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きじばとのゆくえ  作者: 高田 朔実
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蜘蛛の糸

 あれからしばらくの間、雨に降られることはなかく、それをいいことに、しばらく傘を買わない日が続いた。

 すぐさま買ってしまうのは、前の傘のことをきっぱり忘れてしまったみたいで嫌だった。

 あの日、貸してもらったビニール傘の下で、どうせなくしてしまうのなら、どれでも同じだと思えるような傘を買った方がいいのだろうかなどと考えた。それでも家に着く頃には、私はいつかまた、自分の気に入った傘を見つけて買うんだろうな、と思い直していた。たとえうっかり盗まれて、ごみとして処分されることがあっても、きっとそうせずにはいられないのだろう。借りたビニール傘は、翌日あの人に返した。

 気の利いたお返しも思い浮かばず、そのまま返すことになってしまったけど、彼は特に何も言わず、頷いただけだった。「濡れなくてよかった」などと言ってほしかったわけではないけれど、あまりにあっけなくやり取りが終わってしまい、何か言い忘れたことはなかったかと、しばらくの間、自問自答していた。

 最近、またキジバトの鳴き声がする。どうやら、私たちの教室の近くに、お気に入りの場所があるようだ。不思議なことにほかのクラスメイトにはあまりあの声が聞こえていないのか、「キジバトのせいで授業に集中できない」などと苦情を言う人もいないので、追い払われることもない。特に静かな空気の流れる古典の授業中は、先生の声をきいているのか、キジバトの声をきいているのか、次第にわからなくなってくるときもある。先生の声とキジバトの声は、トーンが似ているのかもしれない。

 図書当番の日に図鑑で確認したところ、キジバトは、私も存在を知っていた鳥だということがわかった。よく駅にいる鳩よりも一回り小さくて、オレンジ色のうろこのような模様が入っている鳩で、よく見ると、おなかがほんのりピンク色だったり、頬のあたりに青い模様が入っていたりしてなかなかの鳥なのだ。警戒心が強く、じっと見つめたり、こっそり近よろうとすると、すぐに逃げてしまうのだったが。

 この声はみんなの耳にも一応は入っているのだろうか。それとも、私がとりわけキジバトの声に敏感になりつつあるだけなのだろうか。

 試しに訊いてみると、やはり隣のクラスにいたあの人も聴いていた。彼は、「あんなに大きな声で鳴かれて、聞こえないわけないだろう」と言った。


 渡り廊下を歩いていると、どこからか芳しい香りが漂ってきた。ここはただの高校なのに、例えるなら竜宮城との秘密の通路がたまたまつながって、その雅な空間からほのかに漂ってくるような、そんな香りである。面白そうなので、香りの元をたどってみる。

 先日藍田君からクチナシという花の存在を教えてもらったが、あれだろうか。それとはまた違う気がするし、クチナシはここからは離れた位置にあった。

 探してみると、同じ株から白と黄色の花が出ている植物に行きあたった。その花は、あのメタセコイアからさして離れていないところにあった。思ったよりもずいぶんと地味な花だったので、驚いて鼻を近づけてみる。やはりこれに間違いない。

 この木の下にいたときにも目にしていたのか、もしくはまだ咲いていなかったのか。

 さほど不思議な外見でもないけれども、それでもどこか見たことのないような、不思議な形の花だった。

 どこからきた植物かは知らないけれども、日本古来からあるものだと言われても違和感はない。帰化植物だといわれても、ああやはりと言ってしまいそうな、そんな花だ。見た目からして野の花の類なのではないかと思われる。蔦の草だから、事務のおじさんが刈り残したのだろう。

 図書室の当番のときに、植物図鑑で探してみると、正体がすぐにわかった。スイカズラというらしかった。名前や素性がわかってしまったということは、つまりは藍田君に尋ねる機会を失ってしまったということだ。よかったのか、悪かったのか。

