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きじばとのゆくえ  作者: 高田 朔実
6/13

つゆ

 授業が終わるまでは席を立つのはマナー違反なので、ほかにしたいことがあろうと、今はとりあえずここにとどまらないといけない。

 当然ながら、校庭で体育の授業を受けている人たちもいないので、外では雨の音しかしていない。そしてこの教室では、古典の先生が雨の音を邪魔しないよう、ひっそりと話している。私の日々の中で、これほど雨の音を聞くのに適した環境は、ほかになさそうだった。

 ふと、木の下になにか花が咲いているのが目に入る。青い、つゆ草だった。こうして見ると、ずいぶんきっぱりとした青だ。たまに家の草むしりを手伝わされると、特に良心の呵責も起きずにごっそり抜いてしまう草だったが、こんな退屈な時間の中で見るつゆ草は、心躍らせる存在の一つだ。教室から飛び出して、あの鮮やかな色のある世界へ行きたくなる。休み時間ではなくて、今窓からさっと身をひるがえして外に出たい。雨の中を、わーっと叫びながら駆けまわるのだ……そんなことを実行できるのであれば、小学生のときにでも既にやっていたことだろう。残念ながら私は普通の人なので、そんな突拍子もないことは、考えるだけでおしまいなのだった。

 そうしていると、今度は突然、キジバトが鳴き始めた。

 先生の声に意識を向けるべきなのか、それともそれともキジバトの声に耳をすますべきなのか、次第にわからなくなってくる。先生の言葉は、少なくとも私に理解しようとする気があればわかるものである。しかし、キジバトのいわんとすることは、どんなに耳をそばだてても私が知ることはない。住む世界が違う。

 キジバトは、図鑑で確認したら、私も存在を知っている鳥だった。よく駅にいる鳩よりも一回り小さくて、オレンジ色のうろこのような模様が入っている鳩だった。よく見ると、おなかのあたりがほんのりピンク色だったり、頬のあたりに青い模様が入っていたりして、地味ながらも多様な色の鳥だった。なんとなく後をつけるうちにわかったのだけど、警戒心が強く、じっと見つめたり、近づこうとすると、すぐに逃げてしまう。下手したら、ベンチに座ってカバンの中を探っただけで物干しそうに近づいてくるドバトとは、えらい違いだった。

 私のクラスは一階にあるので、外の木に雨が降り注いでいる様子がよく見える。そうしているうちに、ふと子供の頃、池に大粒の雨が降ったときのことを思い出した。次から次へと生まれるあぶくを見ながら、見たこともないダイアモンドとはこんなものだろうか、と夢想していた。

「しらたまかなにぞとひとのといしとき……」

 突然、先生の声が耳に飛び込んできた。

 はっと前に顔を向ける。今の言葉はなんだったのか、妙に気になった。しかし、何の文脈でこんな話になっているのか、もはやよくわからない。手を挙げて尋ねるわけにもいかず、聞いていなかったことを嘆いてみても後の祭りだ。

 三宅君の教科書を見てページをチェックする。本人は寝ているものの、不思議と、教科書は授業の通りめくられていた。同じページを開くと、そこにこんな和歌をみつけた。


 白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答えて消えなましものを


 一瞬、心臓のあたりがずしんと重く沈んだ。

 つゆとこたえてきえなましものを、って、どういうこと? 

「…………そうして、お姫様は消えてしまったのです」

 先生の声が静かに響く。つまりこれは、しらたまなるものだと思っていたお姫様が、正体がばれるか何かして、「実は私はつゆなのです」と答えて消えてしまった、ということだろうか。つるの恩返しで、娘の正体がばれて飛んで行ってしまったように。ばれてしまうと、もう仮の姿のままではいられなくなって…………。


 放課後の中庭で、和美は私の話を聞いて大笑いした。周りの視線をじわじわ感じるようになってきて、やっとのことで笑うのを止めると、彼女は「あんまり笑わせないでよ」と言った。

