3話 魔物
ロルビスはテルナパームルから少し離れたディグレという村に向かっていた。なんでも、そこで作られるワインが絶品だとか。
森にこもって水くらいしかロクに飲んでなかったロルビスは、久しぶりに酒を飲みたいと思っていた。エルフは酒に弱いと言うが、ロルビスは少しだけ酒に強かった。
ならば、行かない理由はない。とは言え、特に急ぐ理由もないので森の中をのんびり歩いてディグレ村に向かった。
千年も森にこもっていたロルビスにとって森を歩くことなど日常と化している。
迷いなく森を歩いていると、ぶどう畑が見えてきた。
「お? あれかな?」
しばらく歩くと森が途切れ、視界が青空とぶどう畑に独占される。日光を反射するぶどうがキラキラと輝いてロルビスを迎えていた。
「おお、キレイだな」
「ええ、そうでしょうそうでしょう。このぶどう畑は我らが長年かけて育て上げたディグレ村の自慢ですからな」
思わず感嘆の声を漏らすと近くにいた老人が話しかけてきた。
そして、ロルビスの服装を見て訝しむような視線を向けてくる。
なぜならロルビスの格好がちょっと変だったからだ。
黒いシャツに黒いズボンと黒で固めているのにその上から黒とは真逆の真っ白なロングコートを着ているのである。
何故こんな変な服装になったのかというとツァルティから服を借りたが、ロルビスは服選びのセンスが皆無だったのだ。
ツァルティが『そんな格好で行くのか!』と選び直すはめのなったのだが、これまたツァルティも服選びのセンスがイマイチだった。
その結果、ああでもないこうでもないとニ時間以上悩み、結局、今の『一番マシな格好』に収まった。ただし、それはロルビスとツァルティにとっての『一番マシな格好』となっている。
「えっと、旅の御方ですかな?」
「ええ、この村で作られるワインの興味がありまして」
「そうですかそうですか、遠い所からようこそいらっしゃいました」
「あ、いえ、別に遠くはないです」
「へ、あ?」
たしかに、どこから来たかは言っていなかった。この村にはワインを求めてよく商人や旅人が来ているので、ついいつもの癖で歓迎の常套句を言ってしまったようだ。
老人は恥ずかしい気持ちを誤魔化すように案内を始める。
「こ、こちらにどうぞ。案内いたします」
変な格好をしているとはいえ客は客。盗賊や山賊でもない限り、歓迎しない理由はない。
「ん? あれは、魔道具屋ですか?」
ロルビスが案内され、村の中央に来たあたりで少し古い店を指差した。
「ああ、あれはこの村で唯一魔道具を扱っている店ですよ」
「見てもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
魔法関係にはロルビスは目がない。
「いらっしゃいあっせぇ〜」
店の中に入ると少しやる気のない声がした。
店には様々な魔道具が並べられているが、あまり掃除されてないのか床にはホコリが落ち、壁の塗装は所々剥げている。中には魔道具にもホコリが被っているのがあった。
「何かいい魔道具はありますか?」
「お客さん、こんな田舎の村にいい魔道具なんてそうそうありませんぜ」
店主は五十代くらいのおじいちゃんだった。あまりの清潔感の無さと店の古さもあっておじいちゃん自身もホコリを被っているように見える。
ただ、それは『そう見える』だけだ。
「何を言ってるんですか、ここにはこんなにも素晴らしい魔道具があるじゃないですか。この店にも使われているそれとか」
「あっはっはっは! すげぇなアンタ!」
すると、おじいちゃんがいきなり二十代くらいの若者の姿になった。おじいちゃんだけでなく、店全体がホコリや汚れまみれ床はキレイに掃除されたものになり、壁はしっかりと塗装が施されたものになっていく。
「幻によって外見を変えられる魔道具ですか?」
「ああ、その通りよ!」
若者は元気よく答えた。
「イエンの魔道具屋にようこそ! 今までも気づいたヤツはいるが、一発でこの幻影を見抜いたのはアンタが初めてだ!」
若者は四角い手のひらサイズの魔道具を手の上でもてあそぶ。
「これほどの魔道具です、見抜ける人なんて少ないでしょう」
