愛嬌のある名だろう? 若い頃はシグルドと走り回って騎士犬などと呼ばれていたが、最近はもっぱらここで子守をしてくれている」


 わふ、と同意するお犬様。

 シグルドって確か騎士団長だよな。侯爵様だった気がする。

 この国で一番偉い騎士様を呼び捨てて大丈夫なのか。いや、そういえばさっきは王太子殿下も呼び捨ててたな。…大丈夫なんだろう、きっと。俺の麗しの代師様は世界最強の魔術師で半竜族だ。俺の常識では測れないお方なのだ、きっと。


 ポチ氏の淡いクリーム色の毛並みを見つめながら、俺は「ポチ」と再度音にして呼んでみた。俺にとっては馴染み深い“犬といえば”な名前だが、この世界では初めて聞く音だ。もしかしてジュダル様の弟さんは俺とご同類だろうか。


「して。私に用とは」

「あ、はい。長らくお借りしてました。ありがとうございました」


 はっと思考を切り替えて、持っていた冊子と辞書を差し出す。

 小さく頷いたジュダル様は確認もせずに手を振った。現れたときと同様、冊子たちが光の粒子になっていずこかへと消えて行く。たぶん禁書庫に戻ったんだろう。こんなふうに勝手に出されたり入れられたりしてたら管理が大変だろうなあと、禁書庫の司書さんにこっそり同情しておいた。


「早かったな。十年は見ていたが」

「アカデミーに入学すれば時間が取れなくなると思いまして」

「別に何年かけても良かったんだぞ?」

「いえ。少なくとも俺が三年生になるまでには読み解く必要がありました」

「ほお。ずいぶんと励んだようだ。よいよい。代師の務めとやらを果たそうではないか」


 師匠も言っていた。あの量の禁古語を四、五年で解読するのは早すぎる、と。それでも睡眠時間を削ってでも読み切らねばならなかった。

 無色のバラ。その謎が謎のままでは、ヒロインと対峙したとき足元をすくわれかねない。


 代師様が初めて会ったときにおっしゃっていた通り、七つの審判でバラの色が変わらない子の存在が神殿により数年前に公表された。新聞の一面ではあったが、片隅の小さな記事だった。あれでは興味を持って探さなければ見落としてしまうだろう。

 現に、この件はまったくといっていいほど話題にはならなかった。

 俺も一応読んだが「神殿側の不備によるもので、今後は改善の見通し」とだけ書かれていて、俺に前世の記憶がなければ頭の片隅にも残らないその程度の公示だった。


「立ち話もなんだし、座れば?」


 ジュダル様の後ろからはじめましてのお兄さんがトレーを持って現れた。

 そのお兄さんに促されて、木陰に用意されていたソファに座る。

 やわらかな光の降り注ぐテーブルクロスの白が心なしか輝いて見えた。陽射しはそこまで強くないのに、他で見るそれより明るい気がする。空気が違うのだろうか。というか、ここはどこだ。


