77話 天眼
どこかで、何かが、起きている。
自分の知らない場所で、誰かが動いている。
至極 当然で、当たり前の事。
ここで起きている出来事も、その一つ。
誰かが語り継ぐような英雄譚ではない、大昔から繰り返されてきた人間と魔族の殺し合いだ。
「──ッッハァ!」
金属音が鳴り響く。何度も何度もそれが鳴る。
英雄譚に出てくる勇者のような派手な戦い方じゃない。
純粋な剣術と戦略の応酬。見た目としては魅力にやや欠ける。
だが、打ち鳴らされる音の間が尋常じゃなく速い。
そして尋常じゃない事はもう一つある。
フード女がやたらと顔を狙って来るのだ。
常人の目では追えなくなった速度で振るわれるヘルヴィアの剣は、次第に刃こぼれが目立つようになる。
それは相手も同じ。フードを被った女が持っている剣も、既にボロボロだ。
このままではどちらも剣が折れる。
そうなる前に決着をつけたい。相手も同じ考えのようで、両者は一歩も引かなかった。
そう、“引かない”だけ。
ヘルヴィアは先程から全く『攻め』の姿勢に入れていなかった。
何故なら二人の剣術には決定的な違いがあるからだ。
ヘルヴィアは冒険者活動を続ける上で身につけた我流に対し、フードの女の剣術は合理性と幾人もの人が積み重ねた術理に基づいている。
ヘルヴィアの剣技は『剣術』としてやや不十分。自分より体格が大きい、あるいは小さい敵──つまり魔物を倒すための剣だ。
フード女のような人を殺すための剣技はない。
そして──
「ハァッ」
「ッッ!」
──ボキンッ!
ついに危惧した瞬間が訪れる。
剣が折れたのだ。二本、同時に。
剣が折れるのはどちらも予測していたこと。
武器が使えないとなると、次の行動は自ずと決まってくる。
カラン、と何かが落ちる音。
折れた剣を手放した二人が取っ組み合う。
あらん限りの魔力を込めた腕でヘルヴィアは相手の左腕と胸ぐらを掴みにかかる。
一方で、フード女はそれらに対処しなかった。
空いた右手でまっすぐヘルヴィアの目を狙ってきた。
指を立てず、五指を軽く開いただけの手は『目を潰す』というより『目を抉り取る』ことを狙っているように見えた。
もちろんそれを黙って見てるだけのヘルヴィアではない。
背筋と首を伸ばしてフード女の手の行き先から目を移動させた。
かわりに軌道上に入ったのは、口。
そのまま口腔内に相手の指を出迎えたヘルヴィアは、指が喉の奥に到達するよりも早く顎に力を入れる。
『ブチリ』とも『ゴキリ』とも取れるような異様な音。
それは柔らかい肉が千切れるようであり、硬い骨が折り砕かれるような音、あるいはその両方。
「プッ」
ヘルヴィアは口の中に入ったものをすぐに吐き出した。
コロコロと二本の──人差し指と中指が地面を転がった。
「……随分と、らしくない戦い方するのですね」
フード女は二本の指を食い千切られてもなお、静かに言葉を発した。
痛みに泣き叫ばない胆力を当然のように魔族が持っている気がしてならないヘルヴィアは、発せられた言葉に反応するのにやや時間を要した。
「情報によると貴女は眼がとても良く反応速度が速い」
静謐な声で淡々と語られる言葉は、警戒心を解くかのようにヘルヴィアの耳に心地よく入る。
「それ故に後の先を取る戦い方をすると聞きましたが、かなり雑で豪快な戦い方だ」
おそらくそれはあの三人の影響だろう。
何でも力で薙ぎ倒すユーミラと、何でも魔法で焼き払うユウトに、自己犠牲を覚悟で勝利をもぎ取るロルビス。
三者三様。
それぞれかけ離れた戦い方だが、皆ヘルヴィアに欠けたものを持っている。
慎重なのは良い事だが、慎重すぎるのは時に仇となる。
ヘルヴィアは眼が良いだけで、索敵以外にこれと言って役立っていない。
以前から思っていたことだ。自分には切り札となりうるものが何もない。
それは目を逸らしたくなる現実であり事実だった。
「なるほど、痛い所を突かれるとはこの事ですか……」
「……? 何も突いてませんが」
一人で勝手に問題点を上げ、勝手に納得してツッコまれた。
しばし微妙な空気が流れたが、唐突に女はフードに手をかけながら喋り出した。
「今回の戦闘、なぜ私が貴女の相手になったのかわかりますか?」
「………」
ヘルヴィアは何も言わずに相手を見据える。もはや敵の問答に頭を使うのも煩わしかった。
「私が希望したんです」
そう言って女はフードを外した。
「貴女の『眼』が欲しいから」
現れたのは白皙の相貌。耳の裏から羽毛が生えている。鳥人と人型種族の混血だろうか。
町を歩けば男は全員が振り返るような美人だが、虚無のように真っ黒な二つの穴がその魅力をかき消して不気味な存在感を放っていた。
両目が、なかった。
「私は自分に合う眼をずっと探してきた。一度でいいから景色というものを見てみたかった。でも人間に両目を奪われてからの年月が長すぎたんです。脳の魔力探知能力が異常なほど発達してしまった私は、眼を移植しても脳に着いていけないと言われました」
どんなに腕のいい画家でも、真っ白なキャンパスに真っ白な絵の具で絵を描いても淡白な絵しかできない。
「何を見ても、何を感じても、脳がそれ以上の情報を求めてしまう。だから私は、貴女の眼が欲しい」
ニヤリと半鳥人の女は笑った。
両目の虚空も相まって不気味な雰囲気が醸し出される。
「──奪わせるつもりはありませんよ」
変らない様子でヘルヴィアは言う。
淡々とした口調だが、言葉には何かの決意が感じられた。
(私には、この眼以外何もない)
ロルビスには魔法陣、ユーミラには怪力が、ユウトには桁違いの魔法がある。
じゃあヘルヴィアには?