「アンタは何で気づいたんだ?」
「店に入る時、魔力の流れを感じました。おそらく、エルフなら気づくと思います」
「なるほど、俺の魔道具にもまだまだ改良の余地があるな!」
若者は自分の魔道具があっさり見抜かれたのにとても楽しそうだ。
「おっと、名乗り遅れた。俺の名はイエン、この店の店主だ!」
「ロルビス・クロスです。よろしくお願いします」
ロルビスとイエンはがっちり握手した。
「それで、他にも魔道具はありますか?」
「もちろんだ! 俺の魔道具はどれも便利で量産がしやすいからな!」
イエンの言った通り、様々な魔道具がたくさんあった。
音を記録できる録音の魔道具、小さな転移門を開く魔道具、放った魔法をそのまま蓄積できる魔道具。気分に合わせて味を変えられる調味料入れの魔道具。
どれも一級品と言っていいほどのものだった。
「あの、そろそろいいですか?」
魔道具を眺めていると、ロルビスを案内していた老人がおずおずと訪ねてきた。
気づけば既に三十分以上経過していた。
「あ、す、すいません。つい……」
「おっと、もうこんな時間か。また来てくれよ!」
魔道具を買わず、ただの冷やかしになってしまったのにイエンは嫌な顔一つしなかった。
ロルビスは後で必ず魔道具を買おうと心に決めた。
「すいません、こんなに時間かけちゃって」
「いえいえ、魔法がお好きなんですねぇ」
「ええ、昔からずっと学んでますから」
「それで、ひとまず酒場に行きますか? ワインを飲むなら良い所がありますよ。あそこは宿屋も兼ねてますし」
「ええ、お願いします」
そう言って案内されたのは看板に『紅のカルマ亭』と書かれた変わった名前の店があった。
扉を開けて中に入ると酒を飲んでいた畑仕事のあとだろう、土に汚れた村人達の視線がロルビスに視線が集中する。
見るからな不審人物に村人の目が鋭くなっていく。
「お前らぁ! 客人だぞぉ!」
場の雰囲気を変えようと老人がしゃがれた声を無理矢理響かせる。
一瞬、ポカンとしたがすぐに村人達はロルビスの席を開けると歓迎の言葉を投げかけた。
「いらっしゃい、兄ちゃん! 歓迎するぜ!」
「よぉし、酒を用意しろ! おいアンタ、一杯だけなら奢るぜ?」
「ウチのワインは絶品だ、飲まない選択肢はないぞ!」
あまりの切り替えの速さに今度はロルビスがポカンとする。
「あんたらぁ! 騒ぎすぎんじゃないよぉ!」
と、そこで恰幅のいいおばちゃんが出てきて男達を叱咤する。顔に深い皺が刻まれているが、周りを威嚇するようなその紅色の髪はまだ艶めきを失ってない。若い頃は美人だったのだろう。
その声を聞いた途端、普段の畑仕事などでムキムキに鍛えられているはずの男達がまるで赤子のように怯えだす。
「ふぅん、アンタが客かい。よく来たね、ディグレ村にようこそ。あたしゃこの『紅のカルマ亭』の店主をやってるケナールってんだ」
「暖かい歓迎をありがとうございます。ロルビス・クロスと申します。少しの間、この村に滞在させていただこうと思っています」
ロルビスは丁寧に頭を下げる。
「へぇ、礼儀正しいんだね」
「そうですか? まだ人間の言語には慣れてなくて不安だったのですが……」
知識で知っていても実際に使えるかどうかは別というものだ。
「アタシらからしたら十分に丁寧な言葉遣いだよ。あぁ、部屋ならニ階に空いてる部屋があるよ。空いてる所を好きに使いな」
「はい、ありがたく使わせて頂きます」
「ああ、そんなにかしこまらなくていいよ。腰が低いのをいい事に利用されちまうよ?」
「そうですか、気をつけます」
「まぁでも、その礼儀正しさは馬鹿男共に見習ってもらいたいね」
すると、酒を飲んでいた男達が反論する。
「おお? ケナールさん、俺達は充分礼儀正しいだろお?」
「そうだそうだ! ケナールさんこそ行儀悪く盆をぶん投げるじゃねえか! アレ、めっちゃ痛えんだぞ?」
「たしかに騒ぐがちゃんと周りの客には配慮しているんだぞぉ?」
「俺たちゃあ、毎日毎日畑仕事で疲れてんだ! 一日の終わりには酒が無きゃやってけねぇぜ!」
──ビュオンッ!
