『なにか』を
納得いかないようなこちらの顔に気づいたぼっちゃまに、ヤボですねえ、とわらわれる。
「ダイキチさんはカンジュウロウさんと同じで親戚もいないですし、奥さんもとらなかったので、跡継ぎがいないお店を、番頭さんに任せて、自分は余生をあのお屋敷で静かにすごすって決めてらっしゃるんですよ」
そこに一人ぐらいお相手をよんでも問題はないでしょう?ときかれ、「まあ、そりゃあ・・」とこたえをにごす。
たしかに、ずっと独り身をとおしたのは、『みえて』しまうから、いろいろと面倒だったのかもしれない。
「でもそれなら、いっそあの『先生』といっしょになりゃ」
まあいいじゃないですか、とぼっちゃまにいさめられる。
「いろいろな生き方があっても」
「・・・」たしかに。
自分とぼっちゃまだって、『枠』におさめられたくない生き方をしている。
それにしても、といつものすこし意地の悪そうな笑顔をうかべたぼっちゃまが、積まれた箱をみまわした。
「 ―― このろうそくに囲まれてする《百物語》、きっとなにかがおこりそうで、こわいでしょうね」
その『なにか』とは?
あの《屋敷》で『百物語』をすることで、なにかがおこるのか?
それとも、―― なにかをおこそうとしているのか?
まあ、そのあたりはもう自分の関係のないことだ
桐箱をしまいながら、そう願うように考えをたちきった。
それなのに、―― 。




