05 脱出と惰性と堕天
ベネディクトは、エクソダスについて考えていた。
彼等の考えていたエクソダスは、語源になった聖書の『出エジプト記』ではなく、エイリアンの大脱出計画の事だった。
この惑星を訪問しているエイリアン達には、一つの噂が流れている。
出所は判らない。
いつの間にか流れているのだ。
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この地球には、創造主や管理者と言う存在があり、将来的に地上の生物を一掃する。
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そんな噂がある為に、それが起きた時に救出や援助の責任を取らない為に、エイリアン達は、公的な接触を避けて、非公認な関係を保っているらしい。
そして、生物一掃が起きた時に、逃げ出す行為を、エイリアン達は『エクソダス』と呼んでいた。
彼は、考える。
あくまで噂なのだから、起きるか起きないかは定かではない。
ただ、ここまでの情報がある以上は、準備しないのは愚者だ。
「問題は、時期だな。」
存在には、必ずサイクルが有る。
それが、何かを起こす、起きるタイミングとして重要になるが、それは様々に異なる。
たとえば、地球の一日は、24時間である。
隣の火星の一日は約25時間だ。
あの巨大な惑星である木星は、たった9時間で一周する。
ベネディクトをはじめとするエイリアンも、生体改造で対応出来ても、一日のサイクルの違いには苦労した。
神父であるベネディクトは、聖書にも、人類滅亡の記述がある事をしっているので、先ずは、そこから分析してみる事にした。
地球人類を創造し、滅ぼすと伝えられている創造主のサイクルを考える。
そのヒントは、聖書の創世記にあった。
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創世記(文語訳)2ー17
然ど善惡を知の樹は汝その果を食ふべからず汝之を食ふ日には必ず死べければなり
しかし、善悪を知る樹の実を食べてはならない。お前が目覚めて食べた日には、必ず死ぬ。
創世記(文語訳)5ー5
アダムの生存へたる齡は都合九百三十歳なりき而して死り
アダムの生きた年齢は、合わせて930歳になって死んだ。
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創造主はその日の内に死ぬと言い、アダムは930歳まで生きたと言う差異から、どちらも否定出来ない神智学を学ぶ者は、次の様な答えに至っている。
『創造主の一日は、人間の千年である。』
天地創造でも創造主は七日目には、休息をとっているので、人間同様に、一日の半分/五百年は休息をとるとして、ユダヤ系の世界史を見てみる。
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AD1年前後-創造主の起床
BC04頃 イエスの誕生
392ローマ帝国、キリスト教を国教とする
AD500年~創造主の休息
570頃マホメット生まれる(~632)
610マホメットのイスラム教成立
AD1,000年~創造主の起床
1099十字軍がエルサレム王国を建てる
1187エルサレム王国が滅ぶ
AD1,500年~創造主の休息
1760イギリスの産業革命(~1840)
1914サラエボ事件
第一次世界大戦が始まる(~1918)
1933ドイツにヒトラー内閣が成立。ナチスのユダヤ人迫害が始まる
1939第二次世界大戦が始まる(~1945)
AD2,000年~創造主の起床
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偏見混じりではあるが、こうして見ると、創造主の起床時にはユダヤ系の活動が盛んで、創造主の休息時には反ユダヤやユダヤをも巻き込む戦争が多い様にも思える。
現在は、2,000年以降の、創造主の起床時期になるのだが、現在の地球人類の総数や、環境破壊、気象異変の様子から、AD3,000年以降に創造主が何かを起こしたり、起こさせたりするのは、望めない。