ものすごい勢いでケナールの手から放たれた盆が騒ぎ出した男達の額に、スコーン! と小気味よい音を立ててヒットする。そして、
「まだなにか言いたいことはあるかい?」
と、ケナールが問いかければ男達は皆、押し黙ったまま椅子に座って静かに酒を飲み始める。だが、男達の顔は穏やかだ。どうやらケナールは皆に愛されているらしい。
「悪いね、騒がしくて」
「いえ、賑やかでいいですね」
「そうかい? ま、この雰囲気にアタシも救われたことがあるよ」
ケナールは静かにチビチビと酒を飲む男達を見るとまるで息子を見るような目をした。
「なんとなく、わかる気がします」
「おっと、大事なことを忘れるとこだった。ほら、この村の者が丹精込めて作ったワインだよ」
ケナールはロルビスの前にワインを置く。振動が伝わってグラスの中で赤いワインが揺れた。
ロルビスは香りを嗅いだ後、ゆっくりワインを飲む。すると、口の中に甘みと酸味が程よく合わさったやさしい味が広がった。
「これは、美味しいですね」
「気に入ってくれて嬉しいよ」
ぶっちゃけ、ロルビスはワインの良し悪しなどわからない。が、美味いものは美味いので素直な感想を言っておく。
だが、決して味がどうとかは言わない。ボロを出さないために。
「お母さん、ぶどう運んどいたよー」
その時、酒場の奥から少女が出てきた。若い娘である。そのケナールと同じ紅色の髪を見るに、ケナールの娘だろう。
そして、見ない顔であるロルビスに視線が向いたので、ロルビスはにっこり微笑んでおく。
「誰このイケメン!?」
「客だよ。俺たちの村のワインを飲みに来たんだとさ」
「ロルビス・クロスと申します。少しの間、この村に滞在するのでお世話になります」
「へー! そうなんだ! 少しと言わずずっと居ればいいのに〜。あ、名乗り遅れました。『紅のカルマ亭』の看板娘、カリーナです!」
そう自己紹介するとカリーナは馴れ馴れしくロルビスの手を握ってきた。
「良かったぁ。この村はみーんな暑苦しい男ばっかで同年代の子が居なかったのよねー。これからよろしくね? 末永くって意味でもいいよ?」
「す、末永く!? というか同年代というわけでは…」
そこまで言ったところでロルビスのエルフの象徴である尖った耳に気づいたようだ。
「ええー! ロルビスくんエルフだったんだー!」
カリーナは今気づいたと大声を上げた。その声に反応して男達も振り向いてロルビスの尖った耳を見る。
「ニイチャンエルフだったのか!」
「カリーナちゃん、ちょっと後で話そう。色仕掛けの方法をたくさん教えてやる」
「いいか、こういうのは勢いが大事なんだ。最近の男っつーのはみんなヘタレだから女の方から行かなきゃならねぇんだ」
なんだか怪しげな雰囲気に戸惑うロルビス。そもそもエルフなのだから『最近の男』ではない。
カリーナはというと気持ち悪いくらい体をクネクネさせてちょっと赤く染まった顔をチラチラ向けてくる。
「どうしよう、本気で狙っちゃおうかな……」
「へ? え?」
「こらこら、あんまり困らせるんじゃないよ」
ロルビスが話についていけなくなったところでケナールが静止の声をかけてカリーナの頭を軽くコツンと叩きつつ男達には今度は豪速球のお玉をくれてやる。
男達には容赦というものがなかった。やはり娘には甘いようだ。
「エルフが珍しいんですか?」
ロルビスは疑問に思ったことを口にする。騒いでいた男達の視線には少し好奇の色が混ざっているくらいで、嫌悪や軽蔑の視線はない。
地域によってはエルフなどの異種族に対する偏見や差別もあるため、ロルビスにとってそれはありがたかった。
「ここら辺の地域ではね、魔法使いが居ないからエルフみたいな魔法が得意な種族が神聖視されやすいんだよ」
なるほど、とロルビスは納得する。
確かにエルフは魔法が得意な種族だ。だが、それには理由がある。
エルフというのはあらゆる種族の中で一番精霊に干渉できる種族だ。そして、干渉できるというのは逆にこっちも干渉を受けるということ。
エルフは生まれた瞬間から精霊の干渉を受けて育っていく。
精霊とは、肉体を持たないにも関わらず、この世に存在できる。エネルギー体、波動生命体とも呼ばれている。
つまりは、この世界の人間にとって精霊とは魔力そのものだ。
その精霊に幼い頃から触れ合ってきたエルフは、誰かに教えてもらわなくても自然と魔力を、精霊という存在を認識する。
その結果、エルフというのは魔法が習得しやすくなるのである。
