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5. ヴェサリウス二世


「風車と水車は地方の農村に辛うじてあるけど超質素。ガスの存在は認識されてはいるけど活用法は研究されてない。蒸気機関や電気なんてこの世界じゃ夢のまた夢だな。まあ、魔石が枯渇するか【黒】が絶滅でもしない限り無理だろうな……」


 人間社会とは戦争がなく平和でこそ文化的に発展する。

 安全な世界でよりよく便利なものを追及して発明とはなされるものだ。

 けれどこの世界には何より便利な魔術がある。

 魔術師は魔力さえあればいいし、他の人たちも魔石があれば魔道具を使うことができる。


 魔術師のいない地方の田舎や、魔石を購入する余裕のない寒村なんかでは、俺には原始的に思える道具を仕方なく使っている。ローウェル子爵領もそうだった。

 資料を見る限りここ百年以上は農機具等の改良は検討もされていないっぽい。いかに作業効率を上げる道具を作るかよりも、魔石を買う資金調達や、若い世代に都会で【黒】を引っかけて来るよう言い含める方が忙しそうだ。


 そもそも、田舎に行けば行くほど七つの審判さえ受けていない人が多い。

 会場である神殿までの移動手段や旅費を工面できず、また子どもの適性など関係ないと考える大人ばかりだからだ。たとえどんな適性があろうと貴重な働き手になることに変わりはない。下手に教育の困難な【白】や【黒】と判断されれば逆に困るのだ。

 集落に一人は魔術師がいてほしいけど、自分の子が【黒】でも教育はできない。そんなジレンマが地方発展の邪魔をしている――ような気がする。


 とりあえず。

 魔力以外のエネルギーやその使い方を考える必要と発想のないこの世界に産業革命は当分起こらないだろう。


「でもせめて誰かカメラを…」

「なんだ貴様。写真を撮りたいのか」

「ええ、はい。トリシアの成長記録を」


 残したい、と応えながら俺はおそるおそる振り返った。

 音や気配はなかった。けれど、そのしゃがれた老人の声は、まさか。


「ヴェ、ヴェサリウス二世閣下…?」

「トリシアの写真か。ふむ、なるほどな、確かに。考えてみるかの」

「え。え? 今、写真って」

「スティーブン・ルシェール。貴様、この世界にないモノを口外するときはもっと周囲に気を配れ」

「あ、はい。すみません。え? あなたも…?」

「もうほとんど思い出せんがな。ここではないどこか違う世界で生きた記憶がある」

「やっぱり…!」


 黒いローブに白髪の老人は片眉を上げて俺の台詞に不快感を示した。

 そのしわがれた手には長い魔杖。どことなく年季が入っているように見える。

 トリシアの祖父、トリシアパパの父親にしては少し年齢が高い気がするが、いくつくらいなんだろうか。魔術師は長生きするというし、俺と同じように転生者だというなら精神年齢もいくらかプラスされているだろうが、どう少なく見積もっても七十は超えていそうだ。


「フォンを見たとき思ったんです。これを作った人は電話を知ってるんじゃないかって」

「なるほど、あれか。しかし、そうか。魔術の魔の字も知らん餓鬼がさほど教育を受けたでもないのに、やたら座学だけは高度な知識を持っておったから妙だとは思っていた」


 ここに入ってすぐ受けたテストの話か。

 確かに魔術については何も答えられなかったが、数学や理化学など、この世界ではあまり使われないだろう知識を問う出題があって不思議に思いつつもまじめに答えてしまった。なるほど。そうだな。この世界にはないモノ、持ち得ない知識の口外は注意せねばならない。

