蝉ももどる
《ひぐらし》が、ちかくで鳴きだした。
慣れた手つきで急須をゆする年寄が、《セミ》ももどったか、とどこかさびし気にうなずく。
「 ―― はじめに、『先生』にお会いしたのは、こんな暑い夕暮れ時でした」
ヒコイチにお茶をすすめると、自分の分をそっとついだ。
歳をとり、商売のあとをついでくれる者もおり、あとの残りの時は、自分の好きなことを好きなようにやろうとおもいたち、一条のぼっちゃまから《百物語会》のことをきいたせいもあり、そういうことをできるよう、ちょうどいい空き家も買った。
街から外れているとはいってもなかなかのお屋敷を、嘘のような値で買い取れたのは、ぼっちゃまの口添えもあるが、荒れた屋敷に『幽霊がでる』、などと噂がたっていたからだ。
《みえる》ダイキチには、そんなものは嘘だとすぐにわかった。
武家屋敷のようにもみえるが、実際は似せてつくってあるだけで、武士など住んでいた気配はなかった。
どこかの誰かが屋敷のつくりだけを見て、侍の幽霊がでる、とでも、さわぎたてたのだろう。
本物の武家屋敷ではなくとも、庭と池はたいそう立派だった。
池の蓮は、目にまぶしい青さで立ち並び、これらが花を咲かせたなら、さぞかし見事だろうとおもわせた。
知り合いの薬屋に蓮の実をわけようともたしかに考えていた。
ところが、―― 。
蓮に実はならず、それどころか、どうやら池のハスには、白い煙のような女の化身がとりついている。
『幽霊』のうわさはこれのことかもしれない。