「もしこの村から魔法の使える子が出たならこれから先も魔法使いが増えるかもしれないからね、地域によっては村の人達は娘を嫁にだとか息子を婿にだとか魔法使いを引き止めようと躍起になることもあるそうだよ」
「それさすがに無いのでは……」
「まぁ、アタシとしてもアンタが娘をもらってくれるっていうなら反対はしないよ。どこぞの馬の骨よりアンタみたいな礼儀正しい男、しかもエルフと来たもんさ。反対する理由はないよ」
「いや、どこの馬の骨ともわからないのは俺も同じですよ。もしかしたら初対面だから礼儀正しくしてるだけかもしれませんよ?」
「なに、もし娘を泣かせるようなヤツなら地の果まで追いかけてぶっ殺しに行くよ」
そう言ってケナールはニヤリと不敵な笑みをする。その笑みはまるで竜と相対したことがあるような顔だった。
「た、助けてくれ! 怪我人だぁ!」
その時、バンッ、という扉を開く音とともに和やかな場に不具合な悲痛な声が響く。見れば血だらけの狩人らしき男が駆け込んでいた。
「どうした!? 一体何があったんだ!」
「く、熊が、でっかい熊が出たんだ! そ、そんでもう一人がそいつにやられて大怪我を!」
血まみれの狩人は入口を指す。
そこには腹を切り裂かれ、血を流した男が横たわっていた。大量の血が地面に赤い水溜まりを作っている。
ロルビスはすぐさま行動を起こした。
「包帯を持ってきてくれ、できるだけキレイなやつだ」
「お、おい。アンタは誰だ? そいつは怪我人だ! 近寄るな!」
怪我人に近付いたロルビスを狩人が引き止める。
「俺は回復魔法が使える」
「なに?」
ロルビスは敬語を使うことも忘れて、急いで怪我人の傷を確認をする。
傷は深い。当たりどころが悪かったら絶命してもおかしくなかっただろう。出血量もかなりの量だ、あと数分もせず死に至る。
それ以外の傷は、特になし。なら、まだ間に合う!
ロルビスは虚空に魔法陣を描く。
「な、詠唱じゃない!?」
狩人が目の前の光景に驚きの声を上げる。狩人だけでなく、その場にいた全員が驚いていた。
魔法とは呪文を詠唱し、魔力を集中させ、発動させる。
だが、ロルビスは魔法陣を描くことで魔法を成立させていた。
ロルビスの手から放たれた魔力が複雑な魔法文字を綴り、形を成す。
魔力が一定量以上集まったことで発光が起きる。淡い光が怪我人を包み込んでいき、傷を癒す。一分も満たない間に傷は塞がった。
「ふう、これで大丈夫です。ただ、魔法でも失った血は直せないのでしっかり休ませて肉類を食べさせてあげて下さい」
「ね、ねえ、アンタ。魔法って詠唱で起こすもんじゃなかったのかい?」
ケナールが未だ呆けた顔をしている者たちの心の声を代弁する。
「え? ああ、確かに魔法は詠唱して発動しますが、魔法陣を描くことでも発動できるんですよ。辺境だと知らないのも仕方ありませんね」
ロルビスは狩人に向き直る。
「あなたは怪我はありませんか?」
「へ? あ、ああ、オレは大丈夫だ。そいつの怪我を治してくれてありがとう。あ、あと、さっきは失礼なことを言ってすまなかった」
「構いませんよ。それで、先程熊と言ってましたが、それはどんな熊だったんですか?」
それを聞いた途端、狩人は慌てだした。
「ああそうだ! あんなデカい熊は見たことない! みんなやられちまう!」
「落ち着いて下さい。熊がどんな見た目だったか、特徴を教えて下さい」
しかし狩人は床にうずくまってあいつはヤバイあいつはヤバイ、と繰り返し呟いている。
平静を保ててない。ロルビスは両手を狩人の顔の前で勢いよく叩いた。
パァンッ、と音が響く。
ビクッと狩人の体が震えた。
「その熊を倒しに行きます。特徴を教えて下さい」
その言葉に狩人は驚いた顔をする。
「は? あ、あれを倒すなんて無理だ! アイツはそこらの熊と違う!」
「つまり、魔物なんですね」
ロルビスはそれだけ聞くと立ち上がってケナールに話しかける。
「すみません、熊を退治してきます」
「な、なにを言ってるんだい? 別にアンタが倒しに行く必要なんかないんだよ? 熊くらいなら、村の男達の行かせれば…」
「いえ、ただの熊ではありません。おそらく魔物です。しかも、とても凶暴です。村の人達を行かせても無駄な犠牲が出るだけです」
「なら、尚更アンタは行く必要はないじゃないか……」
その問いにロルビスはそんなことか、という顔をして答えた。
「美味しいワインをいただきましたから」
綴啜のフリガナを『つづすす』ではなく『つづすず』になっていたことに気づきました。テヘッ。