1話 千年
昔々、蘇りし厄災を打ち倒した五人の英雄がいました。
ひとりは女帝。
ひとりは剣聖。
ひとりは魔王。
ひとりは勇者。
そして、ひとりは弱者。
弱者は、自分が弱いことを自覚していました。
弱者は自らを『最弱』と言いました。ですが人々は彼を『最強』と呼びました。
母親が語る物語を、小さな少年が聞いている。
まだ幼く、知識もなく、難しい言葉の意味は理解できないほど未熟で、誰もが憧れるような英雄に、同じく憧れるどこにでもいるような少年だ。
そして、その少年が聞いているのは英雄譚。
そのうちの一人、自らを『弱者』と称した英雄の物語。
物語の内容は主人公の短い独白から始まる。
『誰よりも弱いから、誰よりも強さを求めた』
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「はぁ…! はぁ…!」
彼は走っていた。とにかく走っていた。
豊かな木々、色とりどり花。そんな美しい森の中を走っていた。
彼は走りながら後ろを振り返る。
そいつは変わらず、そこに居た。全力で走る彼のちっぽけな命を喰らわんと追いかけてくる。
そいつはまだ少年である彼にとっては『死』の象徴にすら感じた。
走る。走る。走る。息が切れても走る。足がもつれても走る。
未だ幼い彼は走る以外にそいつから逃げる術を持ち合わせていなかった。
「うぁっ…! ッッ………!」
恐怖か、体力の限界か、あるいはその両方か。彼の足が絡まって転倒した。地面について擦りむいた膝から血がにじむ。
這いつくばったままでも手足を動かして前に進もうとしたその時、彼は視線を感じた。
背中に氷を入れられたかのような感覚に襲われる。
後ろから向けられる視線。まさにそれはこれから喰われる獲物に向けられる視線、それに睨まれた彼の体は無意識に震え始める。
彼は恐る恐る振り返った。
そいつと、目が合った。
「うああ、あぁぁ…」
あまりの恐怖に叫び声すらまともに出なかった。
呼吸が加速する。喉の奥が急速に乾いていく。
そいつはすぐ目の前で彼を見ていた。
ただ、ジッと動かずに彼を見ていた。
怯える彼を観察するように。怯える彼を嘲笑うかのように。
そいつは恐怖に怯える彼を見て楽しんでいた。
あと数秒後には、彼の命はこの世から消えているだろう。彼の生殺与奪の権は目の前のそいつが持っていた。
そいつが大きな口を開け、彼を殺そうとしたその時。
ボンッと巨大な火球がそいつを飲み込んだ。
炎に包まれたそいつは地面に転がり、もがき苦しむ。
と、そこでさらに火球が打ち込まれた。火球以外にも風の刃、石の礫、雷の槍が打ち込まれる。
今まさに、彼の命を摘み取ろうとしていたそいつが、イノシシの姿をした魔物が絶命した。
「なーにやってんだよ、無能!」
そして、頭上から彼を叱責する声。
「お前、本当に使えねぇな」
「アンタが私達と同じエルフなんて信じられないわ」
木の上に五人ほどの少年少女がいた。全員、十歳ほどで彼とそう変わらない年齢だ。
先程の魔法を放ったのは彼らだった。
「さすがは半端者だな」
無能。半端者。役立たず。それが彼のあだ名だった。
彼の耳はエルフでありながらあまり尖っていない。
祖先に人間がいて、人間の血が混じっているらしい。が、それもかなり薄まっている。ほぼ普通のエルフとして生まれるはずだ。事実、彼の家族は全員がエルフとそう変わらない耳をしている。
だが彼だけは人間の血が強く出てしまった。
それが原因なのか、彼は魔法が使えない。あだ名はそこからつけられた。
「ほら早くしろ、無能。お前みたいなやつは力仕事くらいでしか役に立てないんだよ」
ポイッとナイフを投げ渡された。彼はそれを上手く片手でキャッチする。
革製のケースから取り出すと彼はそれを逆手に持って魔物の体に突き刺して解体を始めた。
これくらいしかできない自分は、自分にできる事だけをする。
彼は黙々と解体を続けた。
「ふぁ……くぅ………」
欠伸を噛み殺しながら黒髪の青年が気怠そうに身体を無理矢理起こす。
彼の名は、ロルビス・クロス。森に引きこもっているエルフだ。
「イヤな夢だなぁ」
そうつぶやいて人間より鋭い、かと言ってエルフより丸い、中途半端な形の耳を掻いた。
今は何時だろうか、太陽の位置を確認しようとするも部屋を埋め尽くすように積まれた本の山が窓を隠して外の様子がわからない。
しばらく日の光を浴びてない為、体内時計も宛てにならない。そろそろ外に出るべきか、それよりも先に部屋を片付けるべきか。
悩んだ末に、まずは外に出て日の光を浴びることにした。
クローゼットの中からコートを取り出し、ヨレヨレになったワイシャツの上から羽織る。
このコートもワイシャツも、一体いつ買った物だったか、よく見ればワイシャツが黄ばんでるではないか。
もしこの格好を妹に見られたらすぐに小言の嵐が飛んでくるだろう。
ロルビスは妹にだけはどうしても弱いのだ。
「そろそろ買い替えたほうがいいか。しばらく、村にも行ってないしな」
ブツブツ呟きながら日の光を浴びんと外に出る。
しかし、その光がロルビスの身体を照らすことはなかった。
かわりに視界は人の背程もある植物や十メートルは優に超えるだろう木々に遮られていた。
雑草がここは自分の場所だと主張するように生い茂っている。
「あー、そういやそうだった」
ここはメマルケス大森林。かつてこの大森林に住んでいたという賢者メマルケスからつけられた名前である。
この森は何故か植物類がやたらと大きく育つ。地面に生える雑草は人の背にも匹敵する高さとなり、木々は天高く伸び、太陽を隠す。
この森では太陽など見えるはずもない。
そんなことも忘れたのかと自分で自分を罵る。
「ハァ… 部屋片付けるか」
上を見上げれば葉の隙間から漏れる光がかろうじて今は昼だということを教えてくれる。
夜までには間に合わせよう、と決意を固めると木の上に建てられたツリーハウスに、ロルビスは引っ込んでいった。
数ある小説の中から、埋もれているこの作品を見つけてくださり、ありがとうございます。綴啜です。
新人ゆえ至らぬ所もありましょうが、なにとぞ、よろしくおねがいします。
ついでにもし良ければ評価お願いします。