4話 喰奪熊
ロルビスは森の中を慎重に歩きながら思考する。
あの腹にあった傷は深かった。普通の熊に襲われたくらいではあそこまで深くならない。そもそも傷の大きさからして、熊の爪とは違う。
だが、狩人は熊だと言っていた。つまり、熊とは違うが熊の姿をしている動物に遭遇した。
だとしたら魔物としか考えられない。
だが、ロルビスの知識には巨大な爪を持つ熊の魔物などなかった。
自分の知識にはない新種の魔物か。
それとも、自分の予想する最悪の『あの熊』か。怪我人の血痕を辿りながら森の中を歩くことしばらく、その答えは見えた。
「キセッソルッ……!」
自分の予想通した最悪の答えに思わずエルフ語で悪態をつく。
そこにいたのは額に鋭い角が生え、手足の爪は長く伸び、背中から杭のような太い針が飛び出ている巨大な熊だった。
見ようによってはハリネズミのように見えるかもしれない。
見たこともない魔物だった。が、それも当然と言えよう。
あれは『喰奪熊』と呼ばれる熊の魔物だ。
何故そう呼ばれているのか。それは、その熊の特性が厄介極まりないものだからだ。
喰奪熊は食べた生物の能力や特徴を文字通り奪うのである。つまり、進化の可能性は生物の数だけあり、その分対応が難しくなる。
喰奪熊の討伐依頼は冒険者の中でも経験豊富な上級者向けとされている。
救いは繁殖力が低いこと。
喰奪熊は常に進化の可能性、つまり獲物を探し続けている。そのためなら共食いをも行うことだ。
もう一つの救いは食べた生物の特性が修得に少なくとも半年以上はかかること。
喰奪熊は獲物を食べてもすぐにその特性を身に着けられない。それが見た目となればさらに時間はかかる。
そのため、まだ特性の習得前に討伐出来るよう、ギルドも早期発見を願い出ている。
だが、目の前の敵はどうだ?
額の角、背中の針、手足の爪。持っている特徴と体の成長度からして三年以上は経過していると見ていい。
同族にも狙われる喰奪熊がそれほど生きていたら、冒険者で例えると上級者として認められる。
と、そこまで観察したところで喰奪熊もこちらに気づいたようだ。
自分の縄張りに侵入した敵を喰らわんと口を開け、背中の針を逆立てて戦闘態勢に入る。
ロルビスは高速で魔法陣を展開した。
発動する魔法は風。魔法陣によって集められた空気は圧縮されて風の刃と化す。そして、ビュオッ! という音とともに発射された。
「ブォアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
が、それは喰奪熊の咆哮によってそれは掻き消される。
「くっ!」
あれも喰った魔物の能力だろう。咆哮によって放たれた衝撃の余波がこっちにまで届く。
その衝撃に追随するように針が飛んできてロルビスの頬に掠っていった。
(あの針を飛ばせるのか!)
それで終わりではない。さらに発射された針が飛んでくる。
今もその数は五本、六本と飛んでくる針の数は増え続けている。
ロルビスは自分の体に身体強化を施して躱した。そのまま狙いが定まらないよう木を盾にしつつ走り出す。
ロルビスは走りながら再び魔法を発動させるために魔法陣を描こうとしたその時、喰奪熊の姿が消えた。
「なっ!?」
これも奪った能力、おそらく迷彩能力を持つ魔物でも喰ったのだろう。
敵が見えない。これは圧倒的に不利な状況だ。
両足に魔力を込めて重点的に強化する。
上半身は無強化だ。もし攻撃を喰らえば即アウトの危険な行為。
だが、ロルビスはあの喰奪熊の豪腕を防ぐ事ができるかわからない。ならいっそ、両足だけを強化して回避に徹するほうがいいだろう。
重心を落とし、辺りを見回す。喰奪熊がどこから現れるかわからない。
冷静になるため、息を吸い、肺に酸素を送り込む。
そしてフーッと吐き出す。ロルビスの吐き出した白い息が湯気のようにモワモワと立ち上った。
………白い息?
「これは…!」
気づいた時にはすでに遅い。そこは喰奪熊の領域。
ロルビスを中心に辺り一帯の温度は急激に下がっていた。
一体どれほどの手札を持ってるのか、と戦慄。
冷気を出す魔物といえばは氷竜がいる。
他にも魔族の上位種、吸血鬼が冷気放ったという記録があった。
この喰奪熊はそんな上級の生物に勝ちうる力を持っているのか?