 お湯を沸かすのだって魔術を使うのが当たり前の【黒】が、いかに魔力を使わずに火を熾すかなどと論じていれば、変人扱いか、下手をしたら異端者扱いだ。


「……スティーブン。貴様はなぜここに来た」

「それは、まあ。せっかく剣と魔法の世界で【黒】に生まれたならそれなりの魔術師になりたいと思ったのと――、パトリシアに出会ったから、ですかね」

「トリシアに取り入るためか」

「いいえ。正しく伝わるか分かりませんが、この世界はトリシアを害する可能性がある。だから俺はできる限りの力と知識を身に着けて、彼女を守りたいと思っています」

「世界がトリシアを害する……」


 老人は沈黙し、質素な机に散らばった紙片に視線を落とす。

 ここは他の生徒たちはあまり近付かない古い書庫だ。俺が古語の解読をしたい旨の相談をしたところ、トリシアから事情を聞いたらしい塾長、ヴェサリウス二世がここを貸してくれた。


「若い頃、隣国のアカデミーに一年留学したことがある」


 当時はあちらの教壇に腕の良い魔術師が立っていてな。と、塾長が語り始める。

 俺が同じ転生者と知って、何かしら打ち明けようとしてくれているのが分かった。俺もちょっと感動したし、同年代なら抱き合って互いの運命の数奇さを慰めたかったところだ。


「そこには今のトリシアに良く似た立場の女子生徒がおった。家柄、容姿、能力。そのどれもに優れ、王家に嫁ぐものと幼いころからそう言われておった子だ。だが……」

「――断罪された。普通ならありえない理屈で」


 俺の台詞に塾長はやや驚いたようだった。

 「そうだ」と何度か頷くしわの深い顔を見ながら、俺も少し驚いていた。

 さらっと口にしてしまったが、五十年以上前の隣国で悪役令嬢の断罪イベントが起きたということか。


「卒業式のパーティーで彼女は王子に婚約破棄を言い渡された。わしは王子の口上を聞きながら、そんなことがまかり通る訳がない、罰されるのは王子のほうだろうと、そう思っていた。だというのに、法に背く粛清が当たり前のように行われ、それどころか家ごと取り潰され今はどうなったのか誰も知らぬ。――まるで、世界が彼女を排除したかのように思えた」


 言葉を切った老人は強い眼差しで窓の外に視線を向ける。

 どこか遠くを見るそれは、その断罪された令嬢を思い出しているのかもしれない。


「孫娘が生まれ成長するにつれ、わしは異国の地に消えた彼女を強く思い出すようになった。似ているのだ。容姿がではない。立場が。雰囲気が。スティーブン。貴様の言う可能性とはつまり、そういうことなのか」


 俺は一瞬伝えるべきか逡巡し、けれど、強く頷いて「(はい)」と答えた。

 眉根を寄せた塾長は深い溜息を吐き出しながら首を横に振る。

 おそらくこの老人はゲームやラノベを知らない世代の転生者なのだろう。

 悪役令嬢という概念を持っていないように思えた。


「守れるのか。スティーブン・ルシェール。世界から、トリシアを」

「今のこの国では、おそらくあなたが隣国で見た悲劇は起きそうにない。けれど、可能性がゼロでない今はまだ、俺はできうる限り情報を集め備えたいと思っています」

「その備えのひとつがこの恐ろしいレポートか」

「はい」

「その可能性はいつまで続く」

「アカデミーの卒業式。それがおそらく最も危険な日です」

「……わかった。わしの可愛いトリシアによこしまな妄想を抱いておるようなら叩き出してやったところだが、どうやら貴様は有用なようだ。わしのただ漠然とした不安よりよほど確かに何かを見据えておる」

「ジュダル様がこの国で最も強い【黒】だと聞きましたが、助力してくださるでしょうか」

「国に留まらずかの御仁はこの世界において最強だ。気紛れだがトリシアのことは可愛く思っておられる。代師を引き受けた以上、話くらいは聞いてもらえるだろう。無論わしはトリシアを守るに必要な助力は惜しまぬ。貴様がトリシアを守る壁になろうと言うなら、鍛え抜くまで」

