先生をおいかけて
「 ―― 田舎の、《名士》であるヤエちゃんのお屋敷には、ときどき、名のあるお方がお客さまとしてお泊りになっていたんですよ。 政をする方から歌を詠む方までいろんな方がいらしてたそうですが、わたくしたちが年頃になったときには、本をだされるような『先生』もいらっしゃいまして、ずいぶんとながく逗留されました」
「それはずごい。奥様がお若いころの文士といったら、いまやさぞかし名のある方でしょう」
おもわずというように男が声をはずませた。
「さあ、お名前は・・・、―― おぼえていないことにしてくださいませ。なぜならその『先生』は、ヤエちゃんと恋仲になってしまったのでございます」
「ほお、それは一大事ですな」
「いえ、もちろん、ふたりは誰にもそれをけどられないよう気をつけましたので、親も気づきませんでした。・・・わたくしもヤエちゃんからこのはなしをきいたのは、『先生』が帰ってしまってからでした。 ええ、『先生』はあるとき急に街へ帰ってしまわれたのです。そりゃ、いつまでも田舎にとどまっているわけにもまいりませんでしょうから、しかたがありません。 ―― ですが、あまりに急だったため、ヤエちゃんは気持ちがおいつきませんでした」
女は自分の胸をおさえた。
「―― 先生が帰ってしまってからヤエちゃんはからだをくずしてしまい、しばらくその姿をみかけることもなくなってしまいました。 わたくしも何度かようすをうかがいにお屋敷をたずねたのですが、会うことはかないませんでした。 ところが、しばらくたった晩に、―― ヤエちゃんがわたくしに会いにやってまいりました」
真夜中に窓をたたく音でめがさめると、やせてしまったヤエちゃんが、窓の外に立っていた。
「 ―― そこではじめて、『先生』と深い仲になったことをきき、突然帰ってしまったのは、ヤエちゃんの父さまが『先生』を《追い出した》からなのだときかされました。 きっと仲をあやしまれたのだとヤエちゃんは泣き出して、『このままでは自分はこの田舎ですぐにどこかに嫁がされて、もう二度と先生に会えなくなってしまう』となげいたあとに、いきなり、村をこのままでて、街に先生を追いかけてゆく、と」
その翌朝から、ヤエがいなくなったと村中騒ぎになった。