創造主は地球人の一部を召しあげると聖書『ヨハネへの啓示』には書かれているが、地球人類が、あと千年も存続できるかは、大変怪しいものだからだ。
「つまり、創造主とやらが、何かを起こすとなると、この五百年間と言う訳か。」
ベネディクトが、見つかると厄介な私用車を、手元に持ってきたのは、いつでも逃げ出せる様にとの、備えも兼ねていたのだ。
普通車に見えて、あの車に見えている物は、単独で太陽系の外まで行ける。
衛星軌道には、恒星間移動のできるステーションも有る。
「多少は、身辺整理も始めるか。」
ここ数十年は無かった変化が、今、起き続けている。
いまだに関連は見えないが、用心にこした事はないとベネディクトは考えるのだった。
◆◆◆◆◆
事件は、地球人もエイリアンも知らぬ所で、秘かに起きていた。
地球では、産業革命以後に起きた環境破壊の為や、将来的に不妊症になった時の備えとして、生殖細胞を冷凍保存する試みが行われている。
生殖細胞は、試験管の様なカプセルに入れられ、提供者の情報が書かれたラベルが貼られて、液体チッ素で冷凍保存されている。
カプセルが並んで収納されているタンクは、柱の様にも見える。
特に多民族国家では、人種や民俗、体質など、多くの種類の生殖細胞が保存されている。
そして、災害を考慮して、それらは複数の場所で管理されているのが普通だ。
表向きには、そう言った建設的な建て前だが、裏では優秀な能力を持つ遺伝子を、単身者に売買するビジネスも存在していた。
結婚はしたくないが、子供は欲しい。
同じ産むなら優秀な子供をと望む親は珍しくもない。
体外授精させ、自分や代理母の御腹で出産させる行為は、不妊症治療としても実在している。
「おいっ。また数が合わないぞ。」
「勝手に売買するなら、隠蔽処置もしておいて欲しいよな。」
「しかたないさ。これも下っ端の仕事なんだろうよ。」
管理の現場では、度々、保管してある生殖細胞の数が合わない事がある。
生殖細胞は、一人から数カプセルを採取して保管しているのだが、有名人や特殊な体質の人の物が、何本か無くなる事がある。
現場の管理者達は、特に騒ぎも報告もせずに、冷凍器の不調による廃棄として処理する。
この様な記録に無い紛失を行えるのは、上位のIDを持った者に限られ、以前に報告した所員は、有らぬ言い掛りを付けられて解雇されている。
下っ端に出来る事は、無言で上司の尻拭いをする事だけだった。
実際、この様な事件は、複数の管理施設で起きており、そして、生殖細胞紛失の理由が、それだけでは無い事を知る者は、地上には居なかった。
そう、地上には居なかった。
◆◆◆◆◆
彼等は、衛星軌道から地上での、その行為を見ていた。
「あぁ、始まってしまった。汚れなき十四万四千の命が、集められて行く。このままでは我等の愛する人間が、滅ぼされ、作り替えられてしまう。」
彼等は、人間と同じ姿をしてはいるが、その内包する力は比較にならないほど大きかった。
かつては、人との間に子供まで作った彼等は、人間を愛する存在だが、今は見守る事しか許されていないのだ。
この五百年。人間は地に溢れ、管理すべき自然を侵食し、争いを広げ、黒油と冥府石を掘り起こして地上を汚してきた。
緑を切り倒して砂漠を広げる原因を作った。
海に大量の汚物を捨て、濁らした。
煙りで空を染めて、大気を狂わせた。
自らの食べ物にさえ毒を混ぜて、病を広げている。
空気さえ汚れた、この地上に生きている者に、汚れなき者は存在しない。
彼等は、いまだに汚染されていない、生殖細胞が集められる様を見て、事の深刻さを感じている。
海さえ汚れた現状では、洪水の様に、助けられる災害では済まないだろう。
そう考えて彼等は、上空の月を仰ぎ見る。
「主が目覚め、この様な状況に、あの者達は動き出してしまった。誰か抗う者は、居ないのか?」
彼等自身は、己の主に逆らう事が出来ない奴隷である。
地上を見て回ったが、それらしき力ある者は、見えない。
訪問者も居る様だが、いざとなれば、逃げ出す算段をしている様だ。
絶望にくれる彼等は、その視界の端に、白い大陸を目にする。
「かつて、我が主に抗った、彼の者達が甦ったなら、幾人かは逃れられるやも知れぬが・・・」
彼の彼等は、自らの主ではなく、運命の神に祈る。
彼等、『グリゴリ』と呼ばれた存在は、愛する人間の存続を、切に祈った。