 ジュダル様の足元にポチ氏が伏せる。

 どうぞ、と言わんばかりのその背に幼い殿下を乗せれば、嬉しそうな笑い声が響いた。なんか平和だなあ。ぽかぽかだし、ほわほわだし、ほっとかれたら眠くなりそう。


 お兄さんがお茶とお菓子を出してくれる。

 白に近い銀の髪と真っ青な瞳。肌の色は俺の知識で言うアジア系に近い。黒髪紅眼白磁の肌のジュダル様とは真逆だ。けれどどこか似ていると感じた。

 ジュダル様のように目を見張る美しさというわけではない。

 ただ、なんというか。この人も人外的な何かを持っている。

 そんな気がして、俺はおそるおそる尋ねた。


「…もしかして、弟さん、ですか?」


 お兄さんは驚いた顔で俺を見た。

 あ、やっぱり。俺の美しき代師様の弟さん。てことは王太子殿下のお婿さん。


「驚いた。俺たちが姉弟だって気付くやつは初めてだ。なんで分かった?」

「いや…なんとなく。似てるな、って」

「俺とジュダが似てる? なるほど。さすがジュダの代弟子」

「あ、スティーブンです。はじめまして。姉君にはお世話になっております」

「俺はギュゼフ。杖を作った以外何もしてない姉がどんな世話を焼いてるかは知らないが、礼儀正しいことは良い事だな」


 確かに。魔杖をもらってレポートを借りたあの日以来、今日が二度目の対面ではある。

 なんと返事したものか、苦笑する俺にギュゼフ様は肩を竦めた。


「どうせここがどこかも知らずに来た口だろう」

「説明する間などないだろう。君たちが私を表に出したがらないのだから、勝手に連れて来るしかあるまい」

「はあ…。すまない。俺の姉はいつもこうで」

「いえ」

「ここはレリウス家の裏庭だ。……この代師がレリウス侯爵の娘だってことは?」

「初耳です」

「……ホントごめん。俺の姉は自己紹介の重要性を何度説いても理解してくれなくて」


 じとりとした視線を向ける弟から顔を逸らし、代師様は優雅に紅茶をすすっておいでだ。この弟さん、中々苦労をしておられる。


 確かに。代理師弟関係にもかかわらず、俺はジュダル様をジュダル様というお名前でしか知らなかった。

 別にそれで困ることはなかったし、誰かに「おまえの代師、誰?」と訊かれても「トリシアと同じ人」と応えればそれで済んでいたいたので、知る必要もなかったのだ。


 侯爵家の子息令嬢のわりに、お二人ともとっても気さくでらっしゃる。

 失礼ながら俺の代師様なんてご令嬢っぽさは微塵もない。

 俺としてはありがたいが、家族全員が【白】の男だとこうなってしまうのだろうか。


 レリウス侯爵シグルド・レリウス氏は近衛騎士団の団長だ。上の三人のお兄さんたちも騎士でそれぞれ塾頭を務めている。つまりレリウス家は真っ【白】なのだ。たぶんこの弟さんも【白】だろう。そんな気がする。


「…レリウス侯爵夫人が竜族ということですか?」

「いいや。ウチの五人兄弟は全員がシグルドの養子でな。私はゼフとしか血の繋がりはない」

「そうなんですか」

「シグルドは独身だ。若い頃、それこそ結婚してすぐに妻を失ってな。以来、どんな縁談も断り続け、親の無い子を見つけては拾って育てている。頑なで物好きな男だろう」


 それはつまり亡くなった奥さんを今でも愛しているということだろうか。

 物好きだと言葉ではけなしながらもジュダル様の微笑からは家族への愛情が見て取れる。血の繋がりはなくとも良い家族なんだなと、そう思えた。


「なるほど。いや、半竜族が二人も目の前にいるなんて」

「ハーフといっても俺はほとんど人族と変わらない。それに、それで言ったらこの子はクォーターだぞ」

「確かに」

「どうせ小難しい話をするんだろ。睡眠学習で魔術に興味を持たれたらめんどうだ。ベッドに移すよ。お茶のおかわりが要るときは呼んでくれ」


 いつの間にかポチ氏の背でうとうとしていた幼い殿下を、ギュゼフ様がひょいっと抱き上げる。「ごゆっくりー」と去って行くその背を追って、ポチ氏も歩き出した。幼い殿下の騎士のつもりなのだろうか。目を離すまいとしているようだ。


 ギュゼフ様は二十代後半と見た。ということはジュダル様はそれより年上。全然見えない。初めて会った十六、七歳くらいかなあと思ったあのときからまったく変わってない。…半竜族の血だろうか。それとも強すぎる魔力のせい?


「さて。では小難しい話をするとしよう」

「あ、はい。まずは答え合わせを」

「レポートの?」

「はい。水晶バラにとって想定外の能力がすなわち【無色】ということで間違いないでしょうか」

「ああ、そうなるな」

「レポートには“古代の魔導の名残り”とありましたが、つまり彼らは“魔法使い”だと?」

「正しくは魔法使いの残滓に過ぎない。魔法使いほど突飛で現状“ありえない”ことをしでかせるような【無色】は存在しないだろう。…魔術師と魔法使いの区別ができる子と話をするのはストレスがなくていい。ウチの男共は皆“同じだろ”などと阿呆なことをのたまうバカばかりでな」

「【白】の方々にとっては、似たようなものでしょうから」


 あははと苦笑すると、ジュダル様も残念そうに溜息を吐いた。

 我が代師様も意外と苦労をしておいでなのかもしれない。【白】の中の【黒】一点って、話が通じないだろうな。


「適性的には魔術師扱いになるんでしょうか」

「いいや。弟曰く彼らは“一芸さん”だ」

「一芸さん?」

「魔法には論理が成立しない。術式として具現化できない魔法は私たちには理解できないが、同じように魔法使いには魔術の意義が理解できない。彼らは持って生まれたその一芸のみしか行使できないだろう」


 一芸さんの一人に心当たりのある俺は一瞬だけ眉根を寄せた。


 【無色】には一芸しかない。

 けれどその一芸は魔術に似て異なる(わざ)だ。

 魔術師たちに理解できない不思議なチカラが“魔法のように”ふるわれれば、それは“奇跡”と呼ばれる。


「魔法使いの残滓たちが用いる力も名を付けるとしたら“魔力”になってしまうだろうが、それは私たちが扱っている魔力とは全く異なる何かだ。例のバラはその“何か”に対して色を変えるよう造られていなかった。それだけの話だが、君にとっては重要なようだな」


