モヤのようなケムのような・・・
「・・・てエと、・・・まさか、―― 旦那さん、ハスをのぞいたんですかい?」
まだ後ろ首がさむいヒコイチが、間の抜けた声をだすのに、年寄は恥ずかしそうに笑った。
「若い女の声だった、とうれしげにわたくしに申しました」
突然わってはいった奥方の声に、ヒコイチは、はっとして部屋の隅をみる。
ころころと袖で口をかくして笑うこの女の肝も、たいしたものだとかんじいる。
恥ずかしそうなまま、ダイキチは続けた。
「 ―― 両の眼でのぞきましたら、今度は黒い穴の奥に、なにやら、どうも、着物の柄がみえまして・・・」
黒地に赤い牡丹かなにかの花が咲いている、と思ったら、《なにか》が、ぐっと目玉をつかんできたので、叫んで顔をひきはがした。
「―― 顔を両手でおさえ、池の水に尻をつけておりました。目玉をとられたかもしれないと。こわくって、しばらく目をあけることもできませなんだが、そのとき顔をおさえていた両手に、こう、―― なんともいえない、息がかかるような感じがありまして」
目をあければ、自分の手のひらが映り、指をあければ景色が見えた。
「・・・そうっとはずした手のまわりに、モヤのような、白いケムのようなものが、まとわりついておりました」
ここでようやく、ヒコイチがききたかった『煙』がでてきた。
どこか遠くをみていたダイキチの眼が、われに返ったように、とじてゆっくりひらく。
「けむりが・・・わたくしの手をなでるようにゆっくりと揺れ動きましたら、そのままながれるように、池の枯れたハスの間をただよいはじめ、―― そうして、そのまま、うすくなって消えました」
「きえた?」
「はい。線香の煙が消えるのとおなじように、いつのまにやら薄くうすく、なるのでしょうなあ」
それならば、もう何も心配することも、と口にしかけ、のみこんだ。
西堀の隠居は、『雨の日に』と言わなかったか?
「ところが、 」
ヒコイチが聞く前に、話は続いた。
「 ・・・そこから幾日かしましたら、雨がふりまして。―― すると、池の上にまた、白い煙がただよいました」