 カウンターでぼんやりと野草の本の続きを見ていると、運がいいのか悪いのか、藍田君が現れた。もしくは野草の写真の気配を感じとったのかもしれない。

 私がいるのを見てとると、近寄ってきた。何かを言う気配はないので、

「これ知ってる?」

 とスイカズラの部分を開いて見せると、「当然だろう」と、何を今更といわんばかりの表情を見せる。

「なんでまた、スイカズラなんて調べているんだ?」

「いや、あったから」

「どこに?」

「物理化学室の近く、ネットに絡みついてた」

 彼はふうんというと、さっさと図書館を後にしてしまった。尾行したい衝動に駆られるけれど、当番があるので放り出すわけにはいかない。まだあと三十分もある。

 まさか、スイカズラを見に行ったのだろうか。物理化学室の前へ行ってスイカズラを見るなんて、ものの十分もあれば終わってしまう。当番が終わってから行っても、藍田君は既にそこにはいないはずだ。

 とはいうものの、やはり当番が終わった瞬間、何かを考える隙もなく、私の足は物理化学室へと向かっていた。しかしそこに彼の姿はなかった。

 生き生きと咲き誇るスイカズラ。花開いたばかりの、傷ひとつない初々しい姿で、いい香りを放っているのがどことなく憎々しい。面白くないなあ、と思いながらも、まだ明るいので帰るのがもったいない気がしてくる。

 この花は食べられるのだろうか。もしクッキーに焼きこんだりしたらこの香りは消えてしまうのだろうか。やってみたい気もする。

 この香りに気づいている人はこの校内に何人くらいいるのだろう。どう見ても「雑草」の一言で片づけられてしまいそうなこの植物に価値を見出す人なんて、この校内に、いや、この世の中にもそう多くいるとは思えない。「スイカズラが咲いてたよ」と一言いうだけで、パッと探しに行ってしまう藍田君は、まれな存在なのだ。

「スイカズラ、みつかった?」

 廊下ですれ違ったときに尋ねてみる。案の定「見つからないほうがおかしいだろう」と素っ気ない返答があった。

「あれって、なんで黄色と白の花が同じ株についてるの?」

「初めは白い花が咲いて、それが徐々に黄色くなるからだよ」

「すごい!」

 彼は冷ややかな態度をとろうと努めているようだったけれども、まんざらでもないようだった。

「君がこの間読んでいた本にも書いたあったはずだ。おおかた名前だけ知って、後はろくに読みもしなかったんだろうけど」

 彼はちょっと笑ったように見えた。気のせいかもしれなかったが。

「あの本、知ってるの?」

「家に同じのがあるから」

「へえ、そうなんだ」

「小さいころからの愛読書だ」

「昔から植物好きだったんだね」

「植物はどこへ行っても変わらないからね」

 どういう意味だろうと思ったけれども、チャイムが鳴ったので教室に戻った。

 数日後、教室で英語の予習でもしようかといつもより少し早く登校すると、藍田君がスイカズラの脇でじっとしているのが目に入った。そんなに好きなのだろうか。「おはよう」と声をかけると、黙って頷いた。

「スイカズラ、まだ咲いてるね」

「ああ、そうだね」

 と気のない返事だ。

「何を見てるの?」

「蜘蛛の巣を見てるんだ」

 私が首をかしげるのがわかったのか、「昨日雨が降ったから、こうして蜘蛛の巣に露が降りているんだ」と続けた。

 そのとき、雲間から陽が差して、蜘蛛の巣に降りた露がきらりと虹色に光った。 思わずあっと声を上げてしまいそうだった。

「きれいだね。こうなるって、わかってたの?」

「まあ、たまたま通りがかっただけだけど。花の蜜を吸いに昆虫がやってくるから、蜘蛛が巣はかけているかもしれない、とは思っていた」

「ふうん」

 朝はみんな忙しくて、そそくさと私達の横を通り過ぎて行く。

 そのうちこの露も蒸発して、昼休みに見に来るころには、これも単なる蜘蛛の巣に戻っているのだろう。



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