幕間 とある砦にて
「おい!」
薄暗い廊下に声が響いた。
聞き覚えのあるその声に、吸血鬼の男は忌々しげに振り返った。
「………なんだ?」
「なんだ、じゃねェだろ!」
頭から角が生えたその男は今にも彼に掴みかからんばかりに叫んだ。
「兄貴が! オルガスの兄貴がやられたってェのは本当なのか!?」
なんだその事か、と彼は溜め息をつく。
「さっきも話しただろう。オルガスは殺された」
この男はいつもこうだ。仲間が死ぬ度に悲しみ、叫ぶ。
何の根拠もなしにそれを否定し、認めたら認めたで復讐だの仇討ちだの、ほざく。
あの兄にしてこの弟と言うべきか。仲間想いなのは良い事だ。だが、オルガスはここまで騒がない。
仲間が死ぬなんて事は日常茶飯事だ。その度に仇討ちなどしていたら、こっちが殺られる。
それでも、鬼人の男は引かなかった。
「ふざけるなァ! 兄貴が死ぬわけねェ!」
鬼人の男は先に進もうとする彼の前に立ちふさがる。
「…………これは、つい先日命からがら帰還したお前の『仲間』の報告だ。お前はその『仲間』の報告を信じず、嘘つき呼ばわりするのか?」
そう言うと、男は黙った。
この男は事あるごとに喚き立てるが、『仲間』を出せば大人しく従う。こういう所は単純で扱いやすかった。
「なら何故、敵を討ってやらない!? 今すぐにでも、あの国を潰すべきだ!」
「それはならん」
彼はかぶりを振った。
「なぜだ!?」
「魔王様が、剣聖に討たれた」
「なっ!?」
「これより本拠で我々幹部による『会議』が行われる。それで今後の方針を決めるつもりだ。まあ、十中八九、侵略を続ける事になるだろう」
これは決定事項だった。なぜなら、既に魔王軍は戦支度を始めている。他の幹部も、もちろん彼もだ。
今回の会議で話し合う事など特にない。強いて言えば、まずはどの国から落とすかだろう。
「わかったか? わかったなら、そこをどけ」
彼は男を押し退けると再び廊下を進みだした。
「さあ、彼奴等に教えてやろう。現実は盤上遊戯と違って、たとえ『王』を倒してもまだ他の駒が残っているということを!」
去ってゆく彼を、鬼人の男はただ悔しげに見ている事しかできなかった。
「くそつ!」
吸血鬼の男が去った後、彼は──鬼人のエゼルスは拳を強く握った。強過ぎて血が滲んでも、その力が緩むことはない。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
悔しかった。もう戻ってこないとわかっていても、その場に自分がいても結果はあまり変わらないとわかっていても。
仲間を失ったという悲しみが、怒りとなってエゼルスの内側を満たす。
「くそがァ!」
エゼルスは怒りに任せて壁を殴りつけた。バコッ、と音が鳴り、壁がひび割れる。
そんなことをしても、怒りは収まらない。再び壁を殴りつけようと腕を引いた、その時。
カツン、と。
背後に気配を感じたエゼルスは振り返る。だが、そこには誰もいない。薄暗い廊下だけが続いている。
背後に一瞬だけ現れて、一瞬で消えた気配。
なぜだかエゼルスは、不気味なものを感じた。
住み慣れたはずなのに、見慣れているはずなのに、異常な程に静寂が支配した薄暗い廊下。
再び、カツン、と音。
改めて聞くとわかった。これは靴音だ。
何者かの足音が聞こえる。だが、誰もいない。
「………誰かいるのか?」
エゼルスは、問う。
「ええ、いますよ」
対する返答。
返答はすぐそこの廊下の曲がり角から聞こえてきた。声からして男性だろう。そして若い。
声の主が姿を現した。カツン、と先程と同じ靴音が鳴る。
「……………ダークエルフか」
