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きじばとのゆくえ  作者: 高田 朔実
3/13

芽生え 1

 午後いちの古典の授業は、いつも永遠に続くかのようだ。

「しらたまか……」

 先生の声が、また眠気を誘う。

 お経のようでもあるけれど、もっとゆったりしていて、明るく淡い色を思わせる響きだ。

 窓の外は今日も仄明るい天気で、雨がぱらついている。ついこの間世に出たばかりのような、柔らかな黄緑色が、濡れて鮮やかさを増している。

 耐え切れなくなり、眠りの世界にどっぷりと浸かっていた私は、授業終了のきーんこーんかーんこーんで、はっと現実に引き戻された。

 またやってしまった。誰にノートを借りようかきょろきょろしていると、特に面識のないはずの男子が近寄ってきた。私と誰かを間違えているのか、それとも後ろの席の人に用があるのだろうか。

「あの」

 やはりその人は私に用事があるようだ。 

 知らない人に声をかけられ、少し警戒しながら「はい」と言う。

「これ、三宅君に渡しといてもらえる?」

「三宅君……?」

 この間席替えをしてから隣の席にいる人が、確かそんな名前だった。「わかった」と言うと、彼はまた私をじっと見て、くるりと背を向け、すたすたと去っていった。

 名乗りもしなかったけど、顔と名前は知っていた。隣のクラスの藍田君という人だった。図書室でよく見かける人だ。

 私は図書委員をしていて、毎週水曜日、四時半までは図書室にいる。貸出業なので、知らない人とも義務的に口をきく。彼もそうした、義務的にやりとりしたうちの一人だった。それで向こうも、私に声をかけることに、特にためらいを覚えなかったのだろう。

 彼は真面目そうで、どこか冷めた人だった。とげとげしいとまでは言わないが、あまり軽々しく人を寄せつけないように見えた。

 そう見えるのは、もしかすると数学がよくできるからなのかもしれない。定期テストの度に、「また藍田君が学年トップだってさ」というフレーズが校内を行きかうのが常なのだ。男子同士だと呼び捨てにされる人も多い中で、彼はいつもきっちりと君づけで呼ばれている。

 どんな人だろうと思っていたら、図書館によく出没している地味な人だったので、名前と顔とが一致したときには驚いた。特に頭が切れるようにも見えないけれど、と本人の前では口にできないことを思っていた。

 やがて三宅君が戻ってくると、「はいこれ」と言って預かった本を渡した。

「藍田君とか言う人から預かったんだけど」

「ああ、藍田ね」

 三宅君はお礼を言うと、本を鞄にしまった。珍しく、あの人を呼び捨てにしている人を見たと思う。

「藍田と知り合いだったの?」

「特に知り合いではないけど……三宅君の隣の席だから、私に渡したんじゃないの。机の上に置いとけばいいのに、几帳面な人だよね」

「ああ、几帳面なやつなんだよ」

 六時間目を知らせるチャイムが鳴り、三宅君と藍田君はどういう知り合いなのか聞きそびれた。


 六時間目が終わり、放課後になると、家庭科準備室へと向かう。家庭科研究同好会の活動に参加するためだ。

 週に二回しか活動しないこのゆるい同好会は、現在、三年生四人、二年生三人で活動している。一年生も何人か入会をしようかどうか迷っているらしいが、はっきりとは知らない。

 活動日には、クッキーやケーキを焼いている。学校からの年間三万円の補助金が出ていて、それ以外に月々六百円の会費を集めて、限られた資金で細々と活動している。

 一応、部費で買った材料は、人にプレゼントするなどプライベートな用事では使わないよう定められている。そういうときは、活動日以外の日に、自分で材料を用意して作ることになっているのだ。

 その場合、調理器具は会の所持品を使っていいけれど、クッキングペーパー、ワックスペーパーなどの消耗品は、部のものは一切使ってはいけないことになっている。そこのところは、会長が厳しく管理していた。

「網野さんの持ってきてくれた本、いいわ」

 家庭科室に行くと、会長の小川先輩がよってきた。私が持ってきた本を手にしている。私物だけど、会の物を入れるロッカーに入れてあって、誰でも自由に見てくださいということにしている本だった。

「ああ、それ、ここの活動に最適だと思ったんです。材料費が安いし、簡単だけど美味しくて」

 それは、バターや卵を使わずに作る焼き菓子の本だった。小麦粉、砂糖、植物油、水で作る生地に、それぞれナッツやら、茶葉などを加えたレシピが載っているのだ。

「やっぱり、バターと卵って高いんだよね。それに、新しい家庭科の先生がうるさくて、冷蔵庫使いにくくなっちゃってさ。常温保存の材料だけで作れるから、めっちゃいいのよ」

 小川先輩は、髪を染めていたり、パーマをかけていたり、けっこう短いスカートをはいていたりと、私とは正反対のタイプだ。この部に入るまでは、身近にあまりいない人だった。べつに見た目で人を判断する気はないけれど、みんながそろって同じ制服を着ていると、その着こなし方でなんとなく人となりが似ているかどうか判断してしまいがちだ。この人も、部活の先輩でなければ、校内ですれ違うことはあってもあまり積極的に関わることはなかっただろう。

 小川先輩はやたらときれいな人だった。かといって芸能人の誰かに似ているということもないしと思っていたら、誰か特定の人の真似をしているわけではなくて、とにかく自分が思うきれいなものを集めて、分析して、と繰り返したいるうちに美意識が高まり、今のような外見になったのだという話だった。

 自分の骨格や、髪質、頭の形、肌の色、それらに合うのはどういう物なのか……彼女いわく、スカートの長さが一センチ変わるだけでバランスが崩れてしまうらしいのだが、とにかくそうやって、いかに派手になりすぎず、地味になりすぎず、というのを日々考つつ研究を重ねているらしい。

 制服というある程度型が決まっているほうがやりやすいらしくて、本当は制服のないもっと偏差値の高い学校にもいけたけど、あえて制服のあるここを選んだといううわさもある。

「んなわけないでしょう。制服ない学校だって、自分で好きなの買って、着てればいいんだから、そんなことで高校選ばないって。私は、近いからここにしたんだよ。チャリで十五分だからさ」

 そんなことを言われたこともあった。

 おしゃれするために、こつこつアルバイトして、体型を維持するために週に三日はランニングしているらしい。親御さんが自営業だからなのか、お金や時間の使い方に関してシビアなのも特徴の一つだ。

 多分彼女にしても、同じクラスに私がいても積極的に話しかけようとはしなかっただろう。自分で友人を選ぶなら、このようにのほほんとした人物は相手にしないような人だった。

 淡々とリーダーとしての役割を全うしている彼女は、みんなに等しく優しく声をかける。そうして我々は、週に二回、こうして楽しく時を過ごしているのだった。

「これさ、網野さんの借りてばっかじゃ悪いし、今度会費で買おうと思って」

「いいですよ、どうせ家では見てないし」

「でも、本開きながら作るからさ、本に折り目がついちゃうし、材料こぼして汚れたら、結局弁償することになるじゃない? いいよ、買う。決めた」

 何かを決めるときはいつもはっきりと理由を述べ、一度決めたことについては、ぐだぐだ言わない。好感の持てる人だった。


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