いやまさか、竜といえば恐怖の代名詞。
吸血鬼は怪力、俊敏、不死身と悪夢の代名詞。
喰奪熊がそんな連中に勝てる可能性はほぼゼロ。おそらく、ヤツははそいつらの『死体』を喰った。
もし本当に氷竜や吸血鬼に勝る実力を持っているならロルビスはとうに負けている。
しかし、死体からも能力を奪えるというのは聞いたことがない。
これはロルビスにとってかなりの大発見。
知り、学習し、次に活かす。『次』があればだが。
寒さは冷静さと判断力を奪い、体力を低下させる。
早期決着が望ましい。
「よしっ!」
決めた時にはロルビスはすでに次の行動に移っていた。
まずは魔法で大気中の水分を掻き集め、自分の周囲に水球を出現させる。
低温により、水球はすぐさまとは言わないが凍結を始める。
そして炎。この際、威力は気にしない。
ただただ高温に、膨大な熱量を持たせる。
そこに高温の炎を凍りかけの水球に打ち込む。
高温と低温が重なった。
水蒸気爆発が起きる。水が蒸発し、水蒸気を発生させる。
(どこだ? どこにいる?)
ロルビスは自分の体を風の魔法で防御しつつ、周囲を観察する。
そうすれば、見えてくる。水蒸気の中で動く影。いや、風の流れ。
「そこだ!」
ロルビスはそこに氷の矢を数本放つ。
たとえ不可視になっても、風の流れまでは誤魔化しきれない。
氷の矢は喰奪熊目掛けて真っ直ぐ飛んでいき、ガキィンッと弾かれた。
「硬っ!」
どうやら体に生えている針に弾かれたようだ。つくづく厄介な魔物だ。
喰奪熊はこの状況では敵に迷彩能力は意味がないと判断したようで体が可視化した状態で襲いかかってきた。
ブォンッ! と風を切って振るわれる爪。それらを躱しつつロルビスは素早く魔法陣を描く。
発動する魔法は三つ、炎と氷、そして土だ。
ロルビスはあえて魔法陣を手前にかざし、炎を打ち込む、と見せかけて土魔法で地面に落とし穴を作り出した。
「ブォオオン!?」
足を落とし穴に引っ掛けた喰奪熊はうつ伏せ倒れた。
そして、背中に飛び乗るとあらかじめ用意しておいた炎の魔法を背中に打ち込む。
ただし、それで終わりではない。何発も何発も何発も、炎魔法を打ち込むことで喰奪熊の背中を熱していく。
炎魔法を十発ほど叩き込んだところで、最後に氷魔法によって背中を凍結させた。
「ブォアアアアアアアアアア!」
ようやく起き上がった喰奪熊が背中に乗っている邪魔者を排除しようとその豪腕を振るい、針を発射する、が遅い。
爪は既に飛びのいていたロルビスには当たず、針も風の障壁によって逸らされる。その頃には、ロルビスは次の一手を打っていた。
ロルビスは風魔法を発動させている。だが、今度は風の刃ではなく、巨大な槌のような形。風の槌は大きく大きく形成されていく。
十メートルを超えたであろう風の大槌が喰奪熊に振るわれた。
ゴオッ! という音と一緒に激しい風圧と衝撃が喰奪熊を襲った。
「ブォアアアアアアアアアア!!」
今度は弾かれることなく、風の大槌は喰奪熊の針を粉砕し、骨を砕いた。
炎と氷の魔法を受けて、温度差によって脆くなっていた針は容易く砕くことができた。
温度差によって針が脆くなるかは賭けだったが、上手く通用した。
「ブォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーー!!」
喰奪熊が最後の抵抗に出る。
残っている針を全て投射し、腕を闇雲に振るう。
その全てをロルビスは身体強化で躱し、あるいは風の障壁で逸らす。
「うおりゃ!」
そして跳躍。
身体強化はロルビスの得意分野だった。
喰奪熊が反応出来ない速度で肉薄して魔法陣を展開。
ロルビスはトドメと言わんばかりに、喰奪熊のその露出した皮膚に氷の槍を叩き込んだ。
氷の槍が皮膚を破り、内臓を貫いた。
「ブォアアアアアアアアアアアアアアン!?」
それが、喰奪熊の最後の叫びとなった。
『喰奪熊』
他に良い読み方ある! という方はぜひとも教えて下さい。
喰奪熊の読み方を「スナッチベア」に改名しました。
参考は『七つの大罪』です。 (2021 11/2)