出てきたのは茶褐色の肌を持つ、ダークエルフ。
エルフ・ダークエルフの特徴である長い耳に、雪のように真っ白な髪。手足は細く、身長は高かった。
「こんにちは」
そのダークエルフは、貼り付けたような笑みを浮かべた。
「お前、何者だ? どこの部隊所属か──」
「──敵討ち、したくないですか?」
その言葉に、ピクリとエゼルスは反応した。
何の、と聞かなくてもわかる。オルガスと、その仲間のことだ。
敵討ちをしたいかと問われれば、もちろんしたい。兄を、仲間を、殺したヤツを殺してやりたい。
「僕ならそれをさせてあげますよ。今すぐにね。魔王軍の準備を待つ必要もない」
復讐。何故か目の前のダークエルフにはそれが可能だという思いがあった。だがそれと同時に、この得体の知れない者を信じてもいいのかという不安も押し上げてくる。
「………あの国には『魔素使い』がいやがる。それに、兄貴を殺したのは別のヤツだ。兄貴に勝てるヤツなんざ、そういねェ。おそらく相当強ぇヤツがあの国にいる。その上であの国に攻め込むなんて、まず不可能だ」
エゼルスには、思考し、戦力を分析する冷静さがまだ残っていた。今すぐ復讐ができるというならしたいが、この男を信用する気にはとてもなれなかった。
「悪ィが、断らせてもうぜ」
「そうですか。残念ですよ、あなたがそんなに臆病だなんて。正直失望しました……」
あからさまな煽りに、エゼルスは青筋を浮かべる。
いや、あからさまだからこそ、エゼルスの怒りの琴線に触れた。
ダークエルフとは、魔族の中でとても力が強い種族とは言えなかった。そこはただのエルフと同じ、魔法が得意な種族。
エゼルスからしてみれば、非力な種族の代名詞のようなものだった。
そのダークエルフが、挑発してきた。
近接戦闘が不得手なダークエルフが勝てるはずもない距離で、嘲笑った。
それがエゼルスを激昂させた。
「テメェ、覚悟はできてるんだろうなァ?」
エゼルスはダークエルフに向かって駆け出した。
十メートルもない短距離を駆け抜けるのに、一秒もいらない。
突風が巻き起こり、絨毯が、飾られていた花瓶の花が、ひっくり返る。
「おらぁ!」
繰り出された拳がダークエルフの顔面に叩き込まれる、ことはなかった。
「…………は?」
エゼルスの拳は、受け止められていた。
ダークエルフは非力な種族。渾身の力を込めて殴る必要はない。そう思ってある程度手加減はした。
だが、非力なはずのダークエルフは片手でエゼルスの腕を掴み、止めている。しかも、
(う、動かねぇ…………!? なんだ、この腕力は……!?)
エゼルスは掴まれた右腕をまったく動かすことができなかった。それどころかむしろ、ダークエルフの力はどんどん強まり、エゼルスの腕を折ろうとしていた。
(な、なぜだ!? ダークエルフの握力で、俺の腕が折れるはずがっ…………)
だがエゼルスの腕は、限界を訴えていた。
エゼルスの剛腕が、ダークエルフの細腕によって折られようとしている。
(まずい! このままじゃ───)
エゼルスは強引に手を振り解こうとした瞬間のことだった。
「───ぐがっ!?」
額に痛み。見ればダークエルフの男がデコピンをしていた。
しかし、そのデコピンは確かな痛みと屈辱をエゼルスに与えて吹き飛ばした。
額に強烈な一撃をくらったエゼルスは数秒間空中を舞った後、落ちる。
ダークエルフの男は仰向けに倒れるエゼルスの側に屈むと、貼り付けたような笑みのまま話し始めた。
「そのままの体勢でいいので聞いてください。僕のとっても優秀な『協力者』と、君の兄を殺した、『最弱のエルフ』について」