「は、はい。お願いします」


 これが、宮廷魔術師団の長であり、ヴェサリウス魔道塾の長であり、俺の天使のお祖父様であるヴェサリウス二世閣下のスパルタ指導開始が宣言された瞬間である。



***



「それでは。第一回・ヴェサリウス魔道塾男子生徒の意向調査会議を始めます」


 十歳前後で既にチャラいと言って差し支えない雰囲気の少年が意気揚々と宣言した。「なんのこっちゃ」と俺は胸中でツッコミを入れる。


 談話室には黒いローブ姿の二十数人の男子生徒が集まって膝を突き合わせている。「おまえも来いよ」と呼ばれてほいほい付いて来てしまったが、一体何が始まるのやら。


「ボクは断然、マリア先輩」


 チャラ男がきゅっと真剣な表情でのたまった。

 マリア先輩とはあれか。ブルネットのたれ目で泣きぼくろの。胸と尻の大きな彼女か。後輩の面倒を良く見てくれる優しいのほほんとした先輩だが、彼女がなんだって?


「ふん。君はやはり単純だな。僕はケイト先輩だ」


 眼鏡をかけたまじめそうな少年がチャラ男を鼻で笑って、けれどチャラ男と同じようなことを高らかに宣言した。

 ケイト先輩はあれだ。本名はキャサリン。青のロングストレートが流れる水のように美しい、塾一番のしとやか系才女。身体の凹凸はそこまで目立たないが、しゃなりと歩く様は白い大輪の花を背負っている雰囲気がある。彼女も優しい先輩だ。


「おまえたちはまだまだだな。メグ先輩が一番に決まっている」


 遠くからまた別の先輩の名が挙がった。

 メグ先輩はふわふわした巻き毛の華奢な体躯につぶらな瞳が可愛い仔犬系童顔美少女だが、その顔と小柄な身体に似合わず巨乳である。明るく朗らかな彼女も優しい人だ。


 ここまで来れば、これがなんの会なのか俺にも分かった。

 つまり自分たちの「推し」の発表会なのだろう。

 くだらない。俺は例のレポートを解読するのに忙しい。男同士の付き合いも大事だとは思うが、今回は遠慮しておこう。そっとフェードアウトするべく出口に向かった俺に、目ざとくチャラ男が声をかける。


「スティーブン!」

「チッ。……なんスか」

「君は?」

「俺は別に、そういうのは」

「健全な男子たるもの、まったく興味がないわけではないだろう? それともあれか? 君はボクらの中に意中の相手が?」


 どっと笑い声が上がる。

 女に興味がなければ相手は男かと、そう単純な結論に至る阿呆共にイラッとした。が、十歳前後のガキなんてこんなもんだろう。相手にするだけ無駄だ。無駄だが、俺にも曲げられない信念くらいはある。


「高尚過ぎておまえらには理解できんだろうがな」


 そう。

 世界一美しい俺の天使の名が一番に出て来ないこいつらとは端から女の趣味など合おうはずがない。

 俺は腕を拱いて断言した。


「パトリシア一択だ」


 後で聞いたところによると、あれは別に「どんな女が好みか」という話ではなく、実技実習のパートナーを誰に務めてもらいたいか、という話だったらしい。

 いや、絶対にあいつら実習とか関係なしに自分の好みで言ってた。絶対。


 ちなみに俺のパートナーはありがたいことにパトリシアに決まった。

 相部屋の先輩がにやにやしているので締め上げたら、女子も似たような会議を開いていて、互いの名前を挙げた者同士は優先的に組めるのだと言う。

 「両想いだねえ」と笑われたので「先輩はフラれたんスね」と返しておいた。泣かせてしまったが、自業自得だ。斬り込むならば斬り返される覚悟でいなければ。


 トリシアはおそらく連れて来た手前、俺の面倒を見てやらねばという使命感と、魔力の属性の関係で俺の名を挙げたんではないかと思われる。代師も同じで魔杖も兄弟。俺たちは姉弟弟子(きょうだいでし)関係が他よりやや濃い。


 俺は俺の天使と間近で勉強できるなら万々歳だ。

 足を引っ張らないようにしなければ。

 俺は決意も新たに鼻息荒く拳を握った。

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