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きじばとのゆくえ  作者: 高田 朔実
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苔むす岩

 今にも雨が滴り落ちてきそうな空を見上げると、黄緑色の、まだ開ききっていない若葉が同時に視界に入った。黒ずんだ雲と、黄緑色との組み合わせを見ると、いつも爽快な気分になる。

 その日は、週に一度の当番の義務を果たしに図書室へ行くのに、いつもと違う経路を通った。

 昨日珍しく、市の図書館に立ち寄って、目についた本を立ち読みしていたら「いつもと違う道を通ると新しい発見があり、新しい世界が広がります云々」と書いてあった。本がありすぎて、ちょっと面食らって、かといって何もしないで帰るのもしゃくだしなあと思って、返却されて本棚に返される前に、ワゴンに積まれている本を手にとってみたら、その一文が目に入ったのだった。

 いつもと違う経路には一年生の教室があった。廊下には、新入生歓迎の部活紹介のポスターがびっしり貼られている。うちの高校はこんなに部活があったんだなと、他人ごとのように眺めていると、「登山部」と書かれたポスターが目にとまった。山の中、林の中、雨の中。もちろん舗装などされていない狭い登山道の脇には、苔むす岩がある。見た瞬間、野山を雨の日に散策するときの、あの、草のような土のような香りが立ち上ってきた。

 こんなに大きい石がところどころにある、狭い道を歩いていくとは。人の足の大きさ、それこそ三十センチ足らずの隙間があれば、そして体力や歩いてみたい気持ちがあれば、こんな道でさえ、てくてく歩けるものなのだ。

 木が左右から枝を伸ばして、トンネルのようになっている。全体的に濡れているせいか、緑や灰色がより鮮やかに見える。私も行ってみたいと、一瞬強く思った。

 写真に写っているのは誰なのか、知っている人だろうかと思って目を凝らしてみると、そこでまた驚いた。なんとそこにいたのは藍田君だった。あの気難しそうな人が、雨の中、傘もささずにレインウェア姿で歩いているだなんて。確かに傘など邪魔でさせたものではないだろうけど、案外こういういかっこうも似合っている。

 写真の中の彼は、こちらをそっと振り返っている。微笑んでいるわけでもなく、疲れて怒っているわけでもなく、ちょっと呼びかけられて「なに?」と振り向いたような、さりげない表情。そこには常日頃私に向けられる不機嫌な色合いは見当たらず、不思議なことに、とてもさわやかな青年という印象を受ける。普段は同級生よりも二つ三つ老けて見えるのに、その写真では二つ三つ若く見える。カメラマンの腕がよいのだろうか。

 あまりじろじろ見ていると当番の時間に遅れるので、ひとまずその場を後にして、図書室へと向かう。そこには、いつも通り、彼がいる。何か言いたげに私を見ている。来るのが遅いんじゃないとでも言うつもりなのか。しかし、まだ当番が始まる時間の三十秒前だ。早く来すぎているあなたはそんなに暇なの? と目で返答する。この人と、さっき写真で見た人とがどうも一致しない。今度ちょっと、一緒に山にでも行ってみるべきだろうか。

 本を読む気分にならないので、窓の外を見てみる。特に知っている人がいるでもないけれど、運動部の部員が外周を走っていたり、鳥が飛んでいたりする、いつもの風景だ。

 人が近づいてくる気配がして振り返ると、藍田君がいた。「ほら、これ」と言って、目の前で図鑑を開く。「コナラ」という文字が目に入る。

「これが花だ」

 そこには、紐のような、レースのような、地味な白いものが写っていた。

「あ、クリの花に似てない? これ」

「仲間だからね」

 彼は、私に礼を言わせる間もなく、図鑑を棚に戻すと図書室を出た。


 隣のクラスの人なので、隣の教室へ行けばいるのはわかっているけれど、もっと人が少ないところでじっくり観察してみたと思う。そうは思ってみたところで、普段彼がどこにいるのかよくわからない。

 登山部の部室は当然ながらガラス張りではないので、外から見ても中で何が行われているのかわからないし、トレーニングなども不定期のようで、いつどこで活動しているのかが予想できないのだった。

 図書室の当番のときは、目立つ場所に座っているので、私の視線がどこにあるのかみんなに知れ渡ってしまう。一つの対象をじっくり観察するわけにはいかない。

 そこで試しに、自分が当番でない日に図書室へ行ってみたけど、私が担当の水曜日以外はあの人の姿を見かけないということがわかった。ひょっとして、彼は私が当番のときだけ来ているのだろうか、と考えかけながら、それはあまりに思い込みが激しいというものだろうと思い、打ち消した。

 今日もまた古典の時間がやってきた。隣の席の三宅君を初めとする、クラスの多くは撃沈している。あるいは必死で難破船にしがみついているという様子だ。そんな中、どうも私は目がさえたままだ。おかしい、昨日寝すぎたのか? と思ったけどそんなこともなく、雨の音が気になっていて眠くならないようだった。

 生まれたばかりの赤子じゃあるまいし、今まで数える気も起きないくらい雨の音など聞いてきたはずなのに、今日は雨の音がやたらと心地よく響いている。窓ガラスを激しく叩くほどではないけれど、地面や木の葉や、手すりやテニスコートをそっと叩く雨の音。

 一滴一滴は本当にささやかな音しか出していないだろうに。どの音がどの雨粒がたてた音かは永遠にわからないけれど、その前に、地面に落ちた瞬間雨粒は土の中の水の一つになってしまって、もはやいち雨粒ではなくなってしまうけど。

 土に雨が染み込んでいる音までもが聞こえるような静けさの中、ぼんやりとそんなことを思っていたら、なんだか目がさえてしまうのだった。


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