「じゃあ、本当はどういう話なの?」

「別に、いいんじゃない、容子の感性であの話をとらえれば。試しにテストに、今みたいな答え書いてみてよ」

「やだよそんなの」と言う私に、和美は「今度ノート見せるわ」と言った。

「今日はピアノのレッスンの日じゃなかったっけ?」

「先生が急に体調崩しちゃって、なくなったの」

 普段より長くいられることがわかったので、ジュースを買いに行くことにした。

「放課後の学校っていいよね。私、毎日何のために頑張ってるんだろう……」

 和美は珍しくコーラを飲んでいた。

「私もわからないよ。今でも十分うまいのに、これ以上どこをどう上達させるつもりなのか」

そんなもんじゃないよ、と彼女は笑って誤魔化した。

「私もどこまでいけるのかわかんないけどさ、今はとりあえずやる気があるから、やれるところまでやってみようって感じだよ」

「でも、みんなすごいよね。私からしたら、毎日部活やってる人も、バイトしてる人も、すごいなあと思う」

「蓉子はいつも何してるの?」

「何してるんだろう……通学も遠いと言えば遠いけど、家に帰って、普通に宿題したりテレビみたり、ちょっと本読んだりしてるだけで一日が過ぎていくよ。私はなんでこんなに活動してないのかが不思議だよ。同い年なのにね」

 同い年という言葉から、同じく同い年のあの人のことが脳裏に浮かびかけたが、慌てて打ち消す。

しばらく雑談してから帰路へ向かうと、藍田君が、以前コナラの芽を見つけた場所から、校舎の三階あたりを見上げているのが目に入った。


 同級生なのに「こんにちは」とかしこまったあいさつをするのも変だし「やあ」というのもなれなれしすぎる。何か声をかけてみようとは思うのだけど、どうしたものか考えていると、我々の気配を察したのか、すっとこちらを振り返る。

「何してるの?」

 結局、これが一番自然だ。

「ピアノが聴こえるかもしれないと思って、ちょっと見てみたんだ。この間、君の友達が弾いていただろう」

「今日は無理だよ。友達、この子だから」

 和美は表情を変えずに、首を軽く横に傾ける。藍田君は「ふうん」と素っ気ない返事をする。ピアノの音には興味があっても演奏者には興味がないのか、もしくは突然紹介されて面食らったのか。特に反応がなく、つまらない。

「音楽室を使えるのは吹奏楽部が練習しないときだけだから、めったにないの」

 和美は物怖じせずに話し出す。

「それ以外の日はどこで練習するんだ?」

「休みの日には、公民館行ったりすることもあるよ。家にもグランドピアノはあるけど空間が狭すぎるから、やっぱ広いとこでも練習したいんだよね」

「ピアニストを目指しているんだろうか?」

 藍田君がこういう質問をするのは珍しかった。もしや、和美に興味を持ったのだろうか。

「ピアニスト目指すんなら、音楽科のある高校へ行ってるよ。私は、ピアノは好きだしもっと練習したいけど、そこまではいけないんじゃないかな。音楽に関する仕事につきたいとは思ってるけど。

 藍田君は、数学の研究者になるの?」

 藍田君は一瞬表情が固まり、そして次の瞬間、笑い出した。

「全く、先生がぺらぺらと人の点数をばらすからこんな誤解が生まれるんだな。この学校の数学のテストは簡単すぎるだけだ。僕は授業を聞いて、あとちょっと通信教育の問題を解いているけれども、後は何もしていない」

 じゃあ何が好きなの? と聞いていいものかどうか迷っていると、

「僕が興味があるのは、むしろ植物だよ。自然界のことに興味があるんだ」

 珍しく私の思いが通じたようだ。

「それで登山部に入ってるの?」

 私の質問には答えずに、彼は去って行った。

「和美、すごいね。初対面なのに、あのよくわからない人から、プライベートな情報を引き出すだなんて」

「そうなの? 私は単に普通に会話してただけだけど。それより、蓉子があの人と知り合いだったなんて知らなかったよ」

「ああ、私の隣の席の人と同じ部活らしくて、私のクラスによく来てるの」

「ふうん」

「前の学校って、どこだろう。そんなに勉強の難しい中学校にいたのかな? 私立とか?」

 和美は、え? と言って、まじまじと私を見た。

「あの人、一年生の二学期に転校してきたんだよ」

「なんでそんなこと知ってるの?」

「蓉子こそ、なんで知らないの? 高校で転校生なんて珍しいんだから、普通に生活してればそれくらいの情報入ってくるでしょう。もう少し周りのことに興味持とうよ」

 転校してきたということは、以前はどこに住んでいたのだろうか。途中から入学するときにも受験は必要なのだろうか。どうせ聞いても教えてくれないだろうから、やがて考えるのをやめた。



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