あるのはこの『眼』だけ。伸ばせる事のできるヘルヴィアの唯一の武器、そして長所。
それを奪おうというのか?
「渡さない。絶対に」
虚構に目を合わせて、宣言する。
再び半鳥人は嗤った。そして やや前傾姿勢になりながら右足を引き、両手を前で構える。
強く握らず完全に開ききらない手は、鳥の爪を模しているように見えた。
───ダンッ!
一拍、そして地面を蹴り跳躍する音。
同時に風切り音が半鳥人の耳朶を打った。
真正面から肉薄し、両手をヘルヴィアの両目へ伸ばす。
無謀とも思える突貫だ。だが半鳥人は気づいていた。
ヘルヴィアの身体中を巡っていた魔力が全て眼に集中していることに。
今のヘルヴィアの肉体は脆弱な一般人と同じ。眼を狙うと見せかけて、先に肉体を壊せばいい。眼の回収はその後。
踏み込んだ右足裏に魔力を込めて限界まで圧縮した。
魔力を圧縮すれば、たとえ“魔視られた”としてもただの身体強化と認識される。そこに魔力が集まってるとしても気付けないのだ。
魔力の圧縮放出は身体に負担をかけるが、そんなものは『眼』に比べたら惜しくはない。
圧縮した魔力を放出して、ヘルヴィアの腹を蹴り上げる。
それが半鳥人の思い描いた展開。ヘルヴィアの眼が手に入る事を既に確信していた。
未来がズレる。
「───は?」
圧縮した魔力が放出される。
足裏が弾けるかのような激しい痛みが走るが、呆気に取られその痛みに反応できない。
半鳥人の右脚は急速に持ち上がり、そのままヘルヴィアの腹部に直撃するかに思えた。
しかし現実は、躱された。ほんの少し身体を逸らされることによって。
ヘルヴィアには魔視えていた。
魔力が集まることではなく、移動する様が。
両目に魔力を集め強化した。内側からも、外側からも。
そうすることでヘルヴィアには魔の全てが見えるようになった。
流れも、量も、身体から少しずつ漏出していく魔力から、大気中の魔素まで、ありとあらゆる『魔』が。
その結果、魔力の流れから未来予知紛いのことまでやってのけたのだ。
後は一瞬だった。
躱した姿勢のヘルヴィアが右手を押し出す。所謂『掌底』の形で。
躱したままの体勢のため体重は乗ってない軽い攻撃だ。
だがヘルヴィアの右手には既に両目に集められていた魔力が移っていた。
圧縮と放出。
掌底は半鳥人の顎に吸い込まれ、巨大な風船が割れたような耳を劈く音がなる。
あまりの衝撃で半鳥人の身体は一瞬だけ空中に浮くと、すぐに地面に落ちた。
もちろんヘルヴィアの右手も無傷とはいかない。激しい痛みが襲っていた。
痛む右手を押さえつつ、ヘルヴィアは半鳥人に歩み寄る。
半鳥人は白目をむいて気絶していた。もちろん目はないのだが、もし目があったならそう形容するだろう。
あれほどの衝撃と炸裂音を叩き込まれたのだ。鼓膜が破れているかもしれない。
だがヘルヴィアは半鳥人の安否を確認しない。敵なのだからする必要もない。
もしヘルヴィアの放った一撃が軽い衝撃だったらすぐに目を覚ますかもしれないので確認しただろうが、そこまでヤワな攻撃をしたつもりはない。
とにかく休みたかった。
負担は右手だけではなく、両目にもかかっていた。
初めてあそこまで『強化』した。限界を超えた、という表現が似合うかもしれない。当然、疲労も負担も大きい。
ヘルヴィアは近くの建物に背を預けて座り込んた。
とにかく今は、休みたかった。




