聞き間違いで
「 ヤエちゃんはそのあと、村には帰りませんでした。親ごさんのもとへもなんの便りもなく、そうして・・・やがてだれも口にもしなくなりました。―― そのうちわたくしもいい歳になりましたので、やはり街にでてみたいと思い、親戚をたよりにこちらへまいったのでございます。 初めて目にする人の多さ明るさに、はじめは眼がくらむようで。 ―― どうにか親戚の紹介でヤエちゃんのお家のような《お屋敷》での仕事につけました。街での暮らしにもなれはじめ、お屋敷の旦那様奥様にもよくしていただき、お芝居なども観にゆきました。 ・・・その、芝居の帰りでございました・・・」
薄暗い場所で言い争う男と女がいた。
女は金のことで男をせめ、男は女にとっととどこかへいけ、と怒鳴り、腕をひきまわすようにしてむこうへなげやった。
女が白い足をむきだしにして地べたに倒れ、男はそれを見届けることもなく、不機嫌に立ち去った。
『ま、まって。 せんせい、まって』
倒れた女が乱れた裾も気にせずすぐに立ち上がり、男の背を追う。
「 ―― その、すがるような声に、わたくしはからだが固まったようになりました。 その、髪も着物もひどく乱れたままの女の姿を目でおいました。いっしょにいた旦那様たちが、あんな女をみてはいかん、とおっしゃるので、その時はなにもできず、ただ、そこを去りましたが、・・・帰って床についても、どうか・・・聞き間違いであるようにと願いました」
だがやはり、ただの『聞き間違い』で、からだが固まるはずはない。