 紅い瞳が意味深に笑ってティーカップを傾ける。

 なんかもう、全部お見通しなんじゃなかろうかとさえ思えてくる。他人の心の声が聞こえたりしてないよな、この人。


 俺の美しき代師様はご自分が指導者には向いていないとおっしゃっていた割に、俺の疑問に的確に事実を教えてくださる。案外良い先生になるんじゃなかろうか。実技のほうはさておいて。


「…一芸さんだけなら他にもいっぱいいそうですけど」

「いるとも。みな限定的ではあるがな。予知能力であったり念動力であったり、他にも様々な一芸さんが普通に暮らしている」

「でもその人たちは【無色】じゃないんですね?」

「例のバラが魔力に反応して【黒】になることは分かるな?」

「はい」

「レイナート。王太子の例を挙げる。レイは【白】だ。けれど君以上の魔力の持ち主でもある」

「? 【白】と【黒】がせめぎ合って【白】が勝ったんですか?」

「違う。魔術師とは“体内にある魔力を体外に具現化できる者”をいう。レイはそうではなかった」

「つまり、王太子殿下には魔力はあってもそれを使う才能がなく、剣術に長ける適性が判断されたと」

「【無色】以外の一芸さんも同じだ」

「…一芸があっても他の適性が長けていればそちらに審判が下る?」


 代師様が頷いてくれる。

 ということはつまり【無色】は本当にその一芸しかないってことか。


 ヒロインをヒロインたらしめる【無色】の謎は徹底的に解明されたと思っていいだろう。

 ――ジュダル・レリウス。俺の前世の記憶にはない、半竜族のこの人の手によって。


「…これで聖女フラグは消滅したか」

「聖女。古めかしい単語を使う。古語とのにらめっこはおもしろかったようだな。別のレポートも読むか?」

「い、いえ、しばらくは結構です。【無色】にも色が付くんですよね? 何色になるんでしょうか」

「決まっていないのではないか? まだその“残滓”を捉える術も確立していないようだ。存外あれは古い術式でな。魔技団からは日々悲鳴が上がっている」

「なるほど。…ジュダル様はお手伝いされたりとか」

「さほどあれに興味がない。何色がいいと思う。案があれば伝えておく」


 何色、と問われてぱっと思い出したのは俺の仮想敵であるヒロインの姿。

 俺が【無色】の謎を解かねばならなかった最大にして唯一の理由。

 その他多くのヒロインがそうであるように、彼女の髪もまた可愛らしい色をしている。


「…ピンク」

「それはまたずいぶんと愛らしい。悪くない。そうしよう」


 あ、これ。決定事項だな。「伝えておく」レベルじゃない。

 ごめんよ、これから生まれて来る【ピンク】の男子たち。決して悪気があったわけでは。


「して、スティーブン。まだ何かあるようだな」

「はい。…実は、今日はこれが本題で来ました」

「ほお」

「パトリシアについてです」


 おおよそ予想はついていたのだろう。紅い瞳は特に驚くでもなく続きを促してくれる。

 俺はトリシアの現状を可能な限り仔細に伝えた。


 オーガスト辺境伯から結婚の申し入れがあったこと。「アカデミー卒業までは」とトリシアのパパが婚約も引き延ばしてくれていること。けれど現状、第三王子との結婚よりも現実味があるのは辺境伯の正妻になることのほうだということ。バートン公爵も師匠も成す術がほぼないという、絶望的な状況であること。

 トリシアは「覚悟している」とは言うが本心では泣くほど嫌がっているということ。


「まあ、然もありなんだな。今の第三王子よりはオーガスト辺境伯のほうが政治的立場上重要であることは誰の目にも明らかだ。かの地の交易も守りも全てオーガストが担っている。王家とのつながりを重視するならば、公爵家から娘を嫁がせるのは道理というもの」

「ジジイと孫のような年の差でですか」

「その程度造作もあるまい。歴史を見よ。四十、五十の年の差夫婦などごろごろしている」

「…ジュダル様は反対なさらないと」

「国政に口は出さない。私や家族に実害があるならともかく」


 ジュダル様のゆったりと紅茶を飲む様は心底くつろいでいるように見える。

 トリシアの結婚問題には関心がないということだろう。

 可愛い代弟子の望まぬ縁談に、我らが代師様が何かしら打開策をくれるのではないかと思っていた俺の“奥の手”は不発に終わるかもしれない。

 ジュダル様の言うことが正しいことは俺にも分かる。

 分かるけど…!


 ここに来て他力本願な俺を叱責するでもなく、代師様は小首を傾いだ。


「…スティーブン。代理師弟のよしみだ。ヒントをやろうか」

「ぜひ」

「君は全てを明かしていないな。いかな私とて知らぬことを論じることはできない」

「…………」

「何より君自身がどうしたいかを何一つ口にしていない。人の心は分からないものだが、その言葉の真偽は当人を見ていれば一目瞭然。そして私は家族のためであれば道理を曲げることをも厭わない。さて、どうすればいいと思